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地元歩き

  • 2022年10月26日

芸者横丁

自分が生まれ育った町は城下町だ。 「郭町」、「城下町」、「江戸町」といったいかにも城下町的な名前もあったし、「札の辻」、「鍛冶町」、「大工町」、「神明町」、「黒門町」なんていう東京と同じような名前の地名もたくさん存在していた。   城下町なので当然、町には全ての機能が盛り込まれている。武家屋敷の一帯、寺町、商家、そして三業地。 東京くらい大都市になれば三業地は吉原のように完全に独立した一 […]

  • 2022年10月14日

地元の祭り

毎年、10月14日、15日は地元のお祭りの日だった。 元々地元の神社の大祭だったため、神事を理由に平日だろうとお構いなく14、15日に決行していた。   それがいつの間にか第3土、日に変更になった。あれだけ頑固だった神社も今では有名な縁結びスポットとしてすっかり商業主義に走っている。     地元の祭りは各町が持っている山車を曳きながら町を歩き、山車同士が出会えば「ひ […]

  • 2022年7月26日

中華の記憶

お子様ランチを食べるような子供の頃から中華料理は大好きだった。 大好きだと言える中華に出会った初めての記憶は横浜中華街の「満珍楼」の塩味の鳥団子だった気がする。   地元に目を向けると、何故か昔から「銀座アスター」が百貨店に店を出していて、エビそばが大好きだった。 後は「松華飯店」という古くから営業している北京料理の店の蟹玉も美味しかった記憶がある。   もっと庶民的な町のラー […]

  • 2022年6月23日

1979-1985年の地元喫茶店巡り

大学生の頃はまだ喫茶店が幅を利かせていて、80年代の中盤になってようやくカフェバーが人気になったが、地元にはそんなこじゃれたものは存在しなかった。   1979年にはジャズ好きのマスターが「Porgy&Bess」から名前を取った駅裏の通りの「ポギー」という名の喫茶店に入り浸っていてそこでバイトもしていた。 高校時代の同級生の多くは駅前の「る・ぺーる」をたまり場にしていたのでそち […]

  • 2022年4月4日

老婆のいる撞球場

自分の地元、旧市街のいわゆる三業地区の辺りに、普通の民家にしか見えないけどビリヤード台が置いてあって、突かせてくれる撞球場があった。 細い道の途中にあるのだが看板など出ているはずもなく、門をくぐって、中庭を通って、引き戸を開けると四つ玉の台が二台置いてあり、壁には貸出用のキューがずらっとかかっていた。 壁の切れ目には「マッセ禁止」の張り紙が貼ってあり、その下で店番のおばあちゃんが椅子にちょこんと腰 […]

  • 2021年12月7日

子供の頃行ったレストラン

子供の頃は年に二、三回父親が外食に連れて行ってくれた。 今になって考えれば夏と冬のボーナスの時だけだったかもしれないが、滅多にない家族サービスなのでとても嬉しかった。   お決まりのコースと言えば地元のメインストリートにあった「太陽軒(途中でレストラン太陽に名前が変わった)」に行って洋食を食べる事だった。 オムライス、ナポリタン、ミートソーススパゲティ、ハンバーグ、ポークソテー、全部この […]

  • 2021年12月6日

坪田直子さんのサイン

1980年頃は、いつでもバックパックにフリスビーを入れて歩いていた。 自分が通っていた大学はアメリカナイズされていてバックパック使用者がとても多かったが、地元でバックパックなんぞを背負っていると「山でも行くんかい」と言われる時代だった。 しかもその中にはフリスビー、ただのイカレ野郎だ。   いつものようにディスコ仲間のK君、議員の息子Hとフリスビー投げ合っていると、後から合流したM君が「 […]

  • 2021年10月1日

地元の歓楽地を思い出してみる

中高校生の頃は、些細な事に影響を受けた。 通学路に「にっかつロマンポルノ」映画の看板が出ているだけで一日もやもやしたり、前の夜に覗き見した「11PM」を考えて興奮したり、何かにつけて多感だった。 人間は育つ環境に大きく左右されると言うが、こんな自分を育んだ地元の歓楽街事情はどんなものだったのだろう。   地元は地方の城下町で、いわゆる「三業地」は町中にいくつも残っていたが、どこも寂れてい […]

  • 2021年9月30日

地元のパチンコ屋を思い出してみる

高校生の頃は地元近辺の郊外型パチンコ店舗に行く術がなかったので、パチンコといえば地元商店街の中で打つものだった気がする。 例のごとく駅から記憶を辿ってみる。 まず駅前にどかんとあったのが「いこい」、少し商店街寄りに「クラウン」、そのはす向かいに「ニューフジ」の3軒があった。 駅近くにあった「ファミリーレーン」というボウリング場の一部がパチンコ屋に商売を替えていたが、これはとりあえず無視しておく。 […]

  • 2021年8月30日

地元のファーストフード事情

テレビで「マクドナルドの日本初出店、銀座の歩行者天国でハンバーガーを頬張る若者」という当時のニュースが流れていたので、自分が暮らした東京のベッドタウンではどのくらい遅れてやってきたか思い出してみた。   「マクドナルド」はそれほど遅くなかったと思う。後発の「ロッテリア」で補導されたのが高校2年の時だから、それより前の1973年くらい、中学生の時だったかもしれない。 「ロッテリア」は言った […]