地元歩き
- 2022年6月23日
1979-1985年の地元喫茶店巡り
大学生の頃はまだ喫茶店が幅を利かせていて、80年代の中盤になってようやくカフェバーが人気になったが、地元にはそんなこじゃれたものは存在しなかった。 1979年にはジャズ好きのマスターが「Porgy&Bess」から名前を取った駅裏の通りの「ポギー」という名の喫茶店に入り浸っていてそこでバイトもしていた。 高校時代の同級生の多くは駅前の「る・ぺーる」をたまり場にしていたのでそち […]
- 2021年12月7日
子供の頃行ったレストラン
子供の頃は年に二、三回父親が外食に連れて行ってくれた。 今になって考えれば夏と冬のボーナスの時だけだったかもしれないが、滅多にない家族サービスなのでとても嬉しかった。 お決まりのコースと言えば地元のメインストリートにあった「太陽軒(途中でレストラン太陽に名前が変わった)」に行って洋食を食べる事だった。 オムライス、ナポリタン、ミートソーススパゲティ、ハンバーグ、ポークソテー、全部この […]
- 2021年12月6日
坪田直子さんのサイン
1980年頃は、いつでもバックパックにフリスビーを入れて歩いていた。 自分が通っていた大学はアメリカナイズされていてバックパック使用者がとても多かったが、地元でバックパックなんぞを背負っていると「山でも行くんかい」と言われる時代だった。 しかもその中にはフリスビー、ただのイカレ野郎だ。 いつものようにディスコ仲間のK君、議員の息子Hとフリスビー投げ合っていると、後から合流したM君が「 […]
- 2021年10月1日
地元の歓楽地を思い出してみる
中高校生の頃は、些細な事に影響を受けた。 通学路に「にっかつロマンポルノ」映画の看板が出ているだけで一日もやもやしたり、前の夜に覗き見した「11PM」を考えて興奮したり、何かにつけて多感だった。 人間は育つ環境に大きく左右されると言うが、こんな自分を育んだ地元の歓楽街事情はどんなものだったのだろう。 地元は地方の城下町で、いわゆる「三業地」は町中にいくつも残っていたが、どこも寂れてい […]
- 2021年9月30日
地元のパチンコ屋を思い出してみる
高校生の頃は地元近辺の郊外型パチンコ店舗に行く術がなかったので、パチンコといえば地元商店街の中で打つものだった気がする。 例のごとく駅から記憶を辿ってみる。 まず駅前にどかんとあったのが「いこい」、少し商店街寄りに「クラウン」、そのはす向かいに「ニューフジ」の3軒があった。 駅近くにあった「ファミリーレーン」というボウリング場の一部がパチンコ屋に商売を替えていたが、これはとりあえず無視しておく。 […]
- 2021年8月30日
地元のファーストフード事情
テレビで「マクドナルドの日本初出店、銀座の歩行者天国でハンバーガーを頬張る若者」という当時のニュースが流れていたので、自分が暮らした東京のベッドタウンではどのくらい遅れてやってきたか思い出してみた。 「マクドナルド」はそれほど遅くなかったと思う。後発の「ロッテリア」で補導されたのが高校2年の時だから、それより前の1973年くらい、中学生の時だったかもしれない。 「ロッテリア」は言った […]