キャンディーズの記憶

ピンクレディーに触れたならばキャンディーズも取り上げないといけないが、実の所、それほど熱狂的なファンではなかった。

高校のクラスの奴らに聞けば、大抵は「ミキちゃん」派や「スーちゃん」派、「ランちゃん」派が決まっていたが、自分はどれにも属さず解散が決まってもさほど悲嘆にくれる訳でもなかった。

 

1978年4月初旬、春休み真っ只中に友人の家に遊びに行くと、友人が4月4日は空いているかを尋ねてきた。
バンドの練習の予定もなく、デートする相手もいなかったので、「いいよ」と答えると「じゃ、後楽園球場。バイトな」と返ってきた。
どうやら友人の従兄の所に持ち込まれた警備員のバイトの人手が足りないらしかった。

 

「野球?」
「違う。キャンディーズだって」

 

当日、花冷えの天候の中、午前中に何番ゲートか忘れたかに集合した。
スタッフジャンパーが配布されたかどうかは覚えていないが、手元になかった所を見ると帰りに回収されたのだろう。

昼食を取り、球場内に入り、場内の事前点検、注意事項等連絡が行われた。
担当区域はアリーナだった。

 

開場時間となり、片膝立ちで配置に着くと、アリーナは見事に男性ファンばかりで埋まっていた。

夕方5時頃に開演した。
アリーナの観客の方を向いたままの片膝立ちの姿勢だったので、背中越しに音楽が聞こえる。

あ、ホーン・スペクトラムだ

そして怒涛の時間が始まった。

 

警備の任務はステージへの駆け寄りの阻止、そして紙テープ等の投げ込み防止だった。
幸いにアリーナのお客さんは皆、品が良く、こちらの注意に従ってくれた。

コンサートが中盤に差し掛かった所で一人のお客さんが話しかけてきた。
「あの、紙テープ、前の通路から投げたいんだけど」

自分と同年代らしき真面目そうな青年だった。
ただ自分たちがいたのはアリーナでも後方、前に少し近づいた所でステージまでは届くはずもなかった。

彼から黄色の紙テープを引ったくり、芯が抜かれている事を確認してから、彼に戻し背中を向けた。

青年は嬉々として前方に走っていき、「ミキちゃ~ん」と絶叫しながら紙テープを投げた。

 

熱狂のコンサートはいつまで続いたろうか、やがて終焉の時が近付く。
先ほどテープを投げた青年を見ると泣いているみたいだった。

 

お客さんを全て退場させた後の最終点検でグランド内を一周した。
グランド内にはいくつもの投げられた紙テープの山が出来上がっていた。
人生であれほどの量の紙テープを見る事は二度とないだろう。