カンビバ Village People – San Francisco

聖地ロサ会館にあった「アダムスアップル」、ワンフロア全てがダンススペースだけど、床にはボーリング場のレーンの板がそのまんま使われているとか、いや、あれは東武東上線の古い車両の床だとか、色々と噂だった。
自分がいつか行くであろう初のディスコもきっとここに違いないとぼんやりと思っていたが、結局一度も行く機会がなかった。

 

1977年、初めて行ったディスコは新宿歌舞伎町のカンタベリーハウスビバ館、通称「カンビバ」だった。

別のバンドの友人たちと麻雀をしていて、そのうちの一人が「なあ、今からディスコ行かねえ?」と持ちかけてきたのが発端だった。
当然一番近い池袋のアダムスアップルを目指すのかと思っていたら、「いや、池袋はない」という事になり、「じゃあ渋谷か?」、「もっとないっつうか行かない街だし」、「赤坂、六本木?」、「……」という話の後に「新宿でいいんじゃなかろうか」、「じゃあ早速行こう」となった。

 

土曜日夜のコマ劇場前は人で溢れ返っていた。
まだ『歌舞伎町ディスコ殺人事件』が起こる前で風営法が厳しくなかったせいか、どこの店も終夜営業が当たり前だった。

友人の一人が「ここ行った事あるぜ」と行って案内してくれたのが「カンタベリーハウスビバ館」だった。
ここから先は記憶が曖昧だが、入場料3,000円くらいを払うとフリーフードだったがボトルキープをしないといけなかったような気がする。

行った事があると言った友人が鏡の前で黙々と踊り出したので、皆、それに倣って鏡に向かってひたすら踊り続けた。
チーク・タイムが始まると席に戻り、水割りを飲んで休憩、又ダンス曲が流れ出すとフロアに吸い寄せられるの繰返しで、気付けば終電の時間をとうに過ぎていた。

「そろそろ出るか」
誰かの一言で店を出てから、始発までの時間を喫茶店で過ごした。

 

ディスコって思ったより求道的な場所だった

もっとチャラチャラした場所だと思ってたけど、これなら好きかも。
喫茶軽井沢だか尾瀬だかで始発電車を待ちながら密かにそう思った。

 

Village People | San Francisco