カラオケ事始め

カラオケについてはまさしく自分と同世代、一緒に成長してきたかのような心持ちになる。

元々は「8トラ」と呼ばれるどでかいカセットにオケだけが入っていて、専用の機械で再生するものだった。

自分の家でもそれを買いたい母親とそんなものは無駄だという父親がよくケンカをしていた。しばらくはソ連帰りの伯母の家にある8トラで歌わせてもらっていたが、ついに我慢できずに家でも購入していた記憶がある。

 

当時はインターネット接続なんていうものはなかったので、基本はスタンドアローンだった。歌いたい新曲が出た場合は、その曲が入ったカセットを追加購入しなければならない仕組みだった。

家にある8トラがどうしても演歌偏重(ほとんどの機械がそうだった)だったので、自分も歌える何かを追加購入しようかと思案した時期もあったが、あきらめてそこにある小林旭や「宗右衛門町ブルース」とかを歌うようにしていた。

 

たまに若いアーティストの曲が入っているスナックに行くと狂喜乱舞した。

大学院の皆で行った新宿歌舞伎町のスナックでは山本達彦の「ロンリー・ジャーニー」や「夏の愛人」を歌いまくった記憶がある。