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サッカー

  • 2022年8月26日

グーちゃん

Jリーグ発足前の日本サッカーリーグでは日産自動車が好きだった。 いち早く木村和司のプロ契約を進めたりしていて先進的という印象だったし、一番好きだった水沼貴史のいるチームでもあった。 「丸の内御三家」の古河電工、三菱重工、日立にさほど魅力を感じなかったのもあると思う。   そこに忽然と現れたのが読売クラブだった。 このチームは日産自動車よりももっと進んでいてすでにプロチームだった。 &nb […]

  • 2022年6月4日

幻のゴール

1985年のトヨタカップでユヴェントスのプラティニが打った幻のゴール。 この辺りから潮目が変わって欧州チームが勝つようになってきた記憶がある。    

  • 2022年6月3日

白いペレ

よく考えるとすごいネーミング。 第2回のトヨタカップで南米代表フラメンゴのキャプテンとして来日したジーコの愛称だそうだ。 初期はずっと南米代表が勝ってた印象があるんだけど、回を重ねる毎にサッカーの勢力図が欧州>南米に変わっていくのがよくわかるという意味で貴重な大会だった。   日テレのスポーツ実況は何でも箱根駅伝みたいに情報を詰め込むので好きではないんだけど、「ダイアモンドサッカー」がな […]

  • 2022年4月22日

初骨折 Dead or Alive – You Spin Me Round (Like a Record)

大学に入ってからずっと同好会でサッカーをやっていた。 練習はなく、大抵週に1回、学内のグランドでリーグ戦を行い、毎学期の優勝を競うものだった。 1984年の10月、地元の祭りに参加し、草履のままで散々町中を歩いて足の筋が伸び切っていたようだった。 そのまま翌日サッカーの試合に出て、シュートを打った後に軸足の右足が奇妙なくねり方をした。 時間が経つにつれて足首がどんどん腫れていき、内心「折れたな」と […]

  • 2021年5月5日

歴史に残るバカげた試合

その日はバンドの練習があって友人の家に集まっていたが、昼過ぎに「なあ、高校サッカーの決勝観ようぜ」と言って、練習を中断してもらった。 何故そんなに観たかったかと言うと、知性派(!)田嶋幸三を擁して全国優勝した翌年に天才水沼貴史のいる地元代表校が連覇を果たすかを見届けたかったのもあるし、中学校の時のクラスメートが1年生ながらレギュラーで出ていたからだった。   決勝は歴史に残る試合となった […]

  • 2021年3月27日

名相銀?

エポック社のサッカー盤で初めて遊んだのはいつ頃だろう。 多分「魚雷戦ゲーム」と同じ頃に家にあったと思うから1960年代後半かな。   夢中になって相手ゴールにボールを入れようとしてセンターフォワードのグリップを力任せに押した時のあの嫌な金属同士が擦れる音、 敵味方どちらの選手も届かない場所にボールが止まった時の間抜けな気持ち、 ゴールキックが飛び過ぎてスタジアムの外に出てしまった時の気ま […]

  • 2021年2月9日

素敵な名前

もう一つ、当時のダイアモンドサッカーでの思い出と言えば、普通では聞く機会がない(日本人にとっての)面白い名前に触れる事だった。 その中でも鮮明に覚えているのはレンセンブリンク、オランダ代表の選手だった。   オランダのプレイヤーの名前はワクワクするよね。 ファンホーイドンク、ファンニステルローイ、ファンデルハールト、ファンブロンクホルスト、フェネホールオフヘッセリンク。 アレクサンデショ […]

  • 2021年2月8日

憧れのプレイヤー

ダイアモンドサッカーに出てきた往年の名選手の中で一番好きだったのは、ポーランド代表ラトー選手だ。     出典:時事ドットコムニュース|サッカーW杯 歴代得点王 写真特集   優男風のクライフやアーティスト風のベッケンバウアーと比較してこの風貌、しかも当時はまだ社会主義の国の代表だった。 でもとにかく速い、速い、今で言うとケガをしない丈夫なロッベンみたいな感じかな。

  • 2021年2月7日

ベッケンバウアーは悪者? 1974年ワールドカップ西ドイツ大会

「三菱ダイアモンドサッカー」はほぼ毎週観ていた。 今となっては信じられない話だけどワールドカップの試合を放送してくれていた。 1974年西ドイツ大会の決勝トーナメントのほとんどの試合を観たと思う。 決勝はベッケンバウアー、ゲルト・ミューラーの西ドイツとヨハン・クライフのオランダの一戦だったけど、とにかく学校でのクライフ人気は凄まじかった。 ゲルト・ミューラーは愛嬌があるから許されたけど、ベッケンバ […]