地元の歓楽地を思い出してみる

中高校生の頃は、些細な事に影響を受けた。

通学路に「にっかつロマンポルノ」映画の看板が出ているだけで一日もやもやしたり、前の夜に覗き見した「11PM」を考えて興奮したり、何かにつけて多感だった。

人間は育つ環境に大きく左右されると言うが、こんな自分を育んだ地元の歓楽街事情はどんなものだったのだろう。

 

地元は地方の城下町で、いわゆる「三業地」は町中にいくつも残っていたが、どこも寂れていた。
「芸者横丁」なる小路も母親の実家のそばにあったが、ここも閑古鳥が鳴いていた。

そういった昔からの花街エリアはほとんど残っておらず、かといってけばけばしい風俗店だらけの一角がある訳でもなく、パチンコ屋と同じく街の中に溶け込んで普通の商店と共生していた気がする。

 

何度か触れているが、初めてパチンコをしたパチンコ屋は特殊浴場の前にあり、そこは高校の通学路にもなっていた細道沿いにあった。実家がひいきにしていたクリーニング屋さんはその細道の入り口にあったし、さらに東映、東宝の子供向け映画館もクリーニング屋さんの隣にあった。

細道を抜けると高校とは反対方向の左手ににっかつ映画専門の映画館があり、そこから母親の実家方面に少し歩くとキャバレー「月世界」という文化財クラスのかなり古いビルがあったが、高校生の頃にはすでに廃墟同然だった。

キャバレーの通りをはさんだ前はスポーツ用品店で、隣には老舗和菓子屋だ。色んな商売が集まって皆で街を構成していたんだ。

今では地元はすっかり観光地化して、明るい部分しか見えてこない。それはそれで素晴らしいけれど、どこか厚みに欠ける気もする。