(非公認)フォークダンス指導員

小学生の頃から、運動会の出し物のフォークダンスや民謡の振り付けの見本をやらされる機会が多かった。
中学に上がると、自分でもその気になったせいか、ほぼ全ての体育祭で出し物の見本を務めるようになった。
「マイム・マイム」、「オクラホマ・ミキサー」、「花笠音頭」、「郡上おどり 春駒」、「秩父音頭」

体育の教師に何故自分を選ぶのかその理由を聞いた所、「お前、楽しそうに踊るんだよな」と言われた。

 

高校になってもそれは変わらなかった。
文化祭では前夜祭、中夜祭、後夜祭があって各々にフォークダンスタイムがあったが、後夜祭頃になると大抵はグランドにできる大きな輪の中心か、舞台上で見本を示すと共に号令をかけていた。

 

高校も最後の頃になると、自校、他校含めてかなりの数の文化祭をこなし、三年生の時には予想通り、文化祭実行委員となった。

この時代、自分が通っていた公立の高校同士はフォークダンスの音源を融通し合う形でコミュニケーションを取っていたが、私立、特に女子校は他校との交流が普段ないため、どういう曲をかければいいのか自分の所に相談に来るようになった。

そこで日曜日に音源を携えて特別に私立女子高に出向いてフォークダンス指導をするようになった。

よくそんな事が許されたな、と思うが肩書は「(非公認)フォークダンス指導員」で通す事にした。