教室にもテレビ

小学校にあった視聴覚室の存在がわからなかった。
理科室なら理科の授業、音楽室なら音楽の授業という形で目的がはっきりしていたが、視聴覚って言われてもなあという感じ。
でも交通安全の8ミリ映画を観るための部屋だと思って視聴覚室の授業は楽しみだった。

やがて教室の前方にも観音開きの戸棚に納まったテレビが配置されるようになった。
これはいつ観るものなのか?
給食の時間に天地真理の出演番組を流す訳でもなく、その扉は閉ざされたままだった。

 

ところが岩戸は簡単に開く。しかも2回も。
一度目は1972年の札幌オリンピックだった。

教室で一人が「笠谷!」と言ってジャンプの飛型のマネをすると、もう一人が「金野!」、さらにもう一人が「青地!」と言って続くのが大流行した。

 

出典:日本の古書屋|札幌オリンピック冬季大会詳報 <週刊読売 臨時増刊 1972年3月3日 札幌オリンピック関連資料>

 

この頃はオリンピックって全国民が望んだ結果だと信じていた。
最近のゴタゴタを見ると国民が情報という武器を手にしたのに対して、取り仕切る上の人たちは未だに「大本営発表」がまかり通ると信じているからかなあ。

 

トワ・エ・モワ | 虹と雪のバラード