TAG

1986年

  • 2022年12月5日

プロジェクトキックオフ

楽しかった新人研修生活はわずか半月程度で終わりを告げた。 正式にアサインされ、プロジェクトがキックオフしたからだった。   クライアントの場所は幡ヶ谷だった。 最初にお客様と名刺交換をする前にそのプロジェクトの責任者の例の大学の先輩から 「いいな。何年目ですかと聞かれたら三年目のシニアですと答えるんだぞ」とくぎを刺された。 えー、それって詐称じゃん、と思いつつその通り答えたが、「今までの […]

  • 2022年12月4日

「ドゥリエール」

言わずと知れたシフォンケーキ発祥の店だ。 ここも新入社員研修をさぼってよく行った。   何しろそれまで多摩地区しか知らなかったので、星条旗通りにある「ドゥリエール」なんぞは初見も初見だった。 やはり元祖の店らしく、種類も豊富で味も良かった。 唯一の難点は店内にいた「北の国から」にも出演していた俳優が大声を出して騒いでいてとても不愉快だった事だった。 そういうのも含めて東京なんだなあと改め […]

  • 2022年10月30日

神谷町のトレーニングセンター

入社してからは青山オフィスではなく、神谷町のトレーニングセンターで新入社員研修を受ける事となった。 何しろそれまで毎年若干名しか新卒採用していなかったのが、自分の代になって一気に40名近くの新人の数だった。 きっと会社が本気になって日本市場での成長を考え始めたのだろうという事だった。それでも部門の全社員で150名程度だった気がする。   神谷町での生活は極めて快適だった。 出社すると研修 […]

  • 2022年10月29日

入社式

いよいよ4月1日、入社式の日がやってきた。 なのに自分は遅刻した。 神田か大手町のどこか予約していたホールで行うのを青山のオフィスと勘違いしていたためだ。   式半ばでそっと入場して席に着くと総務の偉い人がオリエンテーションを行っていた。 「当社にはグローバルの決まりがあって、それは男女問わず上下揃いのスーツを着る事で……」 あちゃー、大学で教えていた頃のままグレーのパンツにネイビーのブ […]

  • 2022年10月4日

アメリカのマニュアル Chicago – Hard to Say I’m Sorry

論文を書く時に英語で書かれた文献を読んだり、コピーを取ったりしたが、アメリカの巨大情報機器会社(International Business Machine)のマニュアルに触れるのは初めてだった。 よく見ると、空白ページには必ず This page is intentionally left blank. このページは意図的に空白にしています。 という一文が入っている。   いや、そんな […]

  • 2022年10月3日

事務処理能力 A Flock of Seagulls – I Ran

半月ほどずっとコピーを取り続けてわかった事があった。 それまでも図書館で参考資料のコピーは取っていたが、ここまで大量の量を両面コピー、しかもソーターしながら取る事はなかった。   結論は自分には事務処理能力が欠けているという事だった。 ソーターボタンを押し忘れるのは当たり前、気が付けば両面ではなく片面コピーを延々と作り出す、とんでもない時間と資源の無駄遣いを引き起こしていた。   […]

  • 2022年10月2日

入社前にアサイン? P-Funk All Stars – Copy Cat

青山オフィスでコピーを取っていると、大学のOBの先輩が顔を出し、バイト代を出す予定がなかった事について言い訳を始めた。 「いや、どっちみち4月になれば正式にアサインするつもりだったから、その準備というかね」 「あの、4月に入社したら、3か月都内で研修を受けて、その後アメリカの本社で3週間のトレーニングを受けて、海外で夏休みを取ってよいと総務から言われましたけど」 「ははは、それは普通の社員の場合だ […]

  • 2022年10月1日

入社前の呼び出し Eric Carmen – All by Myself

1986年の3月、論文も無事提出が終わり、後は4月まで何をしようかと思案していた。 会社が外資系だったため英語の目標はTOEIC 750点というなかなかの高ラインに設定されており、皆、入社前から英会話レッスンを受けないといけなかったが、入社試験後のTOEIC試験で820点を取っていたのでそれも免除された。 ただ4月から一緒に働く同期に会っておきたかったので、無理を言って週1だけレッスンを作ってもら […]

  • 2022年9月12日

マイコンに出会う

ようやく論文は完成し、後は仕上げだった。 当時はまだパソコンが普及しておらず、手書きで専用用紙に書き連ねたものを紐で綴じて製本するのが決まりだった。 締切ギリギリで製本後の論文を提出しようと走っていたら図書館の前で転んだ拍子に紐が切れて、全てがばらばらと宙に舞ったという悲劇が実際にあったと言う。 そして更に梗概と呼ばれるサマリーを英語と日本語の両方で作成しなければならず、英語版についてはネイティブ […]

  • 2022年9月11日

熱海で論文を書く

就職も決まり、残りの作業は修士論文だけだった。 1986年の正月は家に缶詰だ、と思っていた所、地元の親友N、医学部に通うT、それにメイクアップアーティストのHが「正月どこか行こうよー」と言ってきた。 「えっ、論文あるからだめ」と答えたが、「いいじゃん、現地でやりなよ。邪魔しないから」となり、強引に伊豆の民宿に連れていかれた。   邪魔しないとは言われたものの、なかなか論文を書く時間は取れ […]