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1985年

  • 2022年6月16日

沖縄素潜り合宿

元々西荻で同居していたR君と「夏休みにどこか行きたいね」と話をしていて、「沖縄サバイバルツアー」という船で行く激安ツアーに申し込んだが、人が集まらずツアーが中止になった。 するとその話を聞き付けた大学の先輩が「沖縄行こうよ。素潜り教えてやるよ」と言い、結局、先輩とその彼女、先輩の友人、自分とガールフレンド、ガールフレンドの友人2人という構成で久米島に行く事になった。 本島で沖縄の大学に通う先輩が合 […]

  • 2022年6月15日

飛行機に初めて乗った日

飛行機に初めて乗って出かけたのは、1985年、大学の先輩たちと素潜り合宿で沖縄に行った時だと思う。   中学生の頃、義兄に羽田空港に連れて行ってもらい、「大人になったら羽田でデートする」という誓いを立てたのだが、飛行機に乗るどころか羽田に来る事さえなかった。 その時の記憶は羽田から那覇に直行便だったか、どこかで南西航空に乗り換えたか、那覇から宮古まで飛行機だったか、いや、フェリーだったか […]

  • 2022年6月12日

裁判所に呼ばれた

西荻で暮らしていた頃、移動は主に自転車だったが、当時乗っていたミラージュで行く事もあった。 そういった場合はどこか通行量の少ない道に路駐しておけばいい、という事がまだまかり通った時代だった。   だがある朝、自分の車に近付くとフロントガラスに不穏な張り紙が。 正確には覚えていないが、「長期にわたる路上駐車でこれは駐車違反ではなく車庫法違反に該当するので、錦糸町の簡易裁判所まで出頭されたし […]

  • 2022年6月11日

西荻の美味しいもの

結局、西荻に住んだのは半年弱だったが、駅前には定食屋が充実していて食事に困る事はなかった。 ここで「松屋」を初体験したが、自分の席の後ろの壁に箸が立て掛けられているというトリッキーな店の作りだったので、初見時には「箸がない」と酷くテンパった記憶がある。   「からし亭」という定食屋にもよく行った。 ご主人が一人でやっていたカウンタだけの店だったが、すべての食事に胡椒をどばっとかける店だっ […]

  • 2022年6月10日

西荻生活

色々と調子に乗っていた時期だった。 大学の助手の仕事が忙しく、ピーク時には週に3コマ担当する学期もあって、地元との往復が面倒くさくなっていた。 ガールフレンドは新玉川線沿線に住んでいたのでクルマで送っていくのも一苦労、ならば都内に家を借りようと考えて大学に自転車でも通える距離圏内の石神井公園辺りの物件を探した。 結局いい物件がなかったので西荻窪に住んでいたR君の家に転がり込んだ。   生 […]

  • 2022年6月8日

渋谷に慣れる お茶を飲む場所

ガールフレンドや友人とお茶をしに行くのも渋谷が多かっただった。 当時渋谷に何軒かあった「Soho’s」、「チャールストン・カフェ」、センター街のど真ん中にあった「アグリー・ダックリング」はよく行った。   そんな中でも「スウェンセンズ」は別格だった。 誰かのお誕生日には友人たち皆で行って「アースクエイク食べようね」と約束したが、未だに果たされていない。 というか日本にはもう店 […]

  • 2022年6月7日

渋谷に慣れる 洋麺屋五右衛門

渋谷で飲食する機会も圧倒的に増えた。 お気に入りはスペイン坂にあった「五右衛門」の和風パスタだった。 ハーフのガールフレンドから見ると和風パスタというのは驚愕だったようで、二人でいかじそ納豆?ばっかり食べていた。     後はスペイン坂の入り口にあったサントリー経営の「ザ・バーン」も好きだった。

  • 2022年6月6日

渋谷に慣れる NAMSB

ガールフレンドが新玉川線の沿線に住んでいたり、井の頭線や東横線沿線の友人が多かった事もあり、生活の中心は渋谷へと移っていった。 それまで洋服は吉祥寺の「とんがりぼーし」で買っていたが、カリフォルニア・エンジェルズのサテンジャンパーを最後に買わなくなった。 その代わりに渋谷の「NAMSB」、「バックドロップ」、「ビームス」に通うようになった。   特にNAMSBが好きで一点もののカラフルな […]

  • 2022年6月5日

ライブエイド

大学の授業の教材の準備をしながら何気なくテレビを点けっぱなしにしていたら、「ライブエイド」をやっていた。 イギリスでスタートしてアメリカに移動する、確かそんな行程表に従って中継が延々続いた記憶がある。 「あー、ボノが日本の学生の詰襟の制服着てらあ」 確か準備していた教材は「シンプレックス法を用いた線形計画(リニアプログラミング)の解法」だったと思う。   Band Aid | Do Th […]

  • 2022年6月4日

幻のゴール

1985年のトヨタカップでユヴェントスのプラティニが打った幻のゴール。 この辺りから潮目が変わって欧州チームが勝つようになってきた記憶がある。