- 2022年5月16日
和美峠を攻める Suzi Quatro – Devil Gate Drive
高校の友人S君は大学生の頃に自分の幼馴染と付き合っていた時期があったのでたまに3人で出かけたりした。 夏休みにもう一人誘って4人で軽井沢のペンションでテニスをしようという事になり、S君の運転で出かけた。 軽井沢で思う存分テニスをし、いつも通りそばを食い、ジャムを買い、S君の発案で南軽井沢にある人造湖のその名もレマン湖の近くにある喫茶店でカレースパゲティを食べたりして楽しく過ごした。 […]
高校の友人S君は大学生の頃に自分の幼馴染と付き合っていた時期があったのでたまに3人で出かけたりした。 夏休みにもう一人誘って4人で軽井沢のペンションでテニスをしようという事になり、S君の運転で出かけた。 軽井沢で思う存分テニスをし、いつも通りそばを食い、ジャムを買い、S君の発案で南軽井沢にある人造湖のその名もレマン湖の近くにある喫茶店でカレースパゲティを食べたりして楽しく過ごした。 […]
You tubeでKurtis Blowの音源を検索していて違和感を覚えた。 「おしゃべりカーティス」? 何だこれ、おしゃべりって。 よく考えればTom Tom ClubのWordy Rappinghoodも「おしゃべり魔女」と訳されている。 ラップが紹介されたばかりの1980年代初頭は「ラップ=おしゃべり」って訳されてたという事か。 もしもこの日本語訳が広まっていたら、日本でのラッ […]
1980年、喫茶店のバイトはもう辞めていたが、そこの店には「パックマン」の筐体が入っていた。 相変わらず自分はセンスがなくて一面もクリアできなかったが、ディスコ仲間のK君や議員の息子Hはコインの山をテーブルに積んで夢中になってやっていた。 「クレイジークライマー」も流行った。 ただでさえセンスがないのに独特のレバーに慣れなくて、全く上手にならなかった。
1980年、スキーが人気で、町のファッションもスキーを意識したものが多い時代だった。 自分はあまりその波に乗れず、町中のリバティベルのダウンだらけの状況を横目で見ているような状態だった。 そんな中、青山にあるスキーショップジローではオリジナルニットを発売していた。 全面カラフルな糸を用いて自分の名前を模様にしてニットのジャケットに編み上げたものでとても可愛らしかった。 […]
とにかくMichael McDonaldのパターンの曲が流行った時期があった。 あれ、ドゥービーの新曲?と思って聴いてみるとRobbie Dupreeだったりしたが、やはりそれだけ印象的なリズムだったのだろう。 The Doobie Brothers | What a Fool Believes The Doobie Brothers | What a Fool Believes(1 […]
東京で初めて音楽のライブを観たのは1980年、芝公園にあった郵便貯金ホールでのカシオペアのライブだったと思う。 その前の年のイーグルスの来日公演は寸前でガールフレンドにフラれたので当日キャンセルだった。もしかするとその前に渋谷エピキュラスや新宿ロフトあたりに行ったのかもしれないが、大好きな子と行ったカシオペアが断然印象に残っている。 実際はそこでやらかすのだが、第一の失敗は地元から芝 […]
1980年頃は、いつでもバックパックにフリスビーを入れて歩いていた。 自分が通っていた大学はアメリカナイズされていてバックパック使用者がとても多かったが、地元でバックパックなんぞを背負っていると「山でも行くんかい」と言われる時代だった。 しかもその中にはフリスビー、ただのイカレ野郎だ。 いつものようにディスコ仲間のK君、議員の息子Hとフリスビー投げ合っていると、後から合流したM君が「 […]
1980年、変わったバイトが舞い込んできた。 ロビー・デュプリー、ジャック・セント・ニクラウスといったマイケル・マクドナルド的な男性AORシンガーの曲が売れた年だった。 そこであるシンガーの曲を「第2のジャック・セント・ニクラウス」的な形で売りたいので、様々なラジオの洋楽番組にリクエスト、つまりは組織票を投入してほしいと言われ、大量のハガキをもらった。 大体ハガキは500枚程度あった […]