1977年
- 2021年5月5日
歴史に残るバカげた試合
その日はバンドの練習があって友人の家に集まっていたが、昼過ぎに「なあ、高校サッカーの決勝観ようぜ」と言って、練習を中断してもらった。 何故そんなに観たかったかと言うと、知性派(!)田嶋幸三を擁して全国優勝した翌年に天才水沼貴史のいる地元代表校が連覇を果たすかを見届けたかったのもあるし、中学校の時のクラスメートが1年生ながらレギュラーで出ていたからだった。 決勝は歴史に残る試合となった […]
- 2021年4月30日
こういうのもいいね Keith Emerson & The Nice – America
大江健三郎、安部公房を教えてくれた友人からは他にもたくさんの事を学んだ。 自分はただのくそガキで与えるものなんて何もなくて、与えてもらう事ばかりだった。 ある意味、自分は彼に育ててもらったんじゃないかと思う。 ELPを教えてくれたのも彼だった。 「展覧会の絵」のアルバムで4/5拍子、4/6拍子という拍子が存在する事を知った。 「四部作」が発売された時には、珍しく興奮してカール・パーマ […]
- 2021年4月29日
こういうのもいいね 安部公房
大江健三郎を教えてくれた中学からの友人。 高校になってからもバンド活動に必要な音源のカセットへの録音等、様々な面でお世話になった。 彼は大江健三郎以外に安部公房も好きで、その影響で当時のほとんどの作品を読んだ。 ほとんど内容は覚えてないけど、「耳の値段」と「棒」だけは鮮明に覚えている。 【中古】 R62号の発明/鉛の卵 改版 / 安部 公房 / 新潮社 [文庫]【メール […]
- 2021年4月23日
アイドルの悲哀 キャッツ★アイ / アパッチ
地元の百貨店でピンクレディーを見て売れないだろうなと感じた理由、それはペッパー警部の振付があまりにも大胆だったからだ。 ものすごいミニスカートなのに足をこれでもかと開く、目のやり場に困るというのが正直な感想だった。 ところが彼女たちは売れた。しかも猛烈な勢いで。 となれば生き馬の目を抜く芸能界、ピンクレディーよりも過激な振付にすればもっと売れるのでは?と考える人が出てくるのは自明の理 […]
- 2021年4月15日
カンビバ Village People – San Francisco
聖地ロサ会館にあった「アダムスアップル」、ワンフロア全てがダンススペースだけど、床にはボーリング場のレーンの板がそのまんま使われているとか、いや、あれは東武東上線の古い車両の床だとか、色々と噂だった。 自分がいつか行くであろう初のディスコもきっとここに違いないとぼんやりと思っていたが、結局一度も行く機会がなかった。 1977年、初めて行ったディスコは新宿歌舞伎町のカンタベリーハウスビ […]
- 2021年4月14日
ゲーム・ファンタジア
高校生の頃、一番好きな場所は新宿だった。 新宿には何もかもがあったので、他の街、例えば渋谷に行く必要性は全く感じなかった。 赤坂、六本木に至っては自分の生活とは無縁の地だった。 一度だけガールフレンドと渋谷から青山通りを通って六本木まで歩いた事があったが、青山は道が広すぎるという印象しか持たなかった。 でも一番大事な街は池袋だった。 だってそこに着かないと何も始まらなかったから。 & […]
- 2021年4月10日
(非公認)フォークダンス指導員 2 George Baker Selection – Tonight
県内の私立女子校のフォークダンス指導をして回る機会があっても、「オクラホマ・ミキサー」や「マイム・マイム」を教えていた訳ではない。 当時の地元の文化祭の後夜祭でかかるフォークダンスは例外なく新しい曲だった。 詳しく調べた訳ではないが、そういった新曲は女子高発信で、もしかしたら体育の授業で創作ダンスの中から生まれたのかもしれないが、大きな特徴は「手をつながないでいい」という点だった。 毎年、何らかの […]
- 2021年4月5日
写真をやっていて一番幸せだった日
写真部にいたくせにどんな写真が撮りたいかも定まっておらず、写真に対する情熱はあまり沸かないままだった。 川崎や川口の工場地帯に行っても煙突がにょきっとしているありきたりの構図の写真くらいしか撮れず、秩父まで写真撮影登山に出かけても半分ピントが合わない蝶々の写真しか物にできなかった。 そうこうしている間に何故かバンドのメンバー2人も写真部に入部してきた。 暗室で刺激臭のある定着液をパッ […]