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2022年9月

  • 2022年9月20日

ペット事情 The Beach Boys – Wouldn’t It Be Nice

小学校の頃、金持ちのお友達の家には大抵ペットがいた。 怪獣トランプを沢山くれたJ君の家ではジャーマン・シェパードを飼っていた。 トロフィー屋のY君の家はヨークシャーテリアだった。   中でも地元で一番の老舗旅館をやっていたSの家は自分にとって憧れだった。 大学教授のお父様は「ローバー」と「ワーゲンタイプIV」の2台の外車を所有していた。 狩猟が趣味の関係で、旅館と別棟のビルの屋上には犬小 […]

  • 2022年9月19日

欲しかったクルマ The Cars – Shake It Up

免許を取り、最初に欲しいと思ったクルマは何だったろう。 最初の内は金がなかったので、自分のクルマを持つなんて事は夢にも思わなかった気がする。 ようやく出会った欲しいクルマが「ワーゲンタイプIII」だった。   例の如く「POPEYE」で特集をやっていたのもあったし、小学校からの友人がお父様の「タイプIV」に乗っていたのを見て羨ましいと思ったのもあった。 でも金がなくて結局買えなかった。 […]

  • 2022年9月18日

映画 パピヨン

中学生の頃、映画「パピヨン」が封切られた。 「大脱走」などの映画で人気絶頂のスティーブ・マックイーン主演だったので当然大ヒットだった。 自分は地元の映画館の3本興行か何かで観た記憶がある。   内容はマックイーンが何度でもあきらめずに絶海の孤島の刑務所を脱出しようというものだったが、とうとう脱出に成功し南の島に流れ着く。 そこの現地の島の娘役の人がトップレスだったもので、それまでの内容が […]

  • 2022年9月17日

麻雀の時のハムサンド The Weather Report – Teen Town

父親は第一次オイルショックの寸前に脱サラして独立し、税理士事務所を開業した。 タイミングが良かったせいか、生活は困窮する事もなく、むしろ以前よりも豊かな生活を送れるようになった。   高校生になると学校と駅のほぼ中間地点にあった自分の自宅はいつの間にかバンド仲間やクラスメートの立ち寄り先になった。 家に帰れば、誰かがすでに来ているか、誰かがやってきた。そして4人以上揃うと麻雀の開始だった […]

  • 2022年9月16日

主食は餅だった The Beatles – Eleanor Rigby

ばあちゃんは明治生まれで、新聞記者のじいちゃんを早くに失くし、長い間未亡人として生きていた。 明治生まれのせいと言う訳ではないが、頑固者で一度良いと決めるとなかなかそれを変える事はなかった。   その一つが朝食、両親が共働きで子供たち全員が学生だった頃は、朝食時に家族全員で食卓を囲むという事はなかった。 それぞれが出社、登校時間に合わせて朝食を食べて出かけていく中、ばあちゃんは全員分の朝 […]

  • 2022年9月15日

ザ・ドリフターズを考える 2

「テレビ寄席」からほどなくして、ドリフは土曜ゴールデンの「8時だヨ!全員集合」を任される全国区の存在へとなっていった。 コント55号が「テレビ寄席」、「お昼のゴールデンショー」を経てあっという間に夜のゴールデンタイムへと駆け上がっていったのと同じような人気の出方だった。   しかし毎週公開生放送というのはものすごい事だった。アドリブがほとんどなかったらしいのでコントの練習を含めると一週間 […]

  • 2022年9月14日

ザ・ドリフターズを考える 1

ザ・ドリフターズ(ドリフ)を初めて観たのは「大正テレビ寄席」だったと思う。 演奏をしながらボケ担当がボケるという典型的なコミックバンドの演目だったが、ボケ担当のドラマー、加藤茶の動きやセリフが当時から秀逸だった。 この頃は「クレイジーキャッツ」は個人活動にシフトしていてもう舞台に立っておらず、「ドンキーカルテット」や「ミュージカルぼーいず」もそれなりに面白かったが、「ドリフ」の面白さは群を抜いてい […]

  • 2022年9月13日

二度読んだ本 夏への扉

時折無性にSF小説を読みたくなる事があった。 その時に応じて海外の作家を扱うハヤカワ文庫だったり、創元文庫だったり、色々と手を出したが、結局タイトルも内容もほとんど覚えていないのが常だった。   例外はロバート・A・ハインラインの「夏への扉」で何故か二度読んだ記憶がある。 最初は山下達郎の「夏への扉」で知って読んだのだが、二度目はどうしてだか全くわからない。 内容は……古き良き時代の冷凍 […]

  • 2022年9月12日

マイコンに出会う

ようやく論文は完成し、後は仕上げだった。 当時はまだパソコンが普及しておらず、手書きで専用用紙に書き連ねたものを紐で綴じて製本するのが決まりだった。 締切ギリギリで製本後の論文を提出しようと走っていたら図書館の前で転んだ拍子に紐が切れて、全てがばらばらと宙に舞ったという悲劇が実際にあったと言う。 そして更に梗概と呼ばれるサマリーを英語と日本語の両方で作成しなければならず、英語版についてはネイティブ […]

  • 2022年9月11日

熱海で論文を書く

就職も決まり、残りの作業は修士論文だけだった。 1986年の正月は家に缶詰だ、と思っていた所、地元の親友N、医学部に通うT、それにメイクアップアーティストのHが「正月どこか行こうよー」と言ってきた。 「えっ、論文あるからだめ」と答えたが、「いいじゃん、現地でやりなよ。邪魔しないから」となり、強引に伊豆の民宿に連れていかれた。   邪魔しないとは言われたものの、なかなか論文を書く時間は取れ […]