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2021年

  • 2021年11月1日

Gino Vannelli – I Just Wanna Stop

バイト先の喫茶店の隣のレコード屋のマスタがしつこいくらいに勧めてきたのがジノ・バネリだった。 確かに歌が上手かった。   Gino Vannelli | I Just Wanna Stop Gino Vannelli | I Just Wanna Stop(1978)  

  • 2021年10月31日

カタログ文化の功罪

スキー→急斜面に対する恐怖、サーフィン→水に対する恐怖があり、まともに取り組めなかったが、そういった恐怖のないテニスやローラースケートはそこそこまで上達した。 自分も含めてこの頃から顕著になったのは、「ブランド名を知ってればそこそこできるような顔をしていられる」という「POPEYE」に代表されるカタログ文化の嫌な面が前面に出てきた事だ。   実際に「僕はテニス上手だよ」みたいな奴が口先だ […]

  • 2021年10月30日

スキーについて

高校生になる寸前、まだ上の姉と結婚する前の義兄に苗場に連れて行ってもらったのが最初のスキーだ。 スキーが上手な義兄は、生まれて初めてスキー板を履いて、初心者ゲレンデをののろ進む自分の姿を見て何かを感じ取ったようだった。   あー、こいつ、ビビリだからスピードも出さず、転びもしない。 心なしか不機嫌になった義兄との初スキーはそこまでだった。   それから大分経ち、大学生になってス […]

  • 2021年10月29日

スケート場でデート

地元にはスケートリンクがあってつい最近まで営業していた。 カラオケもプリクラもない時代、娯楽施設と言えば他には映画館くらいしかなかったので、色気づくと「スケート場デート」に飛び付く事が多かった。     その頃、アイススケートはとても苦手だった。 リンクに立った瞬間に前から見て足が「ハ」の字になってしまい、滑るどころではなくなる。 なので必ずどこのリンクにもいる得意げにスピード […]

  • 2021年10月28日

ボウリング

原初の恐怖を感じずにやれるスポーツ、ボウリングもそこそこ上手だったりする。 もちろん「ものぐさ」なので、ちゃんとした先生について定期的に練習した訳ではない自己流だが、ハイスコアは大学生の時に217を出した。   ボウリングが一代ブームとなったのは1970年末だそうで、さすがにその頃は鼻水垂らしたガキには何も思い出はない。 父親はずいぶんと得意だったようで、家には何個かトロフィーがあったり […]

  • 2021年10月27日

ローラーゲーム

1回目のローラースケートブームの火付け役はテレビでの「ローラーゲーム」の放送だったと思う。 放送当初から佐々木ヨーコがいたと勘違いしていたが、「東京ボンバーズ」ができたのは1972年で、それまでは「ロスアンゼルスサンダーバード」の試合中継だったようだ。     wikiにも書いてあるけど、ルールもよくわからないままでスポーツというより興行だったなあ。 皆、ローラースケートを持っ […]

  • 2021年10月26日

ローラースケート

極度の「ビビリ」だったが、水の中に潜ったり、高い所から飛び降りるといった類の原初の恐怖を感じないスポーツはそこそこ上達した。 その一つがローラースケートだった。   出典:AUCFREE|希少 昭和レトロ 靴のまま履くローラースケート 美品   小学生の時にはこんな感じの靴に取り付けるタイプのローラースケートが主流だったが、買ってもらえず、友達が滑るのをただ眺めるだけだった。 […]

  • 2021年10月25日

スポーツ適性

子供の頃から運動神経が悪い方ではなかったと思う。 小学校の時には市民体育祭の選手に選ばれていたし、高校の頃は体育教師よりも足が速かった。   だが自分には致命的な欠点がある。 極度のビビリだ。 海に連れていかれた時には救命胴衣を着けていたにも関わらずパニック状態で泣きわめき、自転車に補助輪なしで乗れるようになったのも近所で一番遅かった。 跳び箱も小学生高学年になるまでは怖くて飛べなかった […]

  • 2021年10月24日

初めての漫画単行本 サザエさん

自分の記憶の中ではずっと「巨人の星」だったと思っていた。 歯医者に行くのをぐずっていた所を、ばあちゃんが物で懐柔しようとして、「巨人の星」第4巻を買ってもらったのをうっすらと覚えていたからだ。   でも実際はそれよりも前に「サザエさん」を買っていた。 通常の「サザエさん」とは別の「よりぬきサザエさん」という傑作集だ。   よりぬきサザエさん(no,3) [ 長谷川町子 ]価格: […]

  • 2021年10月23日

逆張り? Tanya Tucker

ジャニス・イアン。 1975年から1976年にかけて社会現象になるくらいというのは言い過ぎだが、かなり売れた。 特に「Love Is Blind」はドラマの主題歌にも使われたらしく、カーペンターズの次のポップスの大スターはこの人しかしないなと思わせる勢いだった。   でも自分はタニヤ・タッカー派だった。 どう考えてもタニヤ・タッカーの方が良いと信じていたのだが、世間はジャニス・イアンを支 […]