YEAR

2021年

  • 2021年4月25日

The Stylistics – Can’t Give You Anything (But My Love)

スタイリスティックスがものすごく人気があった。 我が家でも特に上の姉が好きで「Heavy」という曲の入ったLPを持っていた。 中学生だった自分も何か欲しくなり、「Can’t Give You Anything (But My Love)(愛がすべて)」のシングル盤を買った。 シングル盤の裏には当時大人気の「ハッスル」のステップが図解で載っており、曲を聴きながらステップもマスターできるよ […]

  • 2021年4月24日

キャンディーズの記憶

ピンクレディーに触れたならばキャンディーズも取り上げないといけないが、実の所、それほど熱狂的なファンではなかった。 高校のクラスの奴らに聞けば、大抵は「ミキちゃん」派や「スーちゃん」派、「ランちゃん」派が決まっていたが、自分はどれにも属さず解散が決まってもさほど悲嘆にくれる訳でもなかった。   1978年4月初旬、春休み真っ只中に友人の家に遊びに行くと、友人が4月4日は空いているかを尋ね […]

  • 2021年4月23日

アイドルの悲哀 キャッツ★アイ / アパッチ

地元の百貨店でピンクレディーを見て売れないだろうなと感じた理由、それはペッパー警部の振付があまりにも大胆だったからだ。 ものすごいミニスカートなのに足をこれでもかと開く、目のやり場に困るというのが正直な感想だった。 ところが彼女たちは売れた。しかも猛烈な勢いで。   となれば生き馬の目を抜く芸能界、ピンクレディーよりも過激な振付にすればもっと売れるのでは?と考える人が出てくるのは自明の理 […]

  • 2021年4月22日

アイドルの悲哀 ピンクレディー

高校1年の頃、地元の百貨店の屋上に新人アイドルが来てサイン会が行われた。 田舎の百貨店に来るような新人アイドルは大抵日の目を見る事なく、大人のいいおもちゃとして弄ばれたままその活動を終えるんだろうなという妙な偏見があった。 「ドサ回り」という言葉に象徴される通り、何だか芸能人の悲哀を感じるようであまり好きではなかったのだ。   その日は強風、その中でミニスカートを履いた二人組の女の子はま […]

  • 2021年4月21日

ピロンの秘密?

父親は嘘吐きだった。 別にいいのにと思うような些末な事でも嘘を吐いた。   例えば外を歩いていた時に「船越」という表札の家を発見した時に、父親はすかさず「ここは船越英二の生家だ」と答えた。 つい最近まで下の姉も自分もそこが船越英二の家だと信じて生きてきたが、うちのパートナーにその話をしたら「えー、確か四谷の人だよ」と言われ、wikiで調べたらその通りだった。 何故、子どもたちにそんな嘘を […]

  • 2021年4月20日

喫煙習慣

タバコを初めて吸ったのは中学校2年、さびれた商店街の2階にある喫茶店でだった。 銘柄も覚えている。「スリーキャッスル」という洋モクだった。 最初の頃はカッコつけたくてただふかすだけ、というのを続ける内に、高校に上がる頃には手放せなくなっていた。 両親共に喫煙者だったので父親からくすねた「セブンスター」が自然と愛用のタバコになった。 その後、父親が「マイルドセブン」に変えたので自分も追随し、「ジャス […]

  • 2021年4月19日

黒まむしがお好きでしょ

駿台の夏期講習中、密かに気になっていた他校の女子と一緒に帰る事になった。 池袋にあった「カプリ」でランチを食べてから、東武東上線に乗った。   路線利用者以外で知ってる人は少ないかもしれないが、東武東上線は準急以上の電車に乗った場合、池袋から最初の停車駅成増までが異様に長い。 もちろんその間に中板橋やらときわ台やら駅がたくさんあるからだが、優に10分はかかる。   その日は夏休 […]

  • 2021年4月18日

ボンドールささがわ

予備校の夏期講習中は食事が楽しみだった。 本当は毎日、御茶ノ水の「シェーキーズ」の食べ放題ランチのポテトを食べ続けたかったけど、一人だしお金もなかったしそれは無理だった。   そんな時に助けてくれたのがやはり池袋駅、東武ホープセンター内にある「ボンドールささがわ」だった。 ここはカレー専門店でカウンタと数席だけの狭い店だった。 いつも注文するのは一番安いサービスカレー?、「松屋」のカレギ […]

  • 2021年4月17日

すなっくらんど

自堕落な生活を送る高校生ではあったが、代ゼミの公開模試や駿台の夏期講習には参加していた。 チャリで移動可能な地元での生活とは異なる電車での移動だったので、アウェイの地での食事は重要だった。   ガールフレンドとのデートであればそれなりにおしゃれに見える喫茶店とかを使うのだが、予備校帰りにそんなカッコつける必要はなかった。 ただひたすら腹に詰め込みたい、そんな時に日大豊山の友人が教えてくれ […]

  • 2021年4月16日

高校時代のとある一日

行っていた高校には制服がなく、校則もなかった。 そのためすごく大学生に近い生活だった一方、自宅から高校までは自転車で行ける距離だったため、狭い移動範囲で事足りる小学生のような生活だったとも言える。   【とある一日】 朝、母はパートに出かけてしまうため、NHKの連続テレビ小説を観ながら餅を焼いて磯辺巻きにして食べる。 学校の始業時間は8時半、連続テレビ小説を8時15分まで観終えてから着替 […]