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2021年1月

  • 2021年1月21日

もんじ焼

一般には「もんじゃ焼き」と呼ばれているが、地元ではこう呼んだ。 元々の「文字を書く」という意味に近いのだろう。 近所の駄菓子屋の一軒にこのもんじ焼のテーブルがあって、そこで食べる事ができた。 注文のシステムだが 最初に値段を言う。 例えば10円なら小さいボウルのサイズだし、30円と言えばかなり大きなサイズだった。 次にトッピング、基本的には魚肉ソーセージとキャベツがちんもりと入っているだけなので追 […]

  • 2021年1月20日

ニッキ紙

遺族年金をたんまりもらっているばあちゃんにたかっていたせいで、ほぼ毎日駄菓子屋に行っていた。 近所には三軒の駄菓子屋があって、一軒は少年マガジンを購入するための店、一軒はもんじ焼の台が置いてある店、もう一軒は同級生の女の子の母親がやっている店だった。 ほとんどの駄菓子はこの三軒で買って経験済みだったが、ニッキ紙は未体験だった。 ある日、同級生の女の子の店で発見したので買ってみた。 少し横長(縦長? […]

  • 2021年1月19日

あひるの学校

「あひるの学校」というドラマをNHKでやっていた。 長女が十朱幸代で次女が加賀まりこという超絶な美人姉妹が主役だったが、三女役の津田京子という女優さんが大好きだった。 初めて異性に対してもやもやする気持ちを抱く、初恋だったと思う。     出典:日本の古本屋|グラフNHK 昭和43年12月1日号 207号 表紙モデル・芦田伸介と津田京子   右の方です。左は芦田伸介。

  • 2021年1月18日

テレビは生活の中心にいた

両親が共働きだったせいかテレビばかり観ていたため、幼少期の記憶の幾つかはテレビに直結している。   そんな記憶の断片をかき集めるとかなり支離滅裂なものになる。 例えばこんな感じだ。 昼寝をしていて目が覚めた。相撲の呼び出しの太鼓がテレビから聞こえてくる。「ああ、ばあちゃんがパイナップルの缶詰を用意してくれるんだな」とここまでワンセットの記憶。 当時はパイナップルの缶詰なんてやたらに口にで […]

  • 2021年1月17日

河童の三平と悪魔くん

「河童の三平」は怖かったけど、同じ水木しげる実写ものの「悪魔くん」を怖いと感じた事はなかった。 「どっこい大作」、青影を演じた金子少年と、「ジャイアントロボ」の主役を務めた王道子役の金子少年のキャラクターの違いなのかもしれない。   高校生の頃、「ジャイアントロボ」を再視聴する機会があった。 ジャイアントロボをコピーした某国のロボット、その名も「カラミティ」がトラブルに巻き込まれる話だっ […]

  • 2021年1月16日

トラウマ番組

墓場の鬼太郎は怖くなかったのに、テレビ番組を観てよく泣いた。 特に怖かったのが「ケペル先生」。 画面を直視できないくらい怖かったので、もちろん何の記憶もない。 後は大河ドラマ「源義経」で壇ノ浦に平家の亡霊がシルエットで浮かび上がるシーン。 母親の背中にむしゃぶりついたのを覚えている。 「河童の三平」のオープニングで三平の母親が霧の中で人力車みたいな乗り物に乗ってどこかに行ってしまうシーン。 これも […]

  • 2021年1月15日

墓場の鬼太郎

当時のマガジンでお気に入りは「墓場の鬼太郎」だった。 怖いけど、どこかユーモアを感じさせる画、色々と苦労はあったようだけどやはり売れる人だったんだろう。 特にお気に入りは「大海獣」で鬼太郎が注射されるシーンと「いんもら鬼」(おんもらき)での釘で絵を描くシーンかな。 ブリガドーン現象の話は別格。   ゲゲゲの鬼太郎(1) (水木しげる漫画大全集) [ 水木 しげる ]価格:2530円(税込 […]

  • 2021年1月14日

少年マガジンの思い出 2

ばあちゃんにたかりながらの少年マガジン定期購読は小学校入学後も続き、家の本棚にはバックナンバーがずらりと並んでいた。 さすがに朝潮太郎の写真の載った創刊号はなかったが、それでもそれなりの価値はあったはずだ。     出典:マガポケ|過去の「週刊少年マガジン」1959年創刊号編   ところがある事をきっかけに全て処分せざるをえなくなってしまう。 それが1970年の有害図 […]

  • 2021年1月13日

少年マガジンの思い出

何故、未就学児が「棒高跳び」という漢字を読めたのか? それはばあちゃんの力に依る所が大きかった。 ばあちゃんは亡くなったご主人(僕のじいちゃん)が某大手新聞社に勤めていたおかげで、かなりの額の遺族年金をもらっていたようだ。 姉たちは成長し、お金を使う対象の内孫が自分以外にいなくなった事もあり、ばあちゃんは大盤振る舞いをしてくれていた。 その一つが少年マガジンの定期購読だった。 毎週、火曜日だか水曜 […]

  • 2021年1月12日

ひいばあちゃんと

自分の中のほぼ最初の記憶。 多分ばあちゃんの母だか祖母だか、とにかく自分にとってひいばあちゃんにあたる人が秩父の山中からやってきてしばらく滞在した。 初めて会うひいばあちゃんは90歳はとうに越えていただろう、くしゃくしゃの梅干しのような顔の人だった。 うちは共働きで、姉たちも学校があったので、家にいるのはばあちゃんとまだ幼稚園に行く前の自分だったが、ある日、ばあちゃんが不在でひいばあちゃんと2人き […]