- 2021年12月14日
(チークダンス史に残る)名曲 Champaign – How ‘Bout Us
吉祥寺か六本木のディスコに週3ペースで通っていたが、ほぼ例外なくK君と二人だった。 ごくたまにお姉様たちとご一緒する事もあったが、基本は男二人、とにかく踊り続けて、チークタイムが来れば休むというスタイルだった。 特にこの曲、「How ’Bout Us」は禁止令を出してほしいくらいよくかかった。 非常にムードのある素敵な曲だが、K君との間では単なる休み時間にかかる曲だった。   […]
吉祥寺か六本木のディスコに週3ペースで通っていたが、ほぼ例外なくK君と二人だった。 ごくたまにお姉様たちとご一緒する事もあったが、基本は男二人、とにかく踊り続けて、チークタイムが来れば休むというスタイルだった。 特にこの曲、「How ’Bout Us」は禁止令を出してほしいくらいよくかかった。 非常にムードのある素敵な曲だが、K君との間では単なる休み時間にかかる曲だった。   […]
とにかくMichael McDonaldのパターンの曲が流行った時期があった。 あれ、ドゥービーの新曲?と思って聴いてみるとRobbie Dupreeだったりしたが、やはりそれだけ印象的なリズムだったのだろう。 The Doobie Brothers | What a Fool Believes The Doobie Brothers | What a Fool Believes(1 […]
Talking Headsの中心はDavid Byrneだと思っていた。 でもこの曲を聴いて当時最先端のポリリズムを作り出している才能はTina Weymouthのリズムセクションなんだと理解した。 Tom Tom Club | Wordy Rappinghood Tom Tom Club | Wordy Rappinghood(1981)
とにかく流行った。かかりまくりで30分おきにこの人の曲がフロアに響き渡るのもザラだった。 同じアルバムの「Give It to Me」も合わせると、 一晩に何回ターンテーブルに乗ってたんだろう。 &nbp; Rick James | Superfreak Rick James | Superfreak(1981)
ゴールデンウイークにバイトに誘われた。 山中湖の貸ボート屋での住み込みバイトだ。 貸ボート屋だけでなくレストランや民宿も手広くやっている家だったのでそこに泊まらせてもらい、朝はドンブリの卵かけご飯、野沢菜食べ放題、昼と夜はレストランでハンバーグを食べさせてもらった。 それだけでも十分な待遇なのに、仕事自体も貸しボートの手配だけでなく、ボートを漕ぐのに慣れていない女の子とかが来ると乗船 […]
東京で初めて音楽のライブを観たのは1980年、芝公園にあった郵便貯金ホールでのカシオペアのライブだったと思う。 その前の年のイーグルスの来日公演は寸前でガールフレンドにフラれたので当日キャンセルだった。もしかするとその前に渋谷エピキュラスや新宿ロフトあたりに行ったのかもしれないが、大好きな子と行ったカシオペアが断然印象に残っている。 実際はそこでやらかすのだが、第一の失敗は地元から芝 […]
この曲も売れた。 こちらは80年代を語るベスト集に収録されている事が多い。 Carl Carlton | She’s a Bad Mama Jama Carl Carlton | She’s a Bad Mama Jama(1981)
すごく流行った印象があるが、80年代のベストCDやYou Tubeにはほとんど採用されていない。 いくらでも踊っていられるファンクの名曲。 Kwick | Split Decision Kwick | Split Decision(1981)
1980年、変わったバイトが舞い込んできた。 ロビー・デュプリー、ジャック・セント・ニクラウスといったマイケル・マクドナルド的な男性AORシンガーの曲が売れた年だった。 そこであるシンガーの曲を「第2のジャック・セント・ニクラウス」的な形で売りたいので、様々なラジオの洋楽番組にリクエスト、つまりは組織票を投入してほしいと言われ、大量のハガキをもらった。 大体ハガキは500枚程度あった […]
K君とスクエアにある「ネペンタ」に行った。 時間が早かったせいでフロアはさほど混んでおらず快適に踊る事ができたのだが、先客のカップルに度肝を抜かれた。 2人ともメジャーリーグのベースボールジャンパーにカーハートか何かのペインターパンツの典型的アメカジファッションだったのだが、ご丁寧にメジャーリーグのヘルメットもかぶっていた。 そのヘルメットをかぶったままで延々と踊り続けるので、重みで […]