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生活

  • 2021年4月13日

初パチンコ

高校1年の時に写真部の部長に連れていってもらったのが人生で初のパチンコだと記憶している。 子供の頃に父親が駅前のパチンコ屋に行ったきり帰ってこないから迎えに行ってきて、と母親に頼まれて何度か店内に入った事はあったが、玉を弾いた事はなかった。   そのパチンコ屋は高校の近くのさびれた商店街の一角にあり、細い通りを隔てた前の店は確か特殊浴場で、数軒先には成人映画専門の映画館があるという極めて […]

  • 2021年4月11日

クォーツ時計

中学2年生だったと思う。 あまり生徒から好かれていなかった数学担当の教師が突然に自分の腕時計を指差して 「これはクォーツ時計だ」 と言った。   くうぅぉーつ? 初めて聞く言葉に生徒たちが反応できないでいるのがわかると、教師はおもむろに時計を取り外して手に取って見ていいと言った。 先頭の生徒から後ろに回り、隣の列の後方から前方に回る、誰も言葉もなくただ時計を見つめていると教師が 「気を付 […]

  • 2021年4月9日

(非公認)フォークダンス指導員

小学生の頃から、運動会の出し物のフォークダンスや民謡の振り付けの見本をやらされる機会が多かった。 中学に上がると、自分でもその気になったせいか、ほぼ全ての体育祭で出し物の見本を務めるようになった。 「マイム・マイム」、「オクラホマ・ミキサー」、「花笠音頭」、「郡上おどり 春駒」、「秩父音頭」 体育の教師に何故自分を選ぶのかその理由を聞いた所、「お前、楽しそうに踊るんだよな」と言われた。   […]

  • 2021年4月4日

生意気な性分 日本カメラ

高校ではバンド活動の傍ら、写真部に入っていた。 何かを撮りたい、表現したい、という高尚な動機ではなく、部室が学校の裏門から一番近いという理由だったような気がする。 いざという時には真っ先に学校から出ていけるし、誰にも会わずに暗室付きの部室に忍び込む事が可能だった。 だからと言って何かを企んでいた訳でもなく、ただただモチベーションが低かっただけなのかもしれない。   しかも貧乏だった。 新 […]

  • 2021年4月2日

生意気な性分 ホビージャパン

小学校3年の時に盲腸で入院して以来、病院の隣にあった模型屋がすっかりお気に入りになった。 歩いてはいけない距離だったので、放課後自転車に乗っていった。   その店では当時、「タミヤ」や「アオシマ」に加えて田舎のおもちゃ屋では見る事のなかった「ラベル」や「エアフィックス」といった海外メーカーのミリタリー系スケールモデルを取り揃えていた。 小学生で当然金を持っていなかったので、いつでも羨まし […]

  • 2021年3月27日

名相銀?

エポック社のサッカー盤で初めて遊んだのはいつ頃だろう。 多分「魚雷戦ゲーム」と同じ頃に家にあったと思うから1960年代後半かな。   夢中になって相手ゴールにボールを入れようとしてセンターフォワードのグリップを力任せに押した時のあの嫌な金属同士が擦れる音、 敵味方どちらの選手も届かない場所にボールが止まった時の間抜けな気持ち、 ゴールキックが飛び過ぎてスタジアムの外に出てしまった時の気ま […]

  • 2021年3月17日

夢殿

プラモデルが好きだった。 イマイのサンダーバードシリーズは親戚の叔父さんがよくプレゼントしてくれた。 ところが不器用なのか、どれもまともに組み上げる事ができない。 立体造形能力があまりないみたいだ。   盲腸で入院していた時、病院の隣が模型屋だった。 院内感染も治まり、退院が近づくと散歩がてらその模型屋に通い、何か本格的なものを作ってみたいと考えるようになった。   退院の日、 […]

  • 2021年3月16日

カラーテレビとのニアミス

どんな物にも寿命がある。 1969年、ビクターの白黒テレビは限界を迎えようとしていた。   当時は量販店ではなく町の電器屋さんが様々な家電を手配し、修理してくれた時代だった。 我が家にも東北から集団就職で上京して、頑張って独立して奥さんと二人で小さな電器屋を開業したてという好青年が足繁く通ってきていた。 (まるで「三丁目の夕日」のようだが、嘘つきだった父の話なので集団就職の下りは嘘かもし […]

  • 2021年3月15日

初めての名画座 アメリカン・グラフィティ

映画は地元の映画館でしか観た事がなかった。 当時地元の映画館は3館営業していて(内1つは成人映画専門の日活)、ほぼタイムラグなく新作や話題作を観る事ができたのでそれで十分だと思っていた。 中学2年の時に友人と新宿に行く機会があった。 そこで友人が「映画でも観るか」と言って連れていかれたのが新宿の東口にある何とかいう名画座だった。   まるで頭を殴られたような衝撃を受けた。 新宿に来れば、 […]

  • 2021年2月24日

狭い家なのに……

上の姉は音楽関係の仕事を目指しており、どうやら当時流行のヤマハエレクトーン講師として生計を立てていくらしかった。 ある日、学校から帰ると巨大なものが居間の大半を占拠していた。   出典:jp.yamaha.com   スティービー・ワンダーがドリーム・マシーン GX-1を使用するのとほぼ同時期だった記憶があるので、「狭い家なのにすごいマシンが来ちゃったな」という印象を抱いた。 […]