生活
- 2021年4月9日
(非公認)フォークダンス指導員
小学生の頃から、運動会の出し物のフォークダンスや民謡の振り付けの見本をやらされる機会が多かった。 中学に上がると、自分でもその気になったせいか、ほぼ全ての体育祭で出し物の見本を務めるようになった。 「マイム・マイム」、「オクラホマ・ミキサー」、「花笠音頭」、「郡上おどり 春駒」、「秩父音頭」 体育の教師に何故自分を選ぶのかその理由を聞いた所、「お前、楽しそうに踊るんだよな」と言われた。   […]
- 2021年4月4日
生意気な性分 日本カメラ
高校ではバンド活動の傍ら、写真部に入っていた。 何かを撮りたい、表現したい、という高尚な動機ではなく、部室が学校の裏門から一番近いという理由だったような気がする。 いざという時には真っ先に学校から出ていけるし、誰にも会わずに暗室付きの部室に忍び込む事が可能だった。 だからと言って何かを企んでいた訳でもなく、ただただモチベーションが低かっただけなのかもしれない。 しかも貧乏だった。 新 […]
- 2021年4月2日
生意気な性分 ホビージャパン
小学校3年の時に盲腸で入院して以来、病院の隣にあった模型屋がすっかりお気に入りになった。 歩いてはいけない距離だったので、放課後自転車に乗っていった。 その店では当時、「タミヤ」や「アオシマ」に加えて田舎のおもちゃ屋では見る事のなかった「ラベル」や「エアフィックス」といった海外メーカーのミリタリー系スケールモデルを取り揃えていた。 小学生で当然金を持っていなかったので、いつでも羨まし […]
- 2021年3月16日
カラーテレビとのニアミス
どんな物にも寿命がある。 1969年、ビクターの白黒テレビは限界を迎えようとしていた。 当時は量販店ではなく町の電器屋さんが様々な家電を手配し、修理してくれた時代だった。 我が家にも東北から集団就職で上京して、頑張って独立して奥さんと二人で小さな電器屋を開業したてという好青年が足繁く通ってきていた。 (まるで「三丁目の夕日」のようだが、嘘つきだった父の話なので集団就職の下りは嘘かもし […]
- 2021年3月15日
初めての名画座 アメリカン・グラフィティ
映画は地元の映画館でしか観た事がなかった。 当時地元の映画館は3館営業していて(内1つは成人映画専門の日活)、ほぼタイムラグなく新作や話題作を観る事ができたのでそれで十分だと思っていた。 中学2年の時に友人と新宿に行く機会があった。 そこで友人が「映画でも観るか」と言って連れていかれたのが新宿の東口にある何とかいう名画座だった。 まるで頭を殴られたような衝撃を受けた。 新宿に来れば、 […]