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生活

  • 2021年6月4日

雀球

アレンジボールと同じようにパチンコ屋の一角に雀球を置いてある店もあった。     アレンジボールと同じで大して稼ぐ事はできないのだが、アレンジボールとの違いは「本日のボーナス役」があり、景品、店によって異なるが地元ではショートホープやラークのタバコだった、がもらえた。 雀球は実際の麻雀と違って暗刻の方が作りやすい。 なので本日の役が「四暗刻」だと景品荒稼ぎだが、「一気通貫」だと […]

  • 2021年6月3日

アレンジボール

パチンコ屋に設置してあるアレンジボールにはまった時期がある。 当時のパチンコ事情は、500円使ってあの独特の緑の柔らかい箱一杯に玉が出て元が取れるか僅かにプラス状態。その上のサイズの緑の箱だと1,000円くらいの儲け、ドル箱で打ち止めしようものなら3,000円から5,000円の勝ちといった感じだった。 もう20年以上ホールに行ってないが、最後の方は40,000円使って50,000円稼ぐみたいな頭の […]

  • 2021年6月1日

生活の一大転機 2

生活でのもう一つの大転機、それは雑誌「POPEYE」を知った事だった。 それまでの自分は、学校に行く時はTシャツにジーンズかオーバーオール、突っかけサンダルかゴム草履を素足に履いて、ママチャリに乗る、髪もモスクワ帰りの叔母に定期的にカットしてもらうだけで、身だしなみにはほとんど注意も金も払わなかった。   そこに「POPEYE」、まるで黒船来航だった。 高校の行事の中で、春と秋に一回ずつ […]

  • 2021年5月31日

生活の一大転機

1978年に生活を一変させる2つの大きな出来事があった。 一つは経済事情の変化だった。   それまでは貧乏だったためLPが欲しくてもなかなか買えず、ジャケ写を眺めて思案するだけだった。 ところがパチンコでコンスタントに、コンスタントと言っても500円の投資で2,000円から3,000円程度の勝ちだったが、稼げるようになり、本当に負けなくなった。 計算上は3日続ければLPを1枚買える勘定だ […]

  • 2021年5月25日

「三丁目の夕日」の世界

子供の頃は欲しい物は商店で購入するのが基本で、あちらから御用聞きにきてくれるケースも多かった。 昔、実家が米屋の隣に住んでいたので、引っ越してからもそこのごろうさんが米とたまにプラッシーの配達をしてくれた。 魚屋のなかたけさんの御用聞きにくる若いお兄さんは大学を卒業したけど魚屋の後を継いだらしい。 いつも奉書巻紙みたいな紙に仕入れた魚の名前が手書きで書いてあった。 豆腐屋のお兄さんもカッコよかった […]

  • 2021年5月19日

高校の修学旅行 2

高校の修学旅行はなかなか体験できない冬の京都に触れる事ができて楽しかった。 東京駅で新幹線を降りてその場で解散だったが、丸の内線のお茶の水で降りて、駅前の純喫茶のようなパブのような薄暗い店で打ち上げをする事になった。   いつもの駅前で屯するバンドメンバー、パチンコ、麻雀仲間に加えて、四条でナンパした女子大生にすっぽかされた同級生も一緒だった。 皆でコーヒーを飲みながら煙草をふかし、雑談 […]

  • 2021年5月18日

高校の修学旅行 Maxine Nightingale – Right Back Where We Started from

高校の修学旅行の行先は京都だった。 制服もなく、校則もない高校の修学旅行は、時期も12月初旬でピークはとうに過ぎ、京都は冬を迎えていた。   基本は観光もそこそこにパチンコ屋や喫茶店に潜り込んで、適当に時間をつぶす普段と変わらない生活だったが、自分の意見が通った鞍馬と奈良の熊野古道だけは一生懸命歩いた。 そんな中、別グループで観光していた同級生が四条の喫茶店で地元の女子大生をナンパしたと […]

  • 2021年4月20日

喫煙習慣

タバコを初めて吸ったのは中学校2年、さびれた商店街の2階にある喫茶店でだった。 銘柄も覚えている。「スリーキャッスル」という洋モクだった。 最初の頃はカッコつけたくてただふかすだけ、というのを続ける内に、高校に上がる頃には手放せなくなっていた。 両親共に喫煙者だったので父親からくすねた「セブンスター」が自然と愛用のタバコになった。 その後、父親が「マイルドセブン」に変えたので自分も追随し、「ジャス […]

  • 2021年4月19日

黒まむしがお好きでしょ

駿台の夏期講習中、密かに気になっていた他校の女子と一緒に帰る事になった。 池袋にあった「カプリ」でランチを食べてから、東武東上線に乗った。   路線利用者以外で知ってる人は少ないかもしれないが、東武東上線は準急以上の電車に乗った場合、池袋から最初の停車駅成増までが異様に長い。 もちろんその間に中板橋やらときわ台やら駅がたくさんあるからだが、優に10分はかかる。   その日は夏休 […]

  • 2021年4月16日

高校時代のとある一日

行っていた高校には制服がなく、校則もなかった。 そのためすごく大学生に近い生活だった一方、自宅から高校までは自転車で行ける距離だったため、狭い移動範囲で事足りる小学生のような生活だったとも言える。   【とある一日】 朝、母はパートに出かけてしまうため、NHKの連続テレビ小説を観ながら餅を焼いて磯辺巻きにして食べる。 学校の始業時間は8時半、連続テレビ小説を8時15分まで観終えてから着替 […]