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生活

  • 2021年10月29日

スケート場でデート

地元にはスケートリンクがあってつい最近まで営業していた。 カラオケもプリクラもない時代、娯楽施設と言えば他には映画館くらいしかなかったので、色気づくと「スケート場デート」に飛び付く事が多かった。     その頃、アイススケートはとても苦手だった。 リンクに立った瞬間に前から見て足が「ハ」の字になってしまい、滑るどころではなくなる。 なので必ずどこのリンクにもいる得意げにスピード […]

  • 2021年10月28日

ボウリング

原初の恐怖を感じずにやれるスポーツ、ボウリングもそこそこ上手だったりする。 もちろん「ものぐさ」なので、ちゃんとした先生について定期的に練習した訳ではない自己流だが、ハイスコアは大学生の時に217を出した。   ボウリングが一代ブームとなったのは1970年末だそうで、さすがにその頃は鼻水垂らしたガキには何も思い出はない。 父親はずいぶんと得意だったようで、家には何個かトロフィーがあったり […]

  • 2021年10月26日

ローラースケート

極度の「ビビリ」だったが、水の中に潜ったり、高い所から飛び降りるといった類の原初の恐怖を感じないスポーツはそこそこ上達した。 その一つがローラースケートだった。   出典:AUCFREE|希少 昭和レトロ 靴のまま履くローラースケート 美品   小学生の時にはこんな感じの靴に取り付けるタイプのローラースケートが主流だったが、買ってもらえず、友達が滑るのをただ眺めるだけだった。 […]

  • 2021年10月25日

スポーツ適性

子供の頃から運動神経が悪い方ではなかったと思う。 小学校の時には市民体育祭の選手に選ばれていたし、高校の頃は体育教師よりも足が速かった。   だが自分には致命的な欠点がある。 極度のビビリだ。 海に連れていかれた時には救命胴衣を着けていたにも関わらずパニック状態で泣きわめき、自転車に補助輪なしで乗れるようになったのも近所で一番遅かった。 跳び箱も小学生高学年になるまでは怖くて飛べなかった […]

  • 2021年10月21日

POPEYEの影響力 片岡義男

1980年に「ブルータス」が創刊されたがしばらくの間は「POPEYE」を購読し続けていたと思う。 高校から大学まで読み続けた事でいい点も悪い点もあった。   【いい点】 ・テニスが上手になった。 ・ローラースケートが上手になった。 ・女の子とのデート、プレゼントのセンスが一ランク上がった(気がした)。 ・鈴木英人のイラストが世界一だと思った。 ・片岡義男のエッセイが世界一だと思った。 & […]

  • 2021年10月8日

軍用行李

ぐんようこうり 昔はどの家にも必ずあった?と思う。   鈴虫を飼うための火鉢を押し入れから取り出した時にその存在に初めて気付いた。 ばあちゃんに聞くと、押し入れには亡くなったじいちゃんの色々なものが押し込んであり、行李も火鉢もその一つだった。 行李と火鉢以外にも日本刀の鞘とか時代物の和剃刀も出てきた。   じいちゃんは某新聞社のカメラマンをしていたので従軍カメラマンとして戦地に […]

  • 2021年10月7日

火鉢で鈴虫を飼う

小学生の頃、鈴虫を飼うのが流行った。 下の姉が火鉢で飼うといいらしいという情報を聞きつけてきて、我が家でも早速押し入れの奥から古い火鉢を二つほど取り出した。 下の姉が友達からもらった数番の鈴虫を一生懸命育てていると、すぐに二つの火鉢一杯になるほどその数は増えた。 暗くなるとその透明な音色で鳴き出す、とてもよい趣味だと家族からも褒められたが、やはりやってしまった。 鈴虫の数が増えてきて外に逃げ出さな […]

  • 2021年10月6日

秋のバッタ祭り

自転車で30分も走れば荒川の河川敷に行けた。 秋になるとバッタを取りに橋沿いの河川敷まで自転車を走らせるのが常だった。   おそらくイメージできないだろうが、ここでいうバッタ取りは普通に野原でバッタを探して「見ぃーつけた」という雰囲気のものではなかった。 一歩歩けば草の中から各種のバッタたちが無限に湧き出す。トノサマバッタもいれば、ショウリョウバッタもクツワムシもいたが、その群れに飲み込 […]

  • 2021年10月1日

地元の歓楽地を思い出してみる

中高校生の頃は、些細な事に影響を受けた。 通学路に「にっかつロマンポルノ」映画の看板が出ているだけで一日もやもやしたり、前の夜に覗き見した「11PM」を考えて興奮したり、何かにつけて多感だった。 人間は育つ環境に大きく左右されると言うが、こんな自分を育んだ地元の歓楽街事情はどんなものだったのだろう。   地元は地方の城下町で、いわゆる「三業地」は町中にいくつも残っていたが、どこも寂れてい […]

  • 2021年9月30日

地元のパチンコ屋を思い出してみる

高校生の頃は地元近辺の郊外型パチンコ店舗に行く術がなかったので、パチンコといえば地元商店街の中で打つものだった気がする。 例のごとく駅から記憶を辿ってみる。 まず駅前にどかんとあったのが「いこい」、少し商店街寄りに「クラウン」、そのはす向かいに「ニューフジ」の3軒があった。 駅近くにあった「ファミリーレーン」というボウリング場の一部がパチンコ屋に商売を替えていたが、これはとりあえず無視しておく。 […]