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生活

  • 2022年1月2日

井戸のある暮らし

子供の頃は家に井戸とそこから水を汲み上げるポンプがあった。 地元は地下水が豊富だったようで、皆「カルキ臭い水道水なんて飲んでられっか」という感じだったらしい。 井戸がなくなって水道水に変わった際にも大人たちは「カルキ臭い」を連発していたのを覚えている。 子供の時分はカルキが何なのかわからないままだったが、東京で暮らすようになってから水道の蛇口の周りにびっしりとつく白い固まりを見て、「ああ、これがカ […]

  • 2022年1月1日

大晦日の過ごし方

中学生の頃までは「レコード大賞」、「紅白歌合戦」を家で観るものだと思っていた。 高校生になってから明治神宮とか鶴岡八幡宮とかのいわゆる初詣の名所に夜通しで行くようになり、まったくテレビは観なくなった。 大学生になると今度は車で初日の出を見に出かけるようになったのでガールフレンドとまったりするのが常となった。 社会人になるとさらに経済的にも潤ったので、軽井沢プリンスのコテージやら何やらに行くようにな […]

  • 2021年12月28日

ジローのオリジナルニット

1980年、スキーが人気で、町のファッションもスキーを意識したものが多い時代だった。 自分はあまりその波に乗れず、町中のリバティベルのダウンだらけの状況を横目で見ているような状態だった。   そんな中、青山にあるスキーショップジローではオリジナルニットを発売していた。 全面カラフルな糸を用いて自分の名前を模様にしてニットのジャケットに編み上げたものでとても可愛らしかった。   […]

  • 2021年12月21日

三度、音楽への目覚め Prince – 1999

1981年に「POPEYE」で音楽特集の号だったか特集ページがあった。 そこでは、Morris Junie Wilson (Junie), Parliament, Prince, Cameoとあともう一人、Linton Kwesi Johnsonだったかな、が「聴いておくべきアーティスト」のような感じでアルバムと共に紹介されていた。 5組とも見事に知らなかったが、説明を読むだけでゾクゾクした。 & […]

  • 2021年12月20日

家庭教師始め〼 Men at Work – Down Under

色々バイトをしたけれど、結局1981年から始めた家庭教師が一番長くて5年+1年やった。 その次は喫茶店のフロア係で、2軒で通算2年半くらい。 後は単発で警備員、ビル清掃、クーラー設置、引っ越し手伝い、データパンチャー、選挙運動員もやった。   そんな中で家庭教師は安定性と効率が抜群だった。エージェントに登録せず、口コミだったのもあるけれど、ピーク時には週に3件、5~6日間、中高の子供を教 […]

  • 2021年12月19日

一番最初に見た芸能人

1969年に高倉健さんにサインをもらったのが一番最初だと思っていたが、それよりも前に会っているかもしれない人が2人ばかりいた。   一人は女優の新珠三千代さん、選挙応援で車から手を振っているのに遭遇した。 あっ、細腕繁盛記の人だと思って車に近づき、握手できるくらいの距離になったけど、自分の母親、いやクラス中の母親と化粧が違っていた。 多分芸能人メイクだったんだろうが、肌理が細やか過ぎてこ […]

  • 2021年12月9日

ボート小屋のバイト Quincy Jones – Ai No Corrida

ゴールデンウイークにバイトに誘われた。 山中湖の貸ボート屋での住み込みバイトだ。   貸ボート屋だけでなくレストランや民宿も手広くやっている家だったのでそこに泊まらせてもらい、朝はドンブリの卵かけご飯、野沢菜食べ放題、昼と夜はレストランでハンバーグを食べさせてもらった。 それだけでも十分な待遇なのに、仕事自体も貸しボートの手配だけでなく、ボートを漕ぐのに慣れていない女の子とかが来ると乗船 […]

  • 2021年12月7日

子供の頃行ったレストラン

子供の頃は年に二、三回父親が外食に連れて行ってくれた。 今になって考えれば夏と冬のボーナスの時だけだったかもしれないが、滅多にない家族サービスなのでとても嬉しかった。   お決まりのコースと言えば地元のメインストリートにあった「太陽軒(途中でレストラン太陽に名前が変わった)」に行って洋食を食べる事だった。 オムライス、ナポリタン、ミートソーススパゲティ、ハンバーグ、ポークソテー、全部この […]

  • 2021年12月6日

坪田直子さんのサイン

1980年頃は、いつでもバックパックにフリスビーを入れて歩いていた。 自分が通っていた大学はアメリカナイズされていてバックパック使用者がとても多かったが、地元でバックパックなんぞを背負っていると「山でも行くんかい」と言われる時代だった。 しかもその中にはフリスビー、ただのイカレ野郎だ。   いつものようにディスコ仲間のK君、議員の息子Hとフリスビー投げ合っていると、後から合流したM君が「 […]

  • 2021年12月3日

フィーバー前夜

高校生の頃、モーニングを食べた後いつもの駅前のパチンコ屋に駆け付けるとアレンジボールコーナーが新台入替で、人だかりができていた。 よく見るとアレンジボールではなくパチンコ台のようだったが普通と様子が違った。 盤のセンターのギミックを玉が通る仕掛けではなく、スロットのように三つのドラムになっていた。 で、玉が入賞するとスロットが回るので、ボタンを押して止める、そして絵柄に応じてチューリップの開く数が […]