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生活

  • 2022年4月4日

老婆のいる撞球場

自分の地元、旧市街のいわゆる三業地区の辺りに、普通の民家にしか見えないけどビリヤード台が置いてあって、突かせてくれる撞球場があった。 細い道の途中にあるのだが看板など出ているはずもなく、門をくぐって、中庭を通って、引き戸を開けると四つ玉の台が二台置いてあり、壁には貸出用のキューがずらっとかかっていた。 壁の切れ目には「マッセ禁止」の張り紙が貼ってあり、その下で店番のおばあちゃんが椅子にちょこんと腰 […]

  • 2022年4月1日

みんなで歌おう、今週の歌!

中学2年の時の担任の発案で授業終わりのHR後には、担当が持ち回りで「今週の歌」を教室後ろの黒板に書いておいて、それを1週間歌うのが習慣だった。 最初の内は自分の好きなアイドルの曲を恐る恐る書くような状態だったが、途中からエスカレートしていき、自分が担当の時には夏木マリの「おてやわらかに」を今週の曲として書いた記憶がある。 当然夏木マリの「絹の靴下」もその前に選ばれていた。   夏木マリ […]

  • 2022年3月8日

(パパが)クルマを買い替えた

1983年、突如この日が来た。 父親がコラムシフトのコロナを買い替える、しかも新しい車はスカイラインだと言う。   どうせ新車を買うはずがないので中古だとすると、「ケンメリ(四代目)」か「ハコスカ(三代目)」もワンチャンあるかもしれない。 わくわくしながら納車当日を待つと、やってきたのは中古のスカイライン、1800TI(五代目)、色はモスグリーンという渋いチョイスだった。   […]

  • 2022年3月7日

ゲームとの付き合い 1983年

この年もテーブルゲームは新作登場ラッシュだった。 中でも「ハイパーオリンピック」は皆が夢中になり、ボタン連打のし過ぎで流血していたと思う。 流血を防ぐために定規が用いられるようになり、ガチャガチャのカプセルの半球を持ち込んでボタン連打する猛者もいた。 そうして筐体はボタンが磨滅し、やがてゲーム自体が忘れ去られた。   「ゼビウス」という名作も生まれた。 これについてはどうにか二面までクリ […]

  • 2022年2月28日

アンゴルモア

「カッパブックス」と並んで駅の売店に置いてあったイメージがあるのは「祥伝社のNONブック」、「ゴマブックス」この辺りだろうか。 でもノストラダムスの大ブーム以降は本屋でもNONブックが買えるようになった記憶がある。   あの時代に生きていた人は皆読んだんじゃないかと言われる「五島勉の大予言」、当時は本当にまずいと思った。   ノストラダムスの大予言 迫りくる1999年7の月人類 […]

  • 2022年2月26日

人生ゲーム

タカラの人生ゲームは発売と同時に人気になり、多くの家にあった。 元々は「アメリカンゲームシリーズ」の一つとして発売されたもので、「手さぐりゲーム」や「レーダー作戦ゲーム」を買った家もあり、自分の家には「ピッタンコゲーム?」だったか、吸盤の付いたスティックで数字の書かれた同色の場札をペタンと叩くゲームがあった。   二十年前くらいに三田の札ノ辻にあった都税事務所に納税書類を提出に行った時に […]

  • 2022年2月17日

1983年 Big Country / Jo Boxers

1983年、本来であれば大学を卒業する年だったが、留年確定したために足りない単位を取りに学校に通う毎日だった。 そんな年、この曲はずいぶんと売れた。   Big Country | In a Big Country Big Country | In a Big Country(1983)   これはPVのダンスが可愛くて好き。   Jo Boxers | Just G […]

  • 2022年2月13日

ルパン三世のような 顛末

結局、初代ミニカは数か月乗った所で車検切れとなった。 こうなると色々と手続きが煩雑だった。 名義変更すらしていなかったので車検を継続する事もできず、まずはクルマをくれた高校の生徒会長にどうにか連絡を取った。 この高校の時の生徒会長というのが非常にファンキーな人間で、高校時代は父親と『当り屋』をやっているともっぱらの評判だった。 確かによく学校で包帯ぐるぐる巻き状態の会長を見かけた事が二、三度あった […]

  • 2022年2月12日

ゲームとの付き合い 1982年

この年に発売された「ディグダグ」とか相変わらず議員の息子Hは上手だった。 今になって思えば、アーケードゲームの上手さはどれだけ100円をつぎ込めるかがポイントだった。裕福な奴は無尽蔵に100円を消費していたのに比べて、経済的にあまり余裕のなかった自分はほぼどれをやっても下手だった。   そんな中でも「アルペンスキー」は比較的よくできた方だった。 滑降、大回転、ジャンプの3面で1セットなの […]

  • 2022年2月11日

ゲームとの付き合い 1981年

何故かこの年になると少し遊べるゲームが出てきた。 「ラリーX」、「ギャラガ」、そこそこクリアできるようになった。   下の姉が「宝石鑑定士になる」と言い残してアメリカに旅立ったのもこの年だった気がする。 初めて行った成田空港で帰国する姉を待つ間、任天堂ゲーム&ウォッチの火事場から人が落ちてくるのを助ける奴をずーっとやっていた記憶がある。