入社してからは青山オフィスではなく、神谷町のトレーニングセンターで新入社員研修を受ける事となった。
何しろそれまで毎年若干名しか新卒採用していなかったのが、自分の代になって一気に40名近くの新人の数だった。
きっと会社が本気になって日本市場での成長を考え始めたのだろうという事だった。それでも部門の全社員で150名程度だった気がする。
神谷町での生活は極めて快適だった。
出社すると研修ルームに先輩マネジャーが来る。
そこで皆、ひたすら例の米国流懇切丁寧マニュアル(英文)を読み続け、定時になると帰るの繰り返しだった。
確か最初の方はコンピュータの基礎知識、「OSとは?」「CPUとは?」のような内容だったと思う。
昼は神谷町近辺の喫茶店やレストランで取り、先輩マネジャーが優しい人の場合は午後部屋を抜け出して喫茶店でさぼったり、何て楽な社会人生活なのかと感じた。
ただ一つ、自分だけ蚊帳の外だったのが、7月頃から行われるシカゴ本社研修の後の夏休みの話だった。
「ニューヨーク」、「ナイアガラ」、「キューバ」、「アラスカ」、皆行きたい場所に思いをはせていたが、自分はそもそも7月には本社研修が受けられないと言われていたためだ。
Phoebe Snow | San Francisco Bay Blues(1974)