1984年は喫茶店やゲームセンターでゲームをやらなかったので何の思い出もないが、実はその前の年、1983年に任天堂ファミリーコンピュータが発売されたが、キラーコンテンツも出ないまま廃れていくのかなという状況だったようだ。
1985年になり、発売されたのが「スーパーマリオブラザーズ」で一気に社会現象になった。
ソフトどころかハードも全く手に入らない、ようやく下の姉が御徒町の紫色のビル、多慶屋で売れないソフトと抱き合わせになった本体を買ってきた。
多分最初にやったソフトは抱き合わせの「プーヤン」だったと思う。
その後無事マリオのカセットも手に入れ、下の姉と夢中になってプレイした。
お金を使わず、何度でもやり直せるのは自分のようなゲーム下手には極めて画期的な事で、それこそ寝食を忘れるほどだった。
当時のお約束、攻略本も買い、初めて8-4のクッパを通り抜けた時の喜びは今でも忘れられない。
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