1982年は幸せな年

大学生活前半のサボりが効いて、ほぼ留年する事が確定だった。

1982年、グレード上は3年生(Junior)で次の年には4年生(Senior)になれるけど、単位的にもう一年Seniorやってねという計算にしかならなかった。

 

これではいけない、大学生活がただの時間の浪費でしかないと思い、専門知識を身に付ける事にした。

社会科学学科の経済学の教授に付いていたのだが、経済学というのはどうもふわふわして自分には向いていなかった。

そこで専攻を変更し、経営学と会計学の教授お二人に世話になる事にした。

 

結局、この時の選択が正解だったのだったようだ。

ペイトン・リトルトンの「Corporate Accounting Standard」を原書で読まされるのは辛かったが、後に履修するコンピュータ概論と併せて、

「英語が話せて、会計がわかって、コンピュータが使える」、企業から見た即戦力学生になる事ができた。

 

音楽で1982年を振り返ってみると、洋楽、邦楽を問わず幸せな音楽が提供され、それを聴くこちらもとてもハッピーな気分だったような極めていい加減な印象がある。

山下達郎、松任谷由実は言うに及ばず、大瀧詠一、南佳孝、クルマの中では常にこの辺がローテーションでかかっていた。

一方洋楽に目を向ければ、マイケル・ジャクソンやスティービー・ワンダーは絶好調、Steely Danのドナルド・フェイゲンは「The Nightfly」という超のつく名盤をリリースした。

とてもいい年だった記憶がある。