ひいばあちゃんと

自分の中のほぼ最初の記憶。
多分ばあちゃんの母だか祖母だか、とにかく自分にとってひいばあちゃんにあたる人が秩父の山中からやってきてしばらく滞在した。

初めて会うひいばあちゃんは90歳はとうに越えていただろう、くしゃくしゃの梅干しのような顔の人だった。

うちは共働きで、姉たちも学校があったので、家にいるのはばあちゃんとまだ幼稚園に行く前の自分だったが、ある日、ばあちゃんが不在でひいばあちゃんと2人きりで茶の間に残される事態となった。
茶の間のビクターのおんぼろの白黒テレビ(ロゴは有名なHis Master’s Voiceですね)からは開催中のオリンピックの競技中継が流れていた。

90歳近く年の差がある二人で話す事もなく、ぼーっと無言でテレビを観ていた時に、突然ひいばあちゃんが口を開いた。
「これは何の種目だい?」

いきなりの質問に面食らい、必死になってテレビ画面を凝視した。
「……棒高跳びだって」
画面に出た漢字を読んでひいばあちゃんに伝えた。

「棒高跳びって何だい?」
「……」
その後は再び無言でテレビを観続けた。

 
後で調べるとこの時の棒高跳びは9時間もかかる歴史に残る死闘だったみたいだ。

 

47NEWS

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出典:47NEWS|月夜の死闘、9時間余 1964年10月17日 「再現日録 東京五輪の10月」(17)