藝術家の感性

高校時代はジャングルジム事件以外でもたびたび職員室に呼び出された。

私服OKの学校だからと言って、当時オーバーオールにサンダル履きの生徒はいなかったらしく、それだけで目を付けられていたようだ。

職員室に呼び出される度に言われたのは、「お前、〇〇先生の手前、恥ずかしくないのか」だった。

 

〇〇先生というのは母親の妹のご主人、つまり叔父さんにあたる人で、美術教師をしていた。

自分は3年間音楽専攻だったので、美術の授業を受けた事はなかったが、叔父さんは東京美術学校(現在の東京藝術大学)で洋画を学び、寡作だったが銀座で個展もやるようなれっきとした洋画家だった。

 

叔父さんはいつでもスモックを着てベレー帽をかぶり、猫車に美術道具を乗せながら校内を徘徊していた。

たまに職員室でばったり顔を合わせる事があり、照れながら挨拶をすると、「こんにちは」とだけ返してくれた。

 

成人してから親戚一同が集まった酒の席で、自分が高校生の時、何度も職員室に呼ばれるので肩身が狭くなかったか尋ねた。

叔父さんは「元気があってよろしい」と一言だけ言ってくれた。