生活の一大転機 2

生活でのもう一つの大転機、それは雑誌「POPEYE」を知った事だった。

それまでの自分は、学校に行く時はTシャツにジーンズかオーバーオール、突っかけサンダルかゴム草履を素足に履いて、ママチャリに乗る、髪もモスクワ帰りの叔母に定期的にカットしてもらうだけで、身だしなみにはほとんど注意も金も払わなかった。

 

そこに「POPEYE」、まるで黒船来航だった。

高校の行事の中で、春と秋に一回ずつ、クラス全員で行きたい場所を決めて日帰りの旅行をする遠足のようなものがあった。

日帰りで行ける限界、という事で鎌倉、湘南になる場合が多いのだが、1978年の春遠足も鎌倉に決定した。

でも正直鎌倉には飽きていた。
デートと言えば鎌倉、バンドメンバーとの初日の出&初詣と言えば鎌倉、何かあれば鎌倉だった。

今更クラスの奴らと行ってもなあ、と思いながら駅に着き、グループで鶴岡八幡宮に行く予定だったが、小町通で時間をつぶすと言って離脱した。

何度か行った事のあるジャズ喫茶に行こうと思ったが、昼過ぎでまだ店が開いてなかった。
仕方なく本屋で立ち読みでもしようと何気なく手に取ったのが「POPEYE」だった。

 

「ぴあ」や「シティロード」といった情報誌はそれまでにも映画のスケジュールやジャズ喫茶の場所を調べるのに利用していた。
「POPEYE」もそれらと同じ種類の情報誌だろうから、もう十分だし、と思って手に取ったら大間違いだった。

シティ・ボーイ?

何だこれは
あまりにも大量の見た事のない情報。

現在の自分には一つも理解できない、別世界での出来事が記してあった。

 

結局、これがきっかけで妙に色気づいて後の人生が軟弱なものに変わっていったような気がする。

 

出典:AUCFREE|POPEYEポパイ 1978年 No.22-41/43 21冊

 

この写真の左上の号が運命の一冊だったと思う。