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4 夜叉王
シロンを抱えたスフィアンが突然目の前に現れたのを見て、カクカは腰を抜かしそうになった。
「スフィアン、どこに行っていた。東の都の兵が戻ってくるぞ……ん、それはシロンではないか。生きているのか?」
スフィアンは小さく首を横に振り、カクカに告げた。
「北の都に向かう」
スフィアンはぐったりとしているドードに近付き、シロンをその背中に乗せた。ドードは目を開け、悲しそうに一声鳴いた。
「ドード、もう一働きだ。夜闇の回廊に向かうぞ」
「な、何故だ。そのまま北の都のポートから脱出するべきではないか?」
「カクカ、まだやる事が残っているんだ」
夜闇の回廊付近は以前サフィたちが訪れた時とは違って鉄の柵で厳重に警護されていた。柵の向こうには墓地が広がり、その一番奥に黒い闇がぽっかりと口を開けていた。
スフィアンは無言のまま警護の兵士たちを打ち倒し、ドードを労わりながら鉄の門を開けて中に入った。カクカは必死になってスフィアンに付いていった。
墓地を通り抜けると黒い闇が姿を現した。回廊全体の大きさは何キロに渡っているのか見当もつかなかった。目の前には直径二メートルほどの円形の渦を巻いているような入口が静かに口を広げていた。
スフィアンはシロンの体をドードから降ろし、自分の腕に抱えて回廊の入口に向かって歩き出した。ドードは力なく地面にうずくまり、呼吸をするのがやっとのようだった。
「スフィアン、何をするつもりだ?」
ようやく追いついたカクカが声をかけた。
「カクカ、おれはArhatと話をした」
「Arhat……羅漢、創造主か?」
「奴はこう言った。『ドノスは別の空間に逃げたので討ち取れない。今は闇に身を投じて夜叉として転生し、いつの日かドノスに仇を為せ』と」
「確かに空間を逃げ回るドノスを討ち取るのは難しい。だが、しかし――」
「ドノスは死にはしない。奴はこれからも罪なき人々を実験材料にして肉体改造を重ね、いつまでも生き永らえる。だったらシロンとおれも生き永らえて、たとえ何年、いや、何千年かかったとしても奴に引導を渡す。そのために夜叉になる――これを受け取れ。シロンの剣だ。ツクエたちが来たら渡してやってくれ」
スフィアンは飾りの付いた鞘に納まった『スパイダーサーベル』をカクカに投げて寄越した。
「……スフィアン、どうしても行くのか?」
シロンの剣を受け取ったカクカは尋ねた。
「ああ、色々世話になったな――おれはシロンを守れなかった。シロンのいない世界などに何の意味もない」
さらに一歩進むと、瀕死のドードが立ち上がり、スフィアンにすり寄った。
「そうか、ドード。お前も一緒に行くか」
スフィアンはドードの頭を優しく撫で、シロンを抱えたまま闇の中に吸い込まれた。
しばらくしてツクエとドロテミスが到着した。回廊の前ではカクカが呆けたように座り込んでいた。
「カクカ、こんな所にいたか」
「他の連中は。ケイジは、スフィアンは、シロンは?」
カクカはドロテミスの全ての問いに首を横に振った。
「皆、行ってしまった。もう帰ってこない――スフィアンとシロンとドードはこの闇の先だ」
カクカはそう言ってシロンの剣をドロテミスに渡した。
「これはシロンの――ちきしょう、何だってんだ」
「カクカよ。これからどうする。司空を討ち取りに行くか?」
ツクエの質問にカクカはようやく正気に返ったような表情になった。
「いや、引き上げよう――今回は痛み分けだ」
「何でだよ。後は小者ばっかりじゃねえか。すぐに蹴散らしてやるよ」
「ドノスはすでに手の届かない別の空間に逃げ込んだらしい。これ以上無駄な殺戮を行っても仕方ない。互いに十分過ぎるくらい傷を負った。《享楽の星》も他の星を攻めるような真似はできないから安心して帰ろう」
「――納得できねえよ。ドノスを討ち取って……そうだ、威徳殿に治めてもらえばいいじゃねえか」
「それは無理だ。あの方は間もなく別の星に移住される」
「何だよ。これだけ犠牲を出して無駄骨だったって事かよ」
「ドノスに恐怖心を植え付けただけで良しとせねばならん――が、私たちは計画通りに動かされていただけなのかもしれん」
「何だそりゃ?」
「何でもない――さあ、私とスフィアンが乗ってきたシップが北の都のポートに置いてある。それに乗って帰ろう」
カクカは帰り際に夜闇の回廊を振り返った。これから何年、何百年、いや何千年の後に、再びこの星が赤い血で染まるのだろうか。
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