目次
3 バーズアイ
新しい侍女は、ポワンスの心配とは違って、王宮に出仕したばかりの素朴な娘たちだった。ナラシャナの慈愛の精神に触れ、すぐに打ち解けたが、ローミエにも同じように起こった事を包み隠さず素直に伝えているのが容易に予想できたため、ポワンスはくれぐれも慎重に行動するように言った。
ポワンスはブッソンとの世間話の中で、リーバルンが未開の森に行っているという情報を聞きつけた。それをナラシャナに伝え、「どのみち、お会いできなかったんですね」と慰めた。
ポワンスは侍女たちの懐柔に成功した。王宮を出られないナラシャナのためと称して、一日の数時間はポワンスとナラシャナだけで過ごすのを黙認させた。王宮に籠りっぱなしのナラシャナのお腹が目立たないように、さらしを巻き直し、ブッソンから仕入れた世間話をしてあげるのが日課となった。
日が経つにつれ、ナラシャナのお腹は隠しきれないほど大きくなった。
ある日、ポワンスは侍女たちが交替のために二人揃った時間を狙ってブッソンの館に呼びつけた。
「あなたたちに言っておく事があるわ。お嬢様のお腹の事だけど――どういう意味かわかるかしら?」
「……え、どういう事でしょうか?」
素朴な少女たちは、本当に何もわかっていないようだった。ポワンスは心の中で「しまった」と思いつつ、声の調子を一段落とした。
「どんな事かまで知る必要はないの。ただローミエ様やヤッカーム様には絶対に伝えないでほしいの――もしも口外したら……その時はあなたたちに呪いがかかるわよ」
「……えっ、呪いですか……言いません。絶対に誰にも言いません」
「人に言わなければ大丈夫よ。お願い、お嬢様を好きでしょ?」
「はい、大好きでございます」
「呪われたら、大好きなお嬢様に会えなくなるのよ。そんなの悲しいじゃない?」
二人の侍女を帰してから、ポワンスは「ふぅ」とため息をついた。
翌朝、ナラシャナは突然、猛烈な腹部の痛みに襲われた。
(……これは……陣痛?)
すぐに侍女が飛んできた。
「お嬢様、どうなされました?」
「……大丈夫、大丈夫よ。すぐに良くなるから」
「人を呼んで参ります」
「だめ、だめよ」
ナラシャナの静止も聞かず、侍女は部屋の外へと走り去った。
(まずいわ。人に見られたら、大事になってしまう)
侍女が駆け込んだのは意外にもポワンスの所だった。ポワンスと侍女は大急ぎでナラシャナの下へと戻ったが、そこに彼女の姿はなかった。
「どうしたの。いないじゃないの?」
「さっきまで……お腹を押さえて苦しそうにされていたんです」
侍女は泣き出しそうになって答えた。
ポワンスはしばらくの間、黙っていたが、やがてきっぱりとした口調で侍女に言った。
「いい。ここで起こった事、誰にも言っちゃだめよ。大好きなお嬢様が困るのは嫌でしょ?」
「……はい」
「いい子ね。もう一つお願いがあるのよ。交替の子が来たらお話しするからここで待ってなさいね」
プトラゲーニョは朝の調練後の散歩を日課としていた。領内を自由に飛び回れるこの時間こそが、生きている実感を得られるような気がして、日課を欠かす事はなかった。
特に決まったコースを飛んでいる訳ではなかったが、その日は東に行こうと思い立った。
爽やかな風が体に吹き付けた。まだ若い者にはひけを取るはずはない、気が付けば向かい風にむきになって張り合って、水に棲む者の領地との境界近くまで飛んでいた。
慌てて引き返そうとして、振り返ったプトラゲーニョの視界の端にきらりと光るものが飛び込んだ。
ゆっくりと水に棲む者の領地の方に向き直り、はるか下の地上を確認した。確かに地上できらきら光を放って見えるのはバーズアイだった。
(あの色は確か……)
プトラゲーニョは慎重に地上に降りていった。降り立った場所が清廉の泉だったのに気付いたプトラゲーニョは苦笑した。
(ここに来るのは久しぶりだな。そう、あの時以来か――
若かりし頃、プトラゲーニョは清廉の泉を訪れた事があった。霧に包まれた泉には先客がいた。岩陰からそっと覗くと、そこでは一人の若い女性が水遊びをしていた。
プトラゲーニョは女性の美しさにたちまち心を奪われてしまい、その場から離れられなくなった。
どのくらいの時が経ったのだろう、お付の女性の「マイア様」と呼ぶ声にプトラゲーニョは我に返った。
自分はとんでもない真似をしでかす所であった、ワンクラール王の妻であるマイア王女を、覗き見しただけでなく、心まで奪われてしまうとは。
プトラゲーニョはその日以来、二度とこの場所には近寄らない誓いを立てた。
――懐かしい話だ。マイア王女はあの後、娘を産み、間もなく亡くなったらしい。あの時、力づくにでも奪い去っていれば、この世界のありようが変わったかもしれないが、わしにそんな勇気があるはずもなかった)
プトラゲーニョはバーズアイが光ったと思われる地点まで、思い出に浸りながら霧の中を歩いていった。
岩の上に女性が倒れていた。プトラゲーニョは女性を抱え起こして、その顔立ちに思わず息を呑んだ。
(マイア王女?……いや、そんな訳はないが良く似ている。とするとその娘、名は何と言ったか。この間リーバルンが言っていたな)
「これ、しっかりせんか。大丈夫か?」
プトラゲーニョが軽く頬を叩いて起こそうとしたが、ナラシャナは意識を失ったままだった。ナラシャナの首からバーズアイが下がっているのを見たプトラゲーニョは再び唖然とした。
(リーバルンのバーズアイを持っている、つまり何かしらの関係があると考えるべきだ。しかしこの娘のマイア王女に似ている事と言ったら――どうやら込み入った事情がありそうだ。このままわしが水に棲む者に返しに行くのもまずいし、かといって山鳴殿に連れて行く訳にもいかん)
プトラゲーニョはぐったりしたままのナラシャナを抱きかかえ、空に飛び上がった。そしてそのまま一気にミサゴを目指した。
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