目次
3 再会
ナラシャナがリーバルンに初めて出会ってから五昼夜後、リーバルンとスクートは『清廉の泉』に再びやってきた。
「やっぱり来てないですよ。もう帰りましょうよ」
スクートが言うと、リーバルンは笑顔で答えた。
「もう少し待とう」
霧に包まれた泉の東端に二つの影が見えた。影はリーバルンたちの方に向かってきた。
「ごめんなさい。お待ちになりました?」
花のように美しいナラシャナがポワンスを連れて現れた。
「いえ、今来たばかりです」
リーバルンはにこりと笑った。
「……あの、何をお話しすればいいのでしょうか?」
「何でもいいんですよ。あなたの子供の頃の事、最近のお天気、そうだ、世界の中心亭の主人の話なんていうのはどうでしょう?」
「楽しそうですわ」
「それは良かった――ああ、スクートはポワンス殿とここで待っててくれないか。ぼくらは散歩しながら話をしたい」
「はあ、えっ」
スクートは引きつった笑いをポワンスに向けた。ポワンスも仕方なくスクートにお義理で笑い返した。
「驚きました。リーバルン様は『空を翔る者』の王子だったのですね」
水面を裸足の足で軽く蹴飛ばしながらナラシャナが言った。
「そう言うあなたも、きっと高貴な家の方なのでしょう」
「いえ、私は」
「……あなたがどんな出自だろうと構わないのですよ。私はあなたの事が知りたい。教えて下さい、あなたという方を」
「リーバルン様は強引なのですね」
「気に入りませんか?」
「ええ、とても」
「あははは、あなたは正直な方だ。さあ、もっと話をしましょう」
「うふふふ、リーバルン様の事もお聞きしたいですわ」
「ねえ、ねえ」
泉で所在なさげに待っているスクートにポワンスが話しかけた。
「あのリーバルンって人、本当はいいとこの坊ちゃんなんだろ?」
「えっ、やっぱりわかるかい?」
スクートは前回と打って変わったようなポワンスの砕けた口調に戸惑いつつ答えた。
「わかるわよ。うちのお嬢様と並んでる姿見ると『ああ、育ちのいい者同士は絵になる』って思うもの」
「その、何だ、あんたんとこのナラシャナ様もかなり高貴な出自なんだろ?」
「知らなかったのかい。ナラシャナ様はワンクラール王の一人娘だよ」
「えっ!」
リーバルンとナラシャナは急速に惹かれ合った。清廉の泉で会う機会が増え、霧に包まれた泉は二人の安らぎの場所となった。
今日も二人の後ろ姿を見送るポワンスが同じく待機組のスクートに声をかけた。
「恥ずかしい話だけどね、空を翔る者なんて野蛮で下品だと思ってたのさ」
「ん、ああ、おれだって一緒だよ」
「あんたたち見てると悪い人じゃないって思えてね。どうして仲良くできないんだろうねえ」
「そりゃまあ、長い間続いたしがらみがあるんだろうよ。リーバルン様とナラシャナ様がそのつまんねえ壁をぶっ壊してくれるんじゃねえのか」
「そうなるといいけどこの先の事を考えると気が重いわ」
「まあ、考えても仕方ねえや。おれたちにできるのはお二人をお守りする事だけだ」
「うまくいってもらいたいねえ」
「ああ、そうだな」
そんなある日、リーバルンとスクートが手にたくさんの布を持って泉に現れた。
「どうなされたんですか。そんなにたくさんの布を」
驚いたナラシャナが尋ねた。
「今日はある場所にお連れしようと思いまして。そのための変装道具一式です」
「まあ、どこに連れて行って下さいますの?」
「ホーケンスです」
「そりゃ無理ですよ、リーバルン様」と言ってポワンスが首を横に振った。「今から出発したら着くのは明日になっちまいますよ」
「ははは、空を飛んでいくんです。そうすればあっという間に到着しますよ。さあ、急いで変装して」
今日も『世界の中心亭』は賑わいを見せていた。店主のトイサルはフロアの奥にどっしりと座ったまま店内に目を配っていた。
従業員の一人がトイサルの下に走り寄ってきて、トイサルはぐいと頭を下げた。従業員は背伸びをしながら耳打ちをした。
トイサルは一つ頷いてから立ち上がり、店の奥へと消えた。
裏口のドアの所には見覚えのあるマフラーを顔からかぶった男と白いスカーフをかぶった女が立っていた。
「やあ、約束通りここに来たよ」
「……リーバルンか。久しぶりだな……そっちは噂の彼女か。早く二階に上がれよ」
二階の個室に入ってようやく二人は被り物を取った。
「トイサル、この方が私の恋人、ナラシャナだ」
ナラシャナを紹介されたトイサルは何も言えずにぽかんと口を開けた。
「あ……お、お前、何言ってんだ。こうしちゃいられねえ。誰も来ないようにしないと」
トイサルは急いで階段を降りて、誰も入って来ないように命令し、両手に飲み物と食事の大きなお盆を持って戻った。
「自慢の料理だ。食べてくれ」
トイサルはようやく自分専用の椅子に腰かけた。葉巻に手を伸ばしたが、食事中なのを思い出して火を点けるのを止めた。
「……しかし驚いたな。長い間生きてきたが、これほど慌てた事はないぞ」
「そうかな?」
リーバルンが大皿の食事を取り分けながら言った。
「そうかなって、お前、こちらの女性が誰だか――」
「知ってるよ。ワンクラール王の娘、ナラシャナさ」
「……ナラシャナさんもこの男が誰かわかってんだよな?」
「ええ、空を翔る者の王子、リーバルン様です。でも私にとってリーバルン様はリーバルン様、王族かどうかなんて関係ありません」
「そりゃあそうだけどな。お前ら二人の事を知ってるのは?」
「スクートとナラシャナの侍女のポワンス殿……それだけだ」
「で、おれを入れて三人か。当然アーゴ王やワンクラール王には言ってないよな?」
「ああ、まだなんだ。ナラシャナのお父上はお体の具合もよろしくないようだし」
「何にせよ、慎重に越した事はねえ。まずはシンパを増やすこった」
「私、おじに相談してみます」
「……おじ?」
「あ、すみません。ブッソンという巨大な魚なのですが――」
「ああ、ブッソン殿なら広い見識を持つお方らしいからな。きっとお前たちの味方になってくれるよ」
「ブッソン殿か。私もいつかお会いしたいものだなあ」
リーバルンが感慨深げに言った。
「会えますわ。おじさまは瞬間移動できますの。ですから会いたいと思えば、ここにだって出てきて下さいます」
「そんなバカな」
トイサルが信じられないといった声を上げた。
「本当です。意識さえ集中できれば、の話らしいですけれども。おじさまだけでなく私の弟のレイキールにも少しだけその能力が備わっているらしいです」
「ってことはよ。水に棲む者に伝わるっていう何とかいう秘術も――」
「『大陸移動の秘法』ですね。あれは瞬間移動の発展形とでもいうのでしょうか、母なる大地と意識を同調させる必要があります。そこまでの力はさすがに――」
「ふーん。結局、誰も勝者になるには決め手に欠けるんだなあ。リーバルン、お前の所の鳥の神もオヤジさんが禁止にしてんだろ?」
「ああ、鳥の神シャイアンを呼び出す法は禁呪だ。あまりに危険過ぎるからだそうだ」
「いい傾向じゃねえか。そうやって世界を滅ぼしかねない神は封印され、危険な術を使える人間もいないって事はよ――後はだめ押しでお前らがくっつきゃ、この世界は平和になるかもしんねえよ」
「私たちは世界平和のために付き合っているのではないぞ」
「わかってるって。お前らの純粋な気持ちは。ただ世間の期待とのバランスってもんを考えてほしいだけだ」
「そんなに期待されても困るなあ。私たちは純粋に愛し合っているだけなんだ」
「かーっ、言うねえ。まあ、今が一番いい時だ。せいぜい楽しみな――いいか、おれはお前らの味方なんだから遠慮しねえでちょくちょく顔出せよ」
「わかったよ、トイサル、ありがとう。色々と相談にも乗ってもらいたいと思ってる」
「ところでお前ら、どうやってここまで来た?」
トイサルが尋ねると、リーバルンがナラシャナを、スクートがポワンスを抱えるようにして空を飛んできた事、スクートたちは変装したままでホーケンスを観光している事を伝えた。
「次からはその二人もここに連れて来てやれよ」
「ああ、今回もそうしたかったんだが、二人が遠慮した。きっと今頃はスクートのガールフレンドの案内でホーケンス観光を楽しんでいるよ」
「のんきなもんだが数少ない理解者だ。大事にしろよ」
「そうするよ」
「ついでと言っちゃ何だが、あのミサゴの坊主にも知らせるのか?」
「サフィかい。さすがにまだ子供だし――でもトイサルも彼が気になるんだね?」
「まあな。あいつはお前の人生に大きな影響を与える、いや、逆か、あいつがお前から大きな影響を受けるのか――どっちにしても気になる小僧だ」
「私も会ってみたいですわ」とナラシャナが嬉しそうに言った。「リーバルン様に影響を与えるなんて――でもミサゴとおっしゃいませんでした?」
「そう、『持たざる者』の子供さ」
「……リーバルン様の領地では、持たざる者もちゃんとした扱いを受けてらっしゃるのですね。それなのにサソーのキャンプでは彼らは家畜のように扱われていると聞きます。何と恥ずべき事でしょう」
「いや、ナラシャナ。皆、それぞれ状況が違うんだ。君たちの領地は陸地が少ないから、水で暮らせない者は生きていきにくい。『比翼山地』ならばまだ楽に暮らしていける」
「彼らは吹雪の吹き付ける北東の岬の突端で寄りそうように生きているそうです。飢えと寒さで毎年多くの人が亡くなっているとも」
「確かに、ここからずっと南のマードネツク難民キャンプにはサソー居留地と『地に潜る者』のワジ居留地から逃げてきた人間が多いと聞く。でもそれはミサゴでも一緒さ。持たざる者は人として生きる権利なんか保証されちゃいないんだ」
「だから」とトイサルが口を挟んだ。「リーバルンはそれを変えようとしてるんだ」
「――私、決めましたわ。サソーに行ってみます」
「おいおい、無茶言うんじゃないぞ」
「その通りだ。ナラシャナ。無理はいけない」
「だからこそ行かなければ。そうでないとリーバルン様のお考えになる新しい世界作りのお力になれないような気がします」
「……わかった。ナラシャナ、やはり君は素晴らしい人だ。だがくれぐれも無理はしないでおくれよ」
リーバルンとナラシャナはトイサルの店を出て待ち合わせ場所としていたホーケンスのマーの礼拝堂裏に向かった。しばらくするとスクートとポワンスが笑いながらやってきた。
「スクート、ずいぶん上機嫌じゃないか?」
「あ、すみません。遅くなりました」
「ポワンス、楽しかったかしら?」
「はい、お嬢様。ホーケンスを観光する機会なんて一生無いと思ってました。スクートとそのガールフレンドの方が私を母親のように慕ってくれるし――私、もう思い残す事はございません」
「まあ、ポワンス。泣かないでもいいじゃありませんか」
「リーバルン様の方はどうでした?」
「ああ、色々と貴重な話が聞けた。次は君たちも店に来いとの事だ。さあ、帰ろうか」
来た時と同じく、リーバルンがナラシャナを、スクートがポワンスを抱え上げたまま、清廉の泉まで飛んでいった。
「じゃあ、ナラシャナ――そうだ、これを」
別れ際に、リーバルンは自分の首にかかっていた赤い石の付いた首飾りをナラシャナに手渡した。
「まあ、きれい。でも大事なものじゃありませんの?」
「この石は『バーズアイ』。これを身につけていれば、はるか上空にいる人間にでも光って知らせる事ができる、私たち空を翔る者に伝わる不思議な石――これから、私も君も忙しくなる、でも何かあればその石の光を頼りに君の下にはせ参じるから」
「ありがとうございます。こんな貴重な」
「お守り代わりだと思えばいい」