1.1.2.2. 希望の光

 Story 3 海の支配者

2 希望の光

 リーバルンがいつものように寝室で読書をしているとドアがノックされた。ドアを開けるとそこにはニザラとコニの夫婦が申し訳なさそうに立っていた。
「やあ、ご苦労様。コニ、久しぶりだね。元気そうで何よりだよ」
 コニは黙って頭を下げた。ニザラと同じようなくすんだ緑の服に身を包み、苦労が染み込んでいるせいか、年よりも老けて見えたが、やはり目には強い光を宿していた。
「さてと、君らはこれからミサゴに戻るんだろう」
 リーバルンが尋ね、二人は頷いた。
「私も一緒に行くけど、いいよね?」
「あの、それはミサゴの長、プントも存じ上げているのでしょうか?」
 ニザラが慌てて顔を上げた。
「いや、特には。行っちゃいけないかい?」
「いえ、滅相もございません。ただ色々と準備がありますでしょうから」
「それが嫌なんだよ。私は君たちのありのままの生活が知りたいんだ。だから誰にも知らせないで行く。いいね」

 
 リーバルンはマントで体を覆い、顔にマフラーを巻き、頭からすっぽりフードをかぶって、ニザラたちと一緒にミサゴ行きの定期便に乗り込んだ。
「あれ、いつもより人が多くねえか」と御者の男が大声を出した。「……気のせいか。出発だ」
 リーバルンと『持たざる者』たちを乗せて、羽根の生えた馬のような生き物が引っ張る飛馬車は、宵闇の中をミサゴへと駆け降りた。

 およそ十五分後、飛馬車は止まり、乗っていた人々は静かに馬車を降りた。リーバルンもニザラたちと一緒に馬車を降りて歩くと、すぐに「ミサゴ」と書かれた木の札のかかった門が見えた。
 中に入ると、所々に松明が灯され、質素な木造の小屋がいくつも並んでいた。
 リーバルンが歩いていると、交替で王宮に向かうと思しき、俯き、押し黙った一団とすれ違った。リーバルンは立ち止まって出かける人々を見送った。
「ニザラ。まずは君の家に案内してくれないか」
 リーバルンが小声で言った。
「はあ、しかし。やはりまずはプントに知らせないと」
「いいじゃないか。君の家に来てもらえば」

 
 リーバルンはニザラの家に向かった。同じように建ち並ぶ粗末な一軒の小屋のドアを開けると、中から明るい声が出迎えた。
「お帰りなさい。父さん、母さん」
 小さな子供がニザラを迎えに出た。
「あ、こちらの方は?」
「サフィ、父さんたちが帰るのは遅いから寝ていろと、あれほど言っただろう」
 ニザラが少年を責めるでもなく小言を言って、リーバルンに向き直った。
「失礼いたしました。息子のサフィです」
「ああ」
 リーバルンはフードとマフラーをはずし、サフィに向かって微笑んだ。
「はじめまして。私はリーバルン」
 サフィはリーバルンの姿に目を大きく見開いた。
「あ……リーバルン様。どうしてここに……そうか。遊びに来てくれたんですね」
「こら、サフィ。滅多な事を言うもんじゃない。リーバルン様、何卒、ご無礼をお許し下さい」
「いや、無礼なんかじゃないよ。そうさ、サフィ。私は遊びに来たんだよ。ニザラ、上がってもいいかな?」
「これは気がつきませんで。どうぞ、狭い家ですが」
 ニザラの家は客間と奥の寝室の二間と台所の作りで、蝋燭の灯りがぼんやりと室内を照らしていた。
「サフィ。プントを呼びに行ってもらえないか。誰にも気づかれずにな。コニはお茶の用意をしなさい」
 ニザラはリーバルンを上座に座らせ、家族にてきぱきと用件を伝えた。

 サフィが外に出ていったのを見送ってから、リーバルンが言った。
「サフィか。賢そうな子じゃないか。将来が楽しみだね」
 リーバルンの言葉に、ニザラもコニも困ったような笑顔を見せた。
 間もなくサフィが顔を上気させながら戻った。

「父さん、戻りました」
 サフィの後ろには白髪の小さな老人が立っていた。
「これはリーバルン様」
 プントはしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして言った。
「何故、斯様な場所に?」
「やあ、プント。久しぶりだね。今日は君たちのありのままの姿、ありのままの思いを知りたくて、ここに来たんだ」
「アーゴ様はこの事をご存知ですかな?」
「いや、父上は関係ない。君たちの暮らしを知りたいのは私の意志だ」
「……アーゴ様から見れば、お世継ぎの困ったお戯れ。しかしわしらからすれば至上の名君との対話の機会という事になりますかな、いや、失礼。言葉が過ぎました」
「まあ、何とでも言うがいいよ。さあ、プント。色々聞かせておくれよ」
「では仰せの通り」

「ああ、サフィ」
 ニザラは突っ立っているサフィに気付いた。
「お前はもう寝なさい」
 サフィがちょっと不満そうな顔をするのを見てリーバルンが声をかけた。
「サフィ。明日、ホーケンスに連れて行ってあげるよ。だからもうお休み」
「……はい、リーバルン様」
 サフィは嬉しそうな顔をして寝室に下がった。
「リーバルン様、そんな」
 お茶を入れていたコニが言った。
「子供の事など気にかけないで下さい」
「そうはいかないさ。私はサフィに大いに期待しているんだ……さて、話を聞こうか」

 
 翌朝、サフィはいつもより早く目を覚ました。もしかすると昨夜の事は全て夢だったのかもしれない、夢ではなかったとしても、もうリーバルンはいないかもしれない、どきどきしながらそっと隣の部屋を覗くと、そこではまだリーバルンとプント、それに両親が話し込んでいた。
「やあ、サフィ。おはよう。早起きだね」
 いち早くサフィに気づいたリーバルンが声をかけた。
「は、はい。おはようございます。母さん、これから朝食の仕度をします」
 サフィは満面の笑みを浮かべて客間に入った。
「いや、サフィ。朝食の準備はいいんだ」
 リーバルンがいたずらっぽく笑った。
「だってこれからホーケンスに行くんだろう?」
「あ、はい」
 サフィは元気良く答えた後に両親の顔を見た。ニザラもコニも何も言わない所を見ると、どうやら本当のようだった。
「今から出発すれば、昼までにはホーケンスに着ける。じゃあプント、色々ありがとう。とても参考になったよ。また話を聞かせておくれよ」
「……リーバルン様、ありがたい事です。あなた様こそ我々の希望の光。他のキャンプの者や南に逃れた者たちにも聞かせてあげたいくらいです……ですが、くれぐれも性急に物事をお運びになられないよう。この老人の心に灯った明かりを消さないで下されよ」
「あはは、胸に刻み込んでおくよ、プント」
「我々は力無く弱き者ですが、リーバルン様のためなら命も惜しみませぬ」
 プントが言い、ニザラもコニも黙って頷いた。
「ありがとう、その気持ちだけで十分さ。さあ、ホーケンスに行こう」

 
 リーバルンとニザラ、コニ、サフィの四人でホーケンスに向かって徒歩で出発した。比翼山地のイワトビオオカミの住む危険な山道を下って、昼前に“世界の中心”広場を見下ろす場所に到着した。
「サフィ、ホーケンスは初めてかい?」
 リーバルンは一回も音を上げずに付いてきた幼い少年に声をかけた。
「はい」
「そうか、私も久しぶりなんだ。楽しみだね」

 
 一行は広場に入り、まっすぐに『世界の中心亭』を目指した。リーバルンは再びマフラーを顔に巻き、フードを頭からかぶっていた。

 いつものようにトイサルは店の奥に陣取って店内を眺め回していた。できるだけ楽しく食事をしてもらえるように、やってくる客をどこに座らせればいいのか、頭の中はフル回転をしていた。
 大きなドアが開いて四人の客が入ってきた。
(持たざる者四人、子供が一人……ん、待てよ。あの顔を隠している男は)
 トイサルはフロア係を呼びつけ、何事かを耳打ちした。フロア係は四人連れの客と二言、三言会話をし、四人連れは外に出ていった。
 それを見届けたトイサルは急いで厨房の奥に引っ込み、裏口のドアを開けた。そこには先ほどの四人連れが立っていた。

「驚いたな」
 トイサルがマフラーの男を覗き込むように言った。
「正体を知られたら大騒ぎになる。悪いが別室に案内するぜ」
 トイサルは四人の先頭に立って、厨房の裏手の外階段を登り、二階へと案内した。そこは大きなテーブルのある個室で、壁には地図がかかっていた。
「ここに座ってくれ。すぐに料理を運ばせるから。お前ら、どっちの食い物がいいんだ。『空を翔る者』用か、それとも『持たざる者』用か?」
「違いがあるのかい?」
 席に着いたリーバルンがマフラーをはずしながら言った。
「どっちでもいいよ。この店のお勧めをもらおうかな」
「冗談じゃねえ。何だってお勧めだ。まずい食い物なんかあるはずがねえ。じゃあ適当に運ばせるからな」
 トイサルは怒ったような顔をして出ていき、すぐに飲み物を自ら運んで現れた。
「よし、まずは乾杯だ」
 トイサルは自分用の大きなカップと四人のための小さなカップの乗ったトレーをテーブルに置いた。
「お前は子供だから、このカップだ」
 トイサルの音頭で「今日のために」乾杯をした後、トイサルが口を開いた。

「しかし何だってこんなお戯れをしたんだ。空を翔る者の次の王がお忍びで、しかも持たざる者と一緒に店を訪れるとは」
 トイサルは恐縮するニザラとコニを見てからリーバルンに尋ねた。
「まずその前に彼らを紹介するよ。ニザラとコニ、山鳴殿で働いてもらっている。そしてその息子のサフィ」
 リーバルンが順々に紹介していき、ニザラとコニはぺこりと頭を下げた。
「初めまして、トイサルさん。お会いできてうれしいです」
 サフィはにこにこ笑いながら挨拶をした。
「おう、小僧。しっかりしてるな。いくつだ?」
「千五百の夜を数えました」
「へえ、ガキのくせに感心だ。おい、サフィ。お前、将来は何になりたいんだ?」
「はい、人を救う仕事につきたいと思ってます」
 サフィは目をきらきらさせて答えたが、その隣ではニザラとコニがはらはらしながら成り行きを見守っていた。
「って事は医者か。だったらリーバルンに許可をもらってホーケンスに出てくるんだな。残念ながらミサゴのキャンプにいたんじゃあ、チャンスはねえ」
「……はい」
 サフィの顔が曇った。
「でも父さんや母さん、ミサゴの人を残して、ホーケンスに出てくるのは……」
「おやおや、子供にそんな深刻な悩みを抱えさせちまうなんてよお、おい、リーバルン、どうなってんだ?」
「そうなんだ。この世界のありようがどうあるべきか、今、それを探している。今日ここに来たのも、トイサル、君の話を聞きたいからなんだ」
「そういう事かい、お安い御用だ。飯を食いながらじっくり話そうぜ」

 
 運ばれてきた食事はトイサルの言葉通り、抜群だった。見た事のない野菜のサラダ、大きなキノコのソテー、グロテスクだが上品な味の魚の煮込み、そして熱いチョコレートのかかったお菓子、サフィだけでなく全員が満足な表情を浮かべて食事を楽しんだ。

「さて」
 食後のお茶が配られ、トイサルが口火を切った。
「まずはお前さんに現状を理解してもらいたい。今更と思うかもしれないが大事だぞ」
 トイサルは壁にかかっていた地図をはずし、テーブルの上にどさっと置いた。

 古の世界 (別ウインドウが開きます)

 
「まずこの北西部がお前さんのいる『比翼山地』、東に行けば『白花の海』だ。ここのサソー居留地の過酷さはミサゴの比ではないらしい。そこから南に下り『淡霞低地』。ここのワジ居留地もひどいな、毒気と光の届かない大地で人々は牛馬のように酷使されているって話だ。再び西に向かうと『混沌の谷』、『未開の森』、そして南はいわゆる不毛の地だな。居留地を逃げ出して難民となった者が流れ着いているのがこの場所だ」
「ありがとう、トイサル。三界云々もそうだけど持たざる者の地位を改善しなくちゃならないな」
「そうなってくれるとありがたい。三界の融和についてはこのホーケンスでも幾つか事例があるが、まだ時間がかかるな」
「そうそう、その事だけど」
 リーバルンは途中まで言いかけてサフィを見た。
「サフィ、こんな話はつまらないだろう。外を散歩でもしてくるかい?」
「いえ、そんなことありません。とてもためになります」
「サフィは偉いな」
 リーバルンはにこりと微笑んだ。
「話を戻すけど、例えば空と水が恋に落ちて、二人の間に子供が生まれる、そういった場合、どんな目に遭うんだい?」
「それぞれの種族のコミュニティから相手にされなくなる。そうなるとその子供も含めて路頭に迷ってしまうな」
「どうすれば解決できるのかな?」
「それこそお前たちの問題だろう。三界が歩み寄る姿勢を見せればいいんじゃないのかい。政略結婚でも何でもいいから、お前が『水に棲む者』の娘と結婚するとかな……いや、言い過ぎた。そんな簡単に事が進むなら、とうの昔に誰かがやっている。そういう話が存在しない事自体、お前らの間には根深い確執があるという証明だ」
「言い過ぎでもないさ。現に私は今、そういった女性に恋をしている」

「……」
 リーバルンの言葉に誰もが言葉を失い、リーバルンをじっと見つめた。
「おいおい」
 ようやくトイサルが言葉を発した。
「笑えねえ冗談だ。他の場所でそんな事言ったりしたら大騒ぎになるぞ」
「もちろん君たちの前だから言ったのさ。まあ、相手の女性は私の事なんか何とも思ってないだろうけどね」
「……冗談じゃないようだな。お前、わかっているのか。お前がやろうとしている事は上手くいけば三界を歩み寄らせるだろうが、下手をすればこの世界の終わりを招くかもしれないんだぞ」
「そんな大げさなものじゃないさ。ある人を好きになったら、その人がたまたま異なる種族だった、それだけだよ」
「わかってないな。空を翔る者の次の王たる者が水に棲む者と結婚でもしようものなら、この星は大きく動く……おい、この話を他に誰が知っている?」
「ああ、私の護衛のスクートはその場に居合わせたから知ってるはずさ」
「スクート。よくホーケンスでガールフレンドといるのを見かける、あの親衛隊の若造か」
「そう。彼なら大丈夫だよ。ああ見えて口は堅い」
「わかった。この話はここにいる四人とスクート、それ以外には絶対に広めるな。いいな」
「ちょっと待っておくれよ。まだ思いが成就するかどうかもわからないのに」
「こういうのは上手くいってからじゃあ遅いんだ。第一、彼女とのデートはどこでするつもりだ?」
「考えた事もない」
「だろう。だったらここを使え」
「えっ、トイサル。何故そこまでしてくれるんだい?」
「こういうのは止めたって無駄だ。ならば思う存分やって、おれたちに夢を見させてくれよ。ここにいるサフィたち、次の世代の希望となってくれ」
「ありがとう、トイサル」とリーバルンは言った。「ねえ、サフィ。君はどう思う?」
「あ、はい」
 急に名指しされたサフィは少し慌てたような素振りを見せた。
「よくわからないですけど、ぼくたちも他の人も同じように愛してくださるリーバルン様はとても素敵だと思います」
「……サフィ、君の言葉は心に響いたよ。私のやる事は皆に希望を与えなきゃいけないんだな、それが王たる者の務めなんだ」
「確かにサフィの言葉は真実をとらえているな」
 トイサルも感心したような顔をした。
「幸運を祈るぜ」
「ああ、そうだね」
 リーバルンはサフィを優しく見つめた。
「サフィ、約束しよう。君は大きくなったら私と一緒にこの星をより良いものにしていくんだ。いいね。君は私の弟のようなものだ」
「は、はい」
 サフィは驚いた表情をしたがすぐに満面の笑顔になった。

 リーバルンたちが帰った後、トイサルは一階のいつもの場所に戻った。
 今日の葉巻は美味いだろうな。将来、リーバルンと大人になったサフィがこの星を動かしている姿を想像するだけで楽しくなった。
 だがそれまでこの星が続いているだろうか?

 

 Story 3 海の支配者

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