鬱蒼と茂った背の高いジャングルの木々が小ざっぱりとした低い木々へと移り変わっていく海沿いの街道。
「ねえ、ベンガ。人が倒れてるよ」
タピーに言われてベンガも気づいたようです。
「この暑さではまずいな。日の当たらない場所に運んであげよう」
「そうだよね。干からびちゃうよね」
「うーむ、人間はそう簡単には干からびないだろうがな」
ジャックが会話に割り込んできます。
「お二人さんは、ずいぶんのんびりしてらっしゃるこった。そんなにのんびりしてていいのかね」
ベンガが答えます。
「ジャック。世の中は助けたり助けられたりだよ」
タピーたちは倒れている人に近づきます。
「あれ、この人は。」
ベンガははっとします。
「ああ、私がいたサーカスの親方だ」
タピーたちは親方を日陰に運んで行きます。
「ジャック、この近くに川か湖はあるか?」
「さあね、右に曲がって、しばらくすると小さな村があったかな」
「ありがとう、ジャック。さあ、タピー、その村まで親方を運ぼう」
「本当にお人好しだな。おいらはどっかで昼寝するぜ」
ジャックは大きなあくびをして、空へ飛び立ってしまいます。
目を覚ましてあたりをきょろきょろ見回す親方。
「ここは、あなたたちは……そうか、あなたたちが助けてくれたんですね」
ベンガが緊張した声で話しかけます。
「一体、どうしたのですか」
親方は弱々しい声で話し始めます。
「私はサーカスの親方なんですが、先日ある村祭りで事件が起こりまして。火事騒ぎがあって、その時に人食いトラに逃げられたんですよ。で、そのせいで村からは追い出されるし、結局人食いトラも見つからなくて」
ベンガは硬い声です。
「なぜ、サーカスのキャラバンと一緒ではなく一人なんですか」
親方はベッドの脇の水を飲んで、少し息を吹き返したようです。
「私は親方といっても、雇われているだけなんですよ。私の親分がケートゥっていうんですが、この人が怒りましてね」
ベンガは思わず立ち上がります。
「えっ、ボスがいたんですか!」
親方はベンガの剣幕におどおどしています。
「ええ、そうですよ。人食いトラも他のサーカス団員もみんな親分が連れて来たんですよ。それで、人食いトラがいなくなったのを知ったら、ものすごく怒りまして、私をクビにしたんですよ。私は困り果てて、でも港で船に乗ればどうにかなるだろうと思って歩いてきたんですけど、お金も食べ物も底をついてしまって、もはやこれまでってわけですよ」
タピーたちは親方を休ませている部屋の外に出ます。
「なあ、タピー。どう思う。」
「親方は、特別きれいな心を持ってるわけじゃないけど、悪い人じゃないよ。でも、きっとケートゥってボスは、悪いやつだね」
ベンガは絞り出すような声を出します。
「私は、ずっとあの親方が私の家族を奪った張本人だと思っていた。しかし、本当に悪いのはケートゥだったのだ」
「親方、ちょっとかわいそうだね。ぼくも責任感じるな」
「ああ、私を逃がすためとはいえ、火事騒ぎを起こしたのは私たちだしな」
タピーが何かひらめいたみたいです。
「ぼくにいい考えがあるよ。」
タピーたちは、横たわったまま所在なさげに天井を見ている親方のところに戻ります。
「親方、ちょっとお尋ねしますが、親方は港で船に乗るつもりですか」
親方は怪訝そうな顔をします。
「ええ、家族が海を渡った『輝く島』に住んでいますから、そこに行くつもりでした」
「でも、親方はお金を一銭も持ってないというわけですよね。どうでしょう。私たちに親方の船賃を工面させてもらえませんか」
「いえいえ、助けていただいた上に見ず知らずのあなたたちにそこまでしていただくわけにはいきません。サーカスにいた時分はかなりあくどいこともやってきたんで、バチが当たったんでしょうね」
「えっ、でもぼくらにも責任があるし」
ベンガはタピーの口を大きな手でふさぎます。
「それじゃこうしませんか。親方はサーカスの親方ですよね。だったら、この村で一回だけサーカスを開いて、船賃を稼ぐんですよ」
親方は力なく首を振ります。
「そんなこと言ったって、団員もいないし、テントもない。一人じゃお客さんを喜ばす芸なんか無理です」
ベンガはちょっぴり微笑みます。
「親方は親方のままでいいんです。いつもの名調子でお客さんを喜ばせてくださいよ」
「おやおや、まるであなたは私のサーカスを見たことがあるような口ぶりだ。でも話だけではサーカスにはなりませんよ」
「ご心配なく。芸なら私たちがやります。ご覧の通り私は力自慢の力士ですし、こっちの少年は……」
タピーが自信満々に答えます。
「ぼくは火の輪くぐりをするよ」
親方はしばらく考え込んでいます。
「見ず知らずのあなたたちにそこまで言っていただいて、私も決心がつきました。やりましょう」
ベンガはほっとした顔をします。
「それでは、親方はもう少し休んでいてください。私たちは準備にとりかかります」
親方は感謝の表情を浮かべます。
「本当に何から何までありがとうございます。でも一つだけ聞いていいですか。なぜ、ここまで親切にしてくださるんですか」
ベンガが答えに詰まっていると、タピーが代わって答えます。
「親方が本当はいい人だからだよ。悪いこともしてきたって言ったけど、家に帰ればもう悪いことはしないでしょ」
親方は照れくさそうに笑います。
「家か。ずいぶん長い間家族にも会ってないなあ」
ベンガが大きくうなずきます。
「家や家族。人間だろうと動物だろうと、大切なものなのですよ」
再び部屋の外に出るタピーとベンガ。
「さて、ああは言ったもののどうするかな」
タピーは自信たっぷりです。
「簡単だよ。ラーラワティさまにお願いすればあっという間じゃない。ジャック、何でこんな大事な時に寝てるのさ。早く起きてよ」
ジャックの不機嫌な声がします。
「うるせえなあ。せっかく気持ちよく寝てたのに。サーカスの親方と何かあったのか」
タピーはこれまでのいきさつをジャックに伝え、ラーラワティを呼んで来てくれるよう頼みました。
「バクの少年、何か勘違いしてねえか。ラーラワティ様がそんな願いを引き受けるわけないだろ」
「タピー、ジャックの言う通りだ。私たちだけの力で解決するべき問題だぞ」
近くの森から材木を拾ってきてはその場しのぎのサーカスのテントをこしらえるタピーとベンガ。
「やっと完成したな。もう夜だから、親方のところには明日の朝行こう」
タピーは汗びっしょりです。
「うん、ぼく間違ってた。ラーラワティさまにお願いして、あっという間にできてたら親方に失礼だよね」
ベンガはにっこり笑います。
「ところで、火の輪くぐりとか言っていたが、経験はあるのか?」
タピーは頭をかきます。
「さっきのはとっさに出たんだ。もちろんやったことなんかあるわけないでしょ」
木の上でジャックが冷やかします。
「おい、タピー。丸焼きになっちまうぞ」
ベンガも忠告します。
「その通りだぞ。無理しちゃいけない」
「ありがとう。でもがんばればできる気がするよ。そうだ、ジャック。君を背負ったまま火の輪をくぐろうかな」
よく晴れた朝、一日限りのサーカスのテントにはたくさんの人。親方の名調子に合わせてサーカスが始まります。
~ さあて、これよりお見せするのは
世にも不思議な大サーカス
世界で一番の力自慢に
命知らずの火の輪くぐり
時間に限りのある方も、どうぞ見てらっしゃい ~
ベンガの力持ちときたら、子供を四人も片腕で持ち上げるわ、村の力自慢の若者たちを次々に投げ飛ばすわで、お客さんたちは大喝采です。
そしていよいよタピーの番、目の前には炎の輪がぼおぼおと燃えさかっています。
タピーは覚悟を決めます。
「行くぞ...えい!」
村の出口で別れるタピーたちと親方。
「本当にありがとうございました。これで家族のところに戻れます。ところでおしりのやけどは大丈夫ですか。」
「平気、平気、全然何ともないから。でも本当によかったね。」
歩き出した親方が振り向きました。
「言おうか言うまいか、迷ってたんですが、あなたが私のサーカスにいたトラに見えることがあるんです。きっと気のせいですよね」
「気のせいですよ。お気をつけて」
ベンガは言ってから優しくタピーを見つめます。
タピーはとっても幸せな気分です。おしりをちょっと焦がしてしまったけれど、みんなが喜んでくれたし、何よりも親方がちょっとだけ美しい心を取り戻しました。
海の香りが混じった風が吹いてきます。