第十話:出会い、そして別れ

 行き交う人が増えてくる海辺の街道。ガーギティヤが言います。
「『商人の港』が近づいてきたね。ここまでは何も起こらなくてほっとしたよ」
 ベンガが答えます。
「ええ、本当に何事もなく来ることができました。『商人の港』に着いたら、少し休みましょう」
 シャンティは少し照れたように微笑みます。
「でも、『古い友との再会』って言われても、タピーもベンガもあたしも元々人間じゃないしね。再会したい人はいるけど...ねえ、タピー。ところで好きな子とかいるの?」

 いきなりのことに、タピーはあわてます。
「何、何、いきなり何てこと聞くのさ。うーん、まだ村にいた時にいたけど」
「へー、どんな子。何て名前だったの?」
「うん、ラニーラっていう子さ。ぼくはいつも仲間はずれだったけど、ラニーラはそんなことしなかったんだ。いつでも、はげましてくれたんだよ」
「ふーん、きっと優しい子なのね。もう一度会いたいとかは思わないの?」
「あっ、もしかしたらラニーラならばぼくの本当の姿がわかるかもしれないよね。うん、会ってみたいなあ」

 

 町の大きな門のところにやってきたタピーたち。ガーギティヤが名残惜しそうに口を開きます。
「さて、ここからがいよいよ『商人の港』だよ。残念だけど、ぼくはここでお別れだ」
 タピーが言います。
「えっ、どうしてよ。まだ一緒にいようよ」
 ベンガが諭します。
「タピー、無理を言うんじゃないぞ。ガーギティヤ様はお忙しいところをわざわざついて来てくださったんだからな」
 ガーギティヤは鼻をゆすって言います。
「いいんだよ、ベンガ。そんな堅苦しいことは抜きだって。一緒に行きたいんだけど、本当にごめんね」
 シャンティがぺこりと頭を下げます。
「どうもありがとうございました。ほら、タピーもお礼を言いなさいよ」
「うん。ガーギティヤ。またどこかで会おうね。絶対だからね」

 

 大きな、そして賑やかな町の中。タピーが飛び跳ねます。
「わあ、ここが『商人の港』か。すっごくたくさんの人がいて、目が回りそうだよ」
 ジャックも陽気な声です。
「こりゃあすごい町だな。おいらちょっくらその辺を一周してくらあ」
 ベンガも驚きを隠せません。
「しかし、ものすごい人の数だな。どこに行ったら良いのやら」
 シャンティが笑いながら言います。
「心配ないわよ。ジャックが様子見に行ってくれてるから。さ、あたしたちは散歩しながら、泊まる場所でも探しましょう」

 タピーには町の中の見るもの全てが珍しく、大はしゃぎです。そこにジャックがあわてて戻ってきます。
「おい、タピー、あっちの市場にお前みたいな奴がいたぞ」
 タピーはきょとんとしています。
「えっ、一体どういう意味さ。ぼくみたいな奴って、このへんにはバクなんかいないって前にベンガが言ってたよ」
「うそなんかつくわけないだろ。でっかい男たちが檻に入ったバクを担いでて、その後ろを子供たちがぞろぞろついて歩いてたんだ。港から船で売られていくんじゃないか」
「ねえ、ジャック。そこに案内してよ。急がなきゃ」

 

 空を飛ぶジャックの後を追って走るタピーたち。やがて開けた広場に出ました。
「ああ、きっとあそこだ。たくさんの人だかりができてるもん」

 広場にいる人々はタピーたちの進む勢いに押されて、思わず身を引きます。目指す先には、ぽつんと木の檻が置かれていて、その前には子供たちが群がっています。
 タピーが子供たちをかき分け、広場の中央に置かれた檻に走り寄ろうとすると、ひげ面の大男がタピーの首根っこをつかまえました。
「おいおい、小僧。売り物に勝手に手を触れちゃいかんな。このバクは、はるかイスペリアまで旅をする大事な商品なんだ」
 タピーは男に首をつかまれたまま空中で足をばたばたさせます。
「何するんだよ。放せ。放せよ」

 その時、タピーはもっと高く体が浮き上がるのを感じました。見れば、ベンガがひげ面の男の首をつかんで同じように宙吊りにしています。
 ひげ面の男は打って変わって情け無い声を出します。
「いやだなあ。ぼっちゃん。こんな強そうなお連れがいるならそう言ってくれなきゃ」
 ベンガに宙吊りにされたひげ面の男がタピーを離してくれて、ようやくタピーは地上に戻れました。ベンガはタピーに小さく微笑むと、ひげ面の男をつかんでいた手を放します。
「ねえ、これあげるからちょっと向こうに行っててくれない?」
 シャンティはひげ面の男に小銭を渡して追い払うと、男の仲間たちの方に近づいて行き、何やら話しを始めました。ベンガがタピーに言います。
「タピー、今のうちだ。話をしなさい」

 タピーははっと我に返って、檻に飛びつきます。そこには一匹のぐったりとした若いバクが横たわっています。
「あ、君はアロじゃないか。ぼくだよ。タピーだよ」
 アロはゆっくりと目を開けます。
「えっ、人間なのにどうしてぼくと話ができるんだ。まあいいや。タピーってあの突然いなくなったタピーかい?」
 タピーは胸がいっぱいでうなずくしかできません。
「アロ、一体何があったの。村にいたんじゃなかったの」
 アロはけだるそうに答えます。
「ああ、村が何週間か前に人間に襲われたのさ。みんな殺されたり、おれみたいに捕まったりしたんだ」
 タピーは目の前が真っ暗になりました。
「えっ、タリーバおじいも、ラニーラも、みんなかい」
「いや、ラニーラは無事逃げたみたいだ。タリーバおじいはわからない」
 タピーはきっと口を結んで、アロに言います。
「さあ、アロ。逃げよう。ぼくがこの檻から出してあげるから」
 ベンガが何か言おうとする前に、アロが口を開きます。
「何言ってるんだ。そんなことできるわけないだろ。それにおれはいつもお前をいじめていたのに、お前はおれを助けようってのかい」
「何言ってるんだはこっちだよ。助けるよ。だってぼくらは友達じゃないか!」

 

 薬を飲まされているのか、眠たそうなアロ。
「友達か...お前はおれをそういう風に思っていてくれたんだ。今頃気がつくなんて、おれはバカだな」
 タピーは檻を揺すりながら言います。
「そんなことどうだっていいんだよ。さあ、早く。逃げよう。ねえ、ベンガ。手伝ってよ」

 タピーはベンガを見上げます。ベンガは騒ぎを聞きつけてやってきた兵士たちがこちらを遠巻きにしているのを見て小さく舌打ちをします。男たちとの話し合いから戻ってきたシャンティも悲しげに首を横に振ります。
「タピー、ごめんね。イスペリアの王様だかなんだかに売られる予定だから、お金を積んでも、どうなるものじゃないみたい」
 アロが言います。
「タピー、もういいんだ。おれはイスペリアっていう遠いところへ行くんだそうだ。そこで生きるのが、おれの運命なんだ」
 シャンティがタピーに『そろそろ』という合図を出します。タピーはゆっくりと、けれどもしっかりとした声でアロに言います。
「アロ、ごめんね。ぼくの力では君を助け出せないみたいだ。でもこれだけは忘れないで、信じるのを止めちゃいけないってこと」
 アロの目につかの間光が戻ったような気がします。
「ありがとう、タピー。お前に会えて良かったよ。じゃあな」

 屈強な男たちがどっしどっしとやって来て、アロの檻を港の方へと運んでいきます。
 タピーは『さよなら』の手の形をしたまま、檻を見送り、やがて、アロの檻はすっかり見えなくなりました。
 その場に座り込むタピーにベンガが静かに声をかけました。
「タピー、港まで行って見送ろう」

 タピーたちは一言も口を聞かず、港まで歩きます。ジャックも悲しそうに空を舞います。
 波止場では広場よりもたくさんの人が忙しく動いていて、アロの檻が船に積み込まれ、そして船は出航しました。

 

 見送りの人もいなくなり閑散とした波止場に、響き渡る聞き覚えのあるヴィーナの音色。

 ぽろん、ぽろろん

 海面に巻き上がる水柱とともにラーラワティが姿を現します。
「タピー、今日はあなたに話があって来ました。けれども、その様子では、何もかも知っているようですね。故郷に一度お戻りなさい。私が村まで送ってあげましょう」
 タピーは顔を上げます。
「うん、村に連れて行ってください。ねえ、ベンガ。君はシャンティとジャックとここに残ってほしいんだ。この大きな町でならビーガの行方がわかるかもしれないし」
「しかし、タピー。私たちは旅の仲間だ。こんな時こそ助け合うものだろう」
 タピーは首を横に振ります。
「ううん、これはぼくのことだし、ぼくが一人で行かなきゃいけない気がする。それに、またここまで戻ってくるのに何ヶ月かかるかわからないんだよ」
「タピー、村からここまでは私がまた送り返してあげますから、大丈夫ですよ。すぐに戻ってくればいいでしょう」

 

 波止場でラーラワティと一緒に姿を消すタピー。ジャックは、何か気が抜けたようです。
 ベンガは、タピーにもう会えないのではないかという予感を、あわてて打ち消します。シャンティは、ガーギティヤの予言が二つまで当ってしまったことに気づいて、ぶるっと身震いします。
「あと一つの予言、『死の神エマが現れる』、これだけは当らないでほしいわね」

 

 再びラーラワティと一緒に姿を現すタピー。そこは初めてタピーがラーラワティに会って、お願いをした泉です。
「さあ、タピー。早く村に行ってらっしゃい。私はここで待っていますから」
「うん、わかったよ。できるだけ早く戻るから」
 ラーラワティは優しく言います。
「急ぐ必要はありません。気持ちの整理がつくまでここにいていいのですよ」
「はい、ラーラワティさま。じゃあ行ってきます」

 

 そこは慣れ親しんだ村ではなく、無残な廃墟。この日のどんよりした曇り空のように、タピーの気持ちも沈みこんでいきます。
「ひどいなあ。何てことするんだろう。平和な村だったのに」
 それでもタピーは村の入り口だったところを見つけました。タピーは村のあちこちを歩き回りながら、おじいやラニーラを探します。
「誰もいなくなっちゃったのかな。おーい、みんなあ」
 声は、廃墟となった村の大地に空しく吸い込まれるだけです。

 その時、タピーはあることを思い出しました。タピーは急いで、村の一番奥の『聖なる丘』と呼ばれる場所に走っていきます。そこは、いじめられると時間を過ごし、やがて心配したラニーラも来て話し込んだ思い出の場所でした。タピーは丘を駆け上り、ほら穴を見つけます。
「ねえ、そこに誰かいるよね。ぼくだよ。心配しないでいいんだ。じゃあぼくが入っていくからね」

 

 タピーは恐る恐るほら穴の中に入っていきます。ほら穴は思ったより広く、明るいようです。
 ほら穴の奥で気配に気づいて、体を起こそうとする一匹のバク、それは村の長老、タリーバでした。
 タピーはほっとします。
「ああ、タリーバ。よかった。無事でよかったよ」
 体を起こしたものの、タリーバはまた横になろうとしています。
「そんなに無事でもないんじゃ。こうして起きるのも一苦労という有様じゃな」
 タピーは険しい表情になります。
「けが……してるんだね。でも本当に無事でよかったよ」
 タリーバが横たわったまま、言います。
「ところで、タピー、なぜこんなところにおるのだ?」
 タピーはあることに気づいて嬉しくなります。
「わあ、やっぱりタリーバおじいはぼくのことわかるんだね。何かすごいや」
 タリーバは合点がいかないような声を出します。
「はて、わしは何か変なこと言ったかな。タピーはタピーじゃろ」
「ううん、ぼくの本当の姿は美しい心の持ち主にしか見えないんだよ。ラーラワティさまの力なんだ」
 タリーバはゆっくりうなずきます。
「おお、そうじゃった。以前、極楽鳥の人が言っておったわい。どうも年を取ると忘れっぽくていかんな」

 タピーは吹き出します。
「ジャックには会ったんだよね。でも極楽鳥の人だなんておかしいや」
「ふぅん、そんなもんかのお。まあ、元気に旅をしているようで何よりじゃな」
「毎日色んなことが起こるんだ。ベンガやシャンティにも会ってほしいなあ」
「ベンガさんとシャンティさんというのは一緒に旅をしている人かな?」
「ベンガっていうのは元トラで生き別れになった息子のビーガを探してるんだ。シャンティは元人魚で、ぼくたちの旅を助けてくれてる」
「ほお、それは心強いな。あまりその人たちに迷惑をかけてはいかんぞ」

 タピーはちょっと口をとがらせます。
「そんなことないよ。あ、少しあるかな。でも困った時には、ディアンカーラさまやクリンラやイドゥンティヤが助けてくれたんだ」
 タリーバはびっくりしたようです。
「何と、それは大変なことじゃのお」
「それで、今はダイエントの『商人の港』にいるんだ」
「はて、そんな遠くにおるはずなのに、なぜお前はここにおる?」
 タピーはちょっと辛そうに答えます。
「『商人の港』でアロに会ったんだ。そしたら、ラーラワティさまが現れてぼくをここに連れてきてくれた」
「そうか、アロに会ったか。しかしどうすることもできなかったろう。ここに戻ってきたとて、同じことじゃ。どうすることもできまい」
 タピーは悲しそうな顔をします。
「それはそうだけど、心配だから戻ってきたんだよ。みんなが無事かどうか、心配しちゃいけないの」
「もちろん、その気持ちは大事なんじゃろうが、今のお前にはもっと大切なことがあるんではないかのお。お前がわしらのことを心配してこうしている間にも、不幸になっている人はたくさんおるんじゃ。お前の旅はそういう人を少なくするための旅だと思ったのだがな」

 タピーはサーカスの親方を助けた時のことを思い出して言います。
「たしかに、いい人が増えるっていいなって思うけど」
「そうじゃろう。それがお前の旅なんじゃ。じゃから、ここにいるより旅を続ける方が大事なのではないか?」
「うーん、でもここはぼくの生まれた村だし、やっぱりみんなが心配だよ」
 タリーバはにこにこと笑います。
「もうこの話は終いにしよう。それより、水を汲んできてはくれぬか。小川に水を飲みに行くのも億劫でな」

 

 近くの小川に水を汲みに行き、急いで戻るタピー。割れたココナッツの実を器代わりにしてたくさんの水を汲むことができたので、ちょっと得意な気分です。
 タリーバも喜んでいます。
「おお、これはこんなにたくさん水を汲んできてくれたか。当分は小川に行かなくてすみそうだわい」
「だめだめ、歩かなきゃ、本当に歩けなくなっちゃうよ。そうだ、タリーバ。ごはんはどうしてるの」
 タリーバは目を細めて言います。
「ラニーラが運んできてくれるのじゃ。今日もそろそろ来るころだろう」
 タピーはちょっと胸がどきどきしてきます。
「えっ、ラニーラも無事だったの?」

 その時、ほら穴の外から声がします。
「タリーバ、果物持ってきたわよ。声がするけど、他に誰かいるの?」
 一匹の若い女の子のバクが入ってきます。
「どうしたの、タリーバ」
 タピーは嬉しさを押し殺して声を発します。
「ラニーラ、無事だったんだね」
 ラニーラは警戒します。
「ねえ、タリーバ。また人間が来てるじゃない。どうしましょ」
 タリーバがかすれ声で言います。
「心配せんでもいい。これはタピーじゃ」
 ラニーラは険しい表情になります。
「タピーですって。何も言わずに逃げ出したあのタピーが何でここに戻ってくるの。何よ、その人間の姿は。おおかたあたしたちのことを笑いにでも来たんでしょ」
 何も言えないでいるタピーに代わって、タリーバが口を開きます。
「ラニーラ、少し落ち着け。もう少し果物を持ってきてはくれぬか。今日はどういうわけか食欲があってな」

 

 ラニーラが出て行った後、黙っているタピーに声をかけるタリーバ。
「ラニーラは村が人間に襲われた時から、誰も信じられなくなっているようなのじゃ。お前の知っていた純粋なラニーラにいつか戻るのか、それとももう戻らんのかはわしにもわからん」
 タピーは力なく微笑みます。
「うん、だいじょぶだよ。ラニーラはきっと元のラニーラに戻るよ」
 タリーバはしばらく考え込んだ後に静かに言います。
「タピーよ。ここはもうお前の帰ってくる場所ではないようじゃ。早く、『商人の港』に戻ることじゃな」
 タピーも静かに答えます。
「そうみたいだね。ぼくには帰るところがなくなっちゃったね」
「今のお前にはベンガさんやシャンティさん、それにあの極楽鳥の人がついておる。ディアンカーラ様やクリンラ様までお前のことを見守ってくださっておる」
 タピーは小さな声で、でもきっぱりと言います。
「タリーバ、ラニーラが戻ってこないうちに行くよ。くれぐれも体には気をつけて、長生きしてね」

 

 ラーラワティが待つ泉まで戻るタピー。タピーは今の自分がきっと泣きそうな顔をしているのだろうと思います。
 ラーラワティに会った時に笑顔でいられるように、立ち止まっては空を見上げます。
 空も今にも泣き出しそうな曇り空です。