第十五話:女神の故郷

 闘いが終わった翌日の『高原の町』の宿屋。朝から忙しく動き回っていたシャンティは、部屋のソファに倒れこみます。
「あー、疲れた。夕べはタピーと一緒にベンガをビーガの背中に乗せてここまで帰ってきて、いやがる宿屋のご主人にビーガを部屋に入れることを許可してもらって、今朝はオルナンのお見舞いに行って、お医者様にベンガの容態を見てもらいにここまで来てもらって、カフェに器を返しに行って、食事の時間もないわよ」
 ジャックは笑っています。
「まあ、そう言いなさんな。ビーガが無事戻ってきたんだからよ。そういえば、ビーガは夕べ一晩中、ベンガの傷を舐めてたらしいぜ」
「あんまり思いつめない方がいいのにね。さて、タピーとベンガの寝てる部屋に行ってみようよ」

 

 部屋の中ではやっと目を覚ましたタピー。
「うーん、シャンティ、ジャック、ビーガ、おはよう。まだベンガは起きないね」
 シャンティがにっこりと笑います。
「ベンガもあなたも無茶しすぎなのよ。今回はジャックまでがんばっちゃうし」
 ジャックがすかさず言い返します。
「そんなこと言うならシャンティだって同じだろ。ケートゥのところに一人で乗り込むのはかなりの無茶だぜ」

 ビーガがすまなそうに言います。
「みなさん、ぼくのせいで危険な目にあわせてしまって、本当に申し訳ありません」
 シャンティがあわてて首を横に振ります。
「何言うのよ、あなたのせいじゃないわよ、ビーガ。悪いのはケートゥだってみんなわかってるから、あなたはちっとも気に病む必要ないのよ」
「でも、父はまだ目覚めません」
「大丈夫よ。ほっとして疲れが一気に出ただけだってお医者様も言ってたから、もうすぐ起きるわよ」

 ジャックが話題を変えます。
「でもよ、今回はすんなりケートゥの夢の中に入れたみたいじゃないか。ダゴンの時は苦労してたのによ」
 タピーはちょっと得意げな顔をします。
「それは、みんなの夢で練習したから……あ、なんでもない、なんでもない」
 シャンティとジャックは目をむきます。
「えー、何てことするのよ、恥ずかしいじゃないの」
「うん、ごめんよ。もうしないから」
「でも、本当はどんな夢だったかちょっと興味があるけどね」
 ジャックが責めるように言います。
「そうだぞ。そこまで言ったんなら、最後まで言わなきゃだめだ。なあ、まずはベンガの夢はどんなだったんだ?」

 

 みんなの夢の中に入った時の様子を話し出すタピー。
「えーとねえ、ベンガは夢の中でビーガと楽しそうにジャングルを走り回ってるんだ」
 これを聞いたビーガは辛そうな、でも嬉しそうな顔をします。

 シャンティが尋ねます。
「ねえ、あたしのは、あたしのはどんな夢だった?」
「シャンティの夢はね、誰かと桟橋に腰掛けて楽しそうに花火を見てるんだ」
「えーっ、何か素敵な夢よね。一体誰なんだろう。わくわくするわ」
 タピーは、本当のことが言えませんでした。シャンティが花火に気をとられている間に隣の男の人は消えてしまったのは言わないほうがいいと思いました。

 ジャックが急かします。
「なあ、おいらは、おいらだって夢見てんだろ?」
「うーん、それがねえ、ジャックの夢はよくわかんないんだ。どっかの湖のほとりで笛を吹いている男の人がいて、それを女の人が聞いているっていう夢なんだ」
「なんだ、そりゃ。本当においらの夢か?他の誰かと間違ってねえか」
「本当だよ。確かにジャックの夢だったんだよ」
「納得いかねえな。おいら一度だって笛吹いたことなんかないぞ」

 その時、ベッドに横たわっていたベンガが静かに口を開きます。
「おい、うるさくて寝ていられないじゃないか。まったく、私は病人だぞ」
「わあ、ベンガが起きた、ベンガが起きたよ」
 ビーガが声をかけます。
「父さん、ぼくはこれからずっと父さんと一緒にいられるのですね。夢ではないんですね」
 ベンガはただ黙ってうなずいた後、ビーガに言います。
「ビーガ、お前を探して、南の島のジャングルからここまでやってきたが、まだ旅は終わっていないのだ」

 ベンガが怪訝な顔のビーガに、そもそもの旅の始まり、そして身に降りかかった数々の危険や困難について話します。
「そんな、そんなに大変な旅だったんですか。しかも、タピーさんの願いを叶えるには、まだこの先のコンリーヤまで行かなければならないなんて」
 タピーがあわてて否定します。
「ううん、ぜんぜんそんな必要ないんだよ。ベンガはああ言うけど、コンリーヤに行くのは、ぼく一人でかまわないんだから。ベンガとビーガはどこかのジャングルで平和に暮らすのがいいよ」
 ベンガが厳しい口調で言い返します。
「タピー、まだそんなことを言っているのか。シーダ様にも、これからの旅はお前の願いを叶えるもので、私もシャンティもその力になりたい、と言ったではないか」
「えーっ、でも」

 タピーがビーガをちらっと見てもじもじしているのにビーガが気づきます。
「タピーさん、父の言う通りです。ぼくもコンリーヤまで行きます。命の恩人のタピーさんを一人で行かせるわけにはいきません」
 まだ、もじもじしているタピーにシャンティが言います。
「はい、これで決まりね。ベンガもビーガも一緒に旅を続ける、あ、もちろんあたしもだけどね」
「うーん、わかったよ。でも、ビーガ、一つだけお願いがあるんだけど」
「はい、タピーさん、何でしょうか?」
「その『タピーさん』って言い方、何か変じゃない?」
「そうでしょうか……では、『タピー兄さん』、これならどうですか?」
「えーっ、もっとおかしいよ。」
 ジャックが笑いながら、シャンティの真似をしてみせます。
「はい、これで決まり。お前は今から『タピー兄さん』だ」

 ベンガがまた話題を変えます。
「ところで、ケートゥの夢とはどんなものだった?」
「うん、ダゴンの夢とはぜんぜん違ってた。どこまでいっても真っ暗なんだ。ぼく途中で恐くなっちゃったよ。でも、ほんのちょっとだけ光が見えたんだ。それはケートゥのお母さんの思い出で、本当に大事にしてた夢だったみたい」
「世界の王になると言っていた男の夢が、そんなささやかなものだったとは不思議だな」
「でも、ぼくにはわかる気がしたんだ。あの時のケートゥ見てたら、許してあげようって思っちゃった」

 

 突然、部屋に流れ出すヴィーナの調べ。けれども、サラスヴァティの姿は現れず、声だけが響き渡ります。
「この度はご苦労様でした。あなた達のおかげでケートゥは山に戻りました。私はラーゴの行方がわかったという知らせを受けて、神々とテンチーに行っていたのです」
「えっ、テンチーだって。ラーゴは今テンチーにいるの?」
「ええ、でも心配はいりません。いつでもラーゴを見張っていますし、あなた達は安心してコンリーヤまでの旅をお続けなさい」
「しかし、ラーゴは神の力では倒せないのではないのですか?」
 ベンガが思わず聞き返しました。
「ええ、その通りです。神が約束を違えるわけにはいきません。今、ディアンカーラやクリンラが方法を考えています」
「やはり、私やタピーが立ち向かわないといけないのでは?」
「そうだよ。すぐにテンチーに行こうよ」
「あわててはいけませんよ。ラーゴも闘いで受けた傷が癒えたばかりですし、しばらくの間は悪事を働かないでしょう。私は今、私の故郷と呼ばれている泉に来ていますが、あなたたちに渡したいものがあるので、そこにいらっしゃい」

 

 『高原の町』を出て、コンリーヤとは反対の方面の小高い丘を登っていくタピーたち。
 タピーは鼻歌を歌っています。
「ああ、天気はいいし、こんな風にのんびり歩くのって、すてきだよねえ」
 ジャックがちゃかすように言います。
「ちぇっ、すっかり行楽気分の奴がいるよ。のんきなもんだ」
「何さ、ジャック。ベンガもビーガと会えたんだし、たまにはいいじゃない」
「お前みたいな鈍感なバクと違って、おいらは繊細だからラーラワティ様が悩んでるのが手に取るようにわかるんだ。はしゃいでなんかいらんないよ」
「鈍感とは何さ。ぼくだってそのくらいわかりますから、馬鹿にしないでほしいな」
 ベンガは笑いながらジャックに尋ねます。
「それにしても、ジャックの夢の話は聞けば聞くほど妙だな。もしかしたらジャックは元々人間だったんじゃないか?」
「いやあ、それはない。だって、おいら南の島で生まれて育ったんだぜ」
「ところで、いつ頃、どうやってラーラワティ様に仕えるようになったんだ?」
「そりゃあ……あれ、そう言えば気がついた時は、ラーラワティ様の使いをやってたな。おいら、いつどこでラーラワティ様に初めて会ったんだっけ?」
 今度はタピーがジャックを茶化します。
「いやだなあ、ジャックったら。ぼくたちの名前も覚えてないんじゃない?」
「ああ、覚えてねえなあ。お前は確かバクの『鈍感くん』だっけ?」
 つかみ合いのけんかになりそうな二人を制してシャンティが言います。
「ほらほら、そんな事言ってる間に、泉が見えてきたわよ」

 

 信じられないくらい蒼い水をたたえた小さな湖。森の木々が湖を取り囲み、鳥や動物の鳴き声があちらこちらから聞こえてきます。
「うわぁー、何てきれいなんだろう。こんなにすてきな場所見たことないよ」
 ヴィーナの音色が聞こえてきます。やがて、湖の真ん中にお供の孔雀を従え、蓮の花の上に座ったラーラワティが現れます。
「よくここまでたどり着きましたね。あなた達の信じる心と他人を思う優しさは私の予想以上でした」
 シャンティが恐縮したように言います。
「そんな、まだ旅は終わっていないですし、あたしたちはごくごく普通に旅をしてきただけですから」
「ここまで来れたあなた達なら、コンリーヤも乗り越えていくことでしょう」
 ベンガが心配げにラーラワティに尋ねます。
「しかし、タピーの話ですと、この先は雪の降る寒さの厳しい土地とか。経験のない気候をそのように簡単に乗り越えられるものでしょうか?」
「そう思って、今日はあなた達に贈り物を持ってきたのです」
 贈り物と聞いてタピーの目の色が変ります。
「えっ、何かくれるの。ねえねえ、何をくれるの?」
「タピー、あわててはいけません。贈り物をする前にビーガに伝えることがあります」
 
 ラーラワティに名指しされて、背筋をしゃんと伸ばすビーガ。
「はい、女神様、一体どんな話でしょう」
「ラーラワティでいいですよ。ビーガ、大変な苦労をしましたね。私は、いつもあなたを見守ってきました。あなたがもしもケートゥの魔法で誤った道に迷い込んでしまったなら、私の力を使ってあなたを止めようと思っていました。けれども、あなたは耐えました。ベンガが迎えに来るのを信じて待ち続けました」
「いえ、ぼくは……何もわからなくなって……父を傷つけてしまって」
「そんなことはありません。あなたは、あなたに与えられた試練を乗り越えたのです」
 ラーラワティの言葉にベンガが大きくうなずくのを見てビーガも安心したようです。

 ラーラワティがお供の孔雀に何かを話しかけると、孔雀はどこかに飛んで行きます。
「待たせましたね。あちらをご覧なさい」
 タピーたちが振り返ると、たくさんの孔雀たちが何かをくわえて立っています。
「孔雀たちが口にくわえているのは、コートと帽子と手袋と長靴です。これから雪の舞うコンリーヤの山々を登るあなた達に必要なものなのです」
 孔雀たちがタピーたち一人一人に寒さを防ぐ服を渡しに近づいてきました。

 孔雀たちが渡してくれた冬服。タピーは帽子と手袋と長靴が黒い色でコートは白という装い、シャンティは帽子から長靴まで全部水色、ベンガとビーガは元々の毛皮に合わせた縞模様の帽子とコート、ジャックは派手な色の帽子と真っ赤なマントです。
「これで、コンリーヤに登る準備はできました。あとは、あなた達の信じる心がどれだけ強いかですよ」
「ありがとうございます、ラーラワティ様」
 みんな声を揃えて、お礼を言います。
「この服があれば、どんなに寒くたってへいちゃらだよね」
「今のあなたたちの格好に比べれば、格段に寒さをしのげるでしょうが、コンリーヤを甘く見てはいけませんよ」

 ラーラワティが指差す方角には、そびえ立つ険しいコンリーヤの山々。これからいよいよその山を登っていくのです。