第十二話:戦いの前

 ずいぶん前にみんなと別れた『商人の港』の入り口。シャノラに乗ったチュンホアにしがみつきながらタピーがやってきます。
「ありがとう。チュンホア、シャノラ、また会おうね」
「そうだね。旅が終わったら、いくらだってあたしの店にいていいんだよ」
 タピーはおそるおそる尋ねます。
「たまごすうぷも?」
「ああ、いいよ。好きなだけ飲んだって。ところでベンガたちはどこだろうね」
「しまった。みんながどこにいるのかわかんないや」

 

 『商人の港』の大きな門のところでまごまごするタピー。
「ほら、お迎えが来たみたいだよ」
 チュンホアが指差す先には、悠然と空を飛ぶジャックの姿がありました。ジャックはタピーたちに気づくと、さーっと降りてきます。
「よお、チュンホアにシャノラ。うちの大将がずいぶん世話になっちまったな」
「大したことないよ。エマ様とちょいと話して、あとはこの子にスープ飲ませてただけだから」
 チュンホアがあっさり言うのを聞くと、ジャックは空に漂ったまま大笑いします。
「チュンホアらしい言い方だな。あんたのしたことはものすごいことだって」
 タピーはジャックが自分に声をかけてくれるのを今か今かと待ちますが、なかなかジャックは話しかけません。
「ねえ、ジャック。いつになったらぼくに話しかけてくれるのさ。久しぶりなのに」

 ジャックはたった今タピーに気づいたような振りをします。
「おや、これは噂の大将じゃあねえか。ごきげんうるわしゅう」
「何なのさ、大将って。ぼくにはタピーって名前があるんだからね」
 ジャックはからかうように言います。
「いやー、まさかガーギティヤ様の予言が全部大将に当てはまるとは思ってなかったよ。おかげでこっちはひやひやするわ、やきもきするわで大変だったよ」
「ひどいね、ジャックは。もうちょっと優しくてもいいんじゃないの」
 ジャックは笑うのを止めて言い返します。
「あのな、タピー。おれたちを置いてきぼりにするからこんな目にあうんだ。どんなに心配して待ってたか」
 タピーはうなだれます。
「うん、そうだね。ごめんなさい」
 チュンホアがとりなすように言います。
「もうそれぐらいにしときなよ。あんたたちを思って一人で出かけたんだから」
「それが水くさいって言うんだ。旅の仲間ってことは、死ぬも生きるも一緒だろ」

 タピーはおやっという顔でジャックを見ます。
「あれ、ジャックはラーラワティさまの頼みだから、仕方なく旅についてきてるんだ、ありがたく思え、って言ってなかった?」
「う、うるさいな。確かにおいらはそうだけど。ベンガやシャンティが何も言わないだろうから、おれが代わりに言ってんだよ」 
 チュンホアは笑いながら言います。
「じゃあ、そこまでだね。あたしとシャノラはここで帰るから。ジャック、あとをよろしく頼むよ」

 

 チュンホアたちと別れ、『商人の港』の門の中に入っていくタピーとジャック。着いたのは町のはずれの小さな宿屋で、宿屋の前では、ベンガが待っていました。
 タピーが大きな声であいさつします。
「ベンガ。ぼく帰ってきたよ。長い間、待たせてごめんなさい」
 ベンガは黙ってタピーをその太い腕で抱きしめます。
「よく帰ってきたな。偉かったぞ、タピー」
 ジャックはあきれます。
「ほら、怒らねえだろ。だから、おいらが代わりにタピーを叱ってやったんだ」
 ベンガはジャックに言います。
「たしかに待ちぼうけを食ってしまったが、タピーにとっては大切なことだったのだ」
 タピーはおそるおそるベンガに尋ねます。
「ねえ、ビーガのこと何かわかった?」
「うむ、ここからずっと北の『高原の町』で若いトラを見かけたという人に会って、色々と話を聞くことができた」
「わっ、ほんと。それで、その町には行ったの?」
「行きたい気持ちはやまやまだったのだが、事情があってな」
「ええ、どうしてよ。ぼくが戻ってくるまでにずいぶん時間はあったでしょ?」

 ベンガは浮かない顔をします。
「『高原の町』に行くには、この『商人の港』の先の大きな平原を越えて行かなければならないのだが、平原が立ち入り禁止なのだ。平原をはさんで二つの国が仲たがいをしており、今にも戦が起こりそうだという理由で通り抜けができない」
 ジャックが自嘲気味に言います。
「お前が故郷に戻らなかったとしても、ここで足止めだったってわけさ」
「えっ、ベンガの足なら簡単に渡れるでしょ?」
「ああ、私もそう思って、ジャックに空から様子を見てもらったのだ。ところが、平原は戦の準備をする人で溢れ返り、とても横断できる状態ではなかった」
 ジャックがちょっぴりおどけます。
「おいら、危うく矢で射ち落とされるとこだったんだぜ」
 ベンガは小さくため息をつきます。
「しかも、平原は、急ぎ足で歩いて渡ってもゆうに十日はかかりそうなほど広いのだ。つまり、その戦が終わるか、止めるかでもしない限り、北には行けないというわけだ」
 タピーは目をきらきらさせます。
「だったら、決まりだよ。戦を止めよう。そして、北の『高原の町』に急ごうよ」
 ジャックはあきれて言います。
「おいおい、またおかしなこと言いやがって。戦を止めるって、一体どうやるんだよ」
 ベンガも同調します。
「うむ、今回ばかりはむずかしいだろう。それにシャンティも……」
「シャンティはどこかに出かけてるんじゃないの?」
「ここにいるのだが、あまり具合が良くない」

 

 心配そうな顔を宿屋の奥の方に向けるベンガ。
「二週間前くらいだろうか、その日も平原を抜ける方法を探し回った、その夜以来だ。シャンティの様子がおかしくなったのは」
「えーっ、病気になっちゃったの?」
「いや、病気ではないようなのだが、何を話しかけてもうわの空、食事もろくにとらないという有様が続いているのだ」
 ジャックが付け足します。
「そんなんじゃ、危険な旅に連れてくわけにはいかねえじゃねえか。今日だって朝から部屋で休んでるんだ」

 宿屋の階段を誰かが降りてくるのに、ジャックがいち早く気づいて声をかけます。
「おい、シャンティ。飯もろくに食ってねえのに、起きても大丈夫なのかよ」
 シャンティは階段を手すりにつかまりながら降りてきますが、その声にいつもの元気さはありません。
「タピーが帰ってきたのに、寝てられないでしょ」

 シャンティは階段をゆっくりと降りると、タピーに声をかけます。
「タピー、お帰り。色々大変だったみたいね」
「うん、ただいま。シャンティ、だいじょぶ?」
 シャンティは無理に笑顔を作ります。
「タピーも帰ってきたし、先に進まなきゃね。明日にでも出発しましょうか」
 ベンガが冷静に言います。
「何を言ってるんだ。その体では無理だ」
「大丈夫よ。あたしをそこらの人間と一緒にしないでよ」
「平原の戦がいつ始まるかもわからないのだぞ」

 

 無理に明るく振舞っているシャンティ。ところが、ベンガが平原の戦のことを言った瞬間、表情が変わりました。
「平原の戦が何だっていうのよ。みんな、戦、戦ってバカよ」
 そう叫んだシャンティの目には涙が光っています。
 ベンガが息を呑みながら尋ねます。
「シャンティ、ここ数週間の様子の変わりようには何か事情があるのではないか。差し支えなければ私たちに話してはくれないか」
 シャンティはあふれる涙をこらえながら言います。
「何言ってんのよ。事情なんかないわよ。そんなことより、タピー。ラニーラちゃんは無事だったの?」

 タピーは本当のことを言っていいのかわからないまま、答えます。
「う、うん、元気そうだった。久しぶりに会えてうれしかったよ」
「よかったね、本当に。好きな子が無事でよかったね」
 タピーは突然何かひらめきます。
「ねえ、シャンティ。もしかしてシャンティも好きな人がいるんじゃない?」

 

 タピーの言葉に、ぴたりと石のように動かなくなるシャンティ。ジャックが言います。
「おいおい、言ってることがよくわかんねえよ。それと具合が悪いのと何の関係があるんだよ」
「あれ、だけどそんな気がしたんだけどな」
 ベンガも重々しく言います。
「すまない、話の腰を折ってしまって。で、何の話だったかな」

 おし黙っていたシャンティが、ようやく口を開きます。
「タピーの言うとおりよ。好きな人がいるのよ」
 シャンティの言葉に、ベンガもジャックもびっくり仰天、言った本人のタピーも目を丸くします。
 今度は三人が石のように動かなくなってしまいました。
 シャンティはロビーをゆっくりと歩き回ります。
「まだ、『海人の国』にいたころにね、大陸から使節団が来たのよ。あたしはまだシンハ王の下で働く前だったから、海から使節団の人たちを見てたの」
 シャンティは花瓶の花を指ではじきます。
「その中に素敵な男の人がいたの。あたしはその人にもう一度会いたかったのよ」
 シャンティはタピーたちを振り返ります。
「でも、あたしは水の中でしか暮らせない人魚でしょ。そんなの叶うはずないわよね」
 ベンガがおそるおそる言います。
「では、シャンティの願いとは、その男性に会うことだったのか」
「うん、ごめんね。ベンガやタピーみたいに真剣なお願いじゃなくって」
 タピーは大きく首を横に振ります。
「ううん、シャンティのお願いだって大事だよ。あやまることないよ。ねっ、ベンガ」
「ああ、その通りだ。大事な願いに変わりはないぞ」

 泣き出しそうなシャンティにジャックが尋ねます。
「でよ、その人とはもう一回会えたのかよ」
「ええ、タピーが帰ってくる前、平原を渡る方法をみんなで探し回ったじゃない。あの時、あたしは平原の西の王国に行ったのよ。西の国も戦の準備で忙しそうだったけど、あたしは、安全に平原を渡れないものか、王宮にお願いしに行ったの」
 シャンティは息を一つふぅっとつきます。
「そしたら、王子があたしに会ってくれたの」
 ベンガが尋ねます。
「もしかしたら、その王子がシャンティの会いたがっていた男性なのか?」
「うん、名前はラメキー。あたしが予想してた通りの、優しい人だった。迷惑をかけているのを何べんも謝ってたわ」
 ジャックは舌打ちします。
「なんてこった。戦を始めようっていう国の王子が、シャンティの好きな人とはな」
「でも、平原を通行させてはくれないんだって。戦が終わるまで待ってくれって。もう何が何だかわからなくなっちゃって。ラメキーに会えたからあたしの願いは叶って、それで満足なはずなんだけど」
 ベンガは諭すように言います。
「そういうものではないだろう。好きな人がこれから戦に向かうのだぞ」
 シャンティはあきらめたように笑います。
「でもさ、あたしに何ができるっていうの。戦に行かないでって泣いて頼むわけ?」
 タピーは真剣な顔で言います。
「そうじゃないよ。戦を止めてって言うんだよ」
 ジャックがあきれて言います。
「また始まったよ。だから無理だって。東の王国とラメキー王子の西の王国はずっと仲が悪いんだぞ」
「できるよ、今までだってそうやってきたじゃないか」

 タピーの訴えにみんな黙り込みますが、やがてベンガが口を開きます。
「タピーの言う通りかもしれない。本気で戦を止めさせる努力をするべきではないか」
「でしょ、さあて、どうやって止めようか」
 すかさず、ジャックがちゃかします。
「何だよ、いつものように言ってみただけかよ。言っておくけどな、今回ラーラワティ様は力を貸してくださらないぞ」
「ええ、じゃあ、ディアンカーラさまやイドゥンティヤは?」
「それも無理だ。そのへんはもう確認済なんだ」
 ベンガが言います。
「神々の間ではこの戦には手を出さないという約束になっているらしいのだ」
「えー、わけがわかんないよ。みんながけんかを止めれば、幸せになれるでしょうに」
 ジャックが困ったように答えます。
「ガーギティヤ様も言ってたろ。神様は人間のやることにいちいち口出ししてられないんだって」
 シャンティも少し元気になったようです。
「こんな大きな戦が始まるんだから、神様が何かしてくれても良さそうなものだけど」
 ジャックの歯切れが急に悪くなります。
「おお、まあ、それについては実際に戦場に行ってみりゃわかるよ」
「あっ、何か知ってて隠してるでしょ」
ジャックはあわてて言います。
「そ、そんなんじゃねえよ」

 

 ずっと考え事をしていたベンガ。
「こうなったら、私たちだけで戦を止めさせるしかないな。ではよく聞いてくれ。平原の東の王国と西の王国はたいへんに離れている。たとえば東の王宮に行ってから、西の王宮に歩いて行こうとすれば、五日はかかってしまう。そこで、二手に分かれて行動しようと思う。あまり時間が無いからな」
 ベンガは質問する間を与えず、話を続けます。
「シャンティには西の王宮に行ってもらう。ラメキー王子は顔見知りであるしな」
 シャンティは力強くうなずきます。
「わかった。絶対に説得するわ」
「タピーと私は東の王宮に行く。知っている者もいないから、大変な仕事だぞ」
「おい、おいらは何すりゃいいんだい」
「ジャックは西のシャンティと東の私たちの間の連絡役だ。あと、ラーゴの情報を集めて欲しいのだ」
 ジャックはベンガの最後の一言に首をかしげます。
「なあ、何でラーゴの情報を集めなきゃいけないんだ」
「私の取り越し苦労であればいいのだが、どうも引っかかる。今回の東と西の王国の争いもラーゴが仕組んだものではないかという気がしているのだ」

 

 ようやく終わったベンガの話。タピーが言います。
「よーし、ベンガ。明日東の王宮に行こうね。シャンティは西の王宮だね」
 シャンティはすっかりいつもの表情に戻っています。
「ええ、あたしは命をかけて説得するから、あなたたちも頑張ってね」
 タピーは胸をとんと叩きます。
「ぼくだって、シャンティがラメキーを好きなのと同じくらい、みんなを好きなんだから」
 シャンティは微笑みながら言います。
「わかってる。あなたもベンガもジャックも他人を愛することにかけちゃ誰にも負けてないわよ」

 やっと元気になったシャンティ。タピーたちはこれから東と西の王国の戦を止めようとします。