平原の西の国の王宮に着いたシャンティ。しばらく待っていると、ラメキー王子が現れます。
「やあ、これは...。たしかシャンティさんでしたね。お会いするのは二度目ですね」
シャンティは小声で言います。
「二度目ではないんですけど、まあ、よしとするか。お元気でいらっしゃいました?」
ラメキーは一瞬怪訝そうな顔になりましたが、笑顔で答えます。
「外をご覧になりましたか。東の王国との戦が始まろうという状態では心も晴れません」
「やっぱり戦は始まってしまうんですね」
「あなた方には申し訳ないと思っています。けれども、関係のない方を巻き込むわけではないのをわかっていただきたいのです」
シャンティは思い切って切り出します。
「ラメキー王子。今日はお願いがあって参りました。戦を止めるわけにはいきませんか?」
ラメキーは困ったような顔をします。
「シャンティさんは旅のお方ですからご存知ないでしょうが、私どもの西の王国と東の王国とは長年の仇同士。これまでも小競り合いはありましたが、今回はお互いに決着をつける戦なのです。今更止めるわけにはいきません」
「でも、これだけ大きな戦となれば、多くの人が死ぬでしょう。ラメキー王子は心が痛まないのですか?」
「もちろん戦ですから、多少の犠牲は覚悟しております。ただ、今回の戦のために私どもの国ではその犠牲を最小限にするための『ある』準備をいたしました。そして、私どもの国が勝てば二度とこのような争いは起こさないですむのです」
「そんな都合のいい戦ってあるのでしょうか?あたしには理解できません」
ラメキーは立ち上がると、シャンティに言います。
「私はこれから前線に視察に行くところです。どうでしょう、シャンティさんも一緒に行っていただいて、その『ある』ものを見れば私の言っている意味がわかりますよ」
ラメキー王子の馬に乗って前線にやってきたシャンティとラメキー。そこには白い布をかけられ、厳重に兵士に守られたちょうど仔象くらいの大きさの物が置いてありました。
シャンティは息を呑みます。
「これは一体何ですか?」
「これは私が神にお願いしてお借りしてきた『神の雷(いかずち)』という兵器です」
「神の雷、何だか恐ろしい名前ですね」
「いえいえ、そんなことはありません。この『神の雷』こそが平和をもたらす手段です。この『神の雷』で東の王の一族だけを狙い撃つのです。王さえいなくなれば東の王国は負けたも同じです。本格的な戦で犠牲を出す前に戦を終えることができるのです」
「それでも東の兵士たちが戦うことを止めなかったらどうなさるおつもりですか?」
「仕方ありません。『神の雷』をさらに撃つことになるでしょう」
シャンティはがく然とします。
「そんな、そんな...では東の王国は全滅してしまうかもしれないではないですか。」
「そうなった時はそれが運命だと思うしかありません」
シャンティは体中の力が抜けていくような気分になりました。
「平和を呼び込むためにそんなに恐ろしい兵器を使うなんて、あたしには理解できません。ラメキー王子、お気は確かなのですか?」
ラメキーは唇をかみます。
「外の方にはわからないでしょうね。西と東がお互いをどれほど憎んでいるかを」
「ええ、あたしにはお互いの事情なんてわかりません。でも、これはあたしにとって無関係なんかじゃないんです」
ラメキーは不思議そうに尋ねます。
「もしかすると、シャンティさんのご親族かお知り合いの方が、この戦に参加されているのでしょうか?」
「そんなんじゃありません。そんなんじゃなくて、あたしの、あたしの愛する人なんです」
ラメキーは沈痛な面持ちです。
「それは、何と痛ましい話だろう。シャンティさんのお気持ちはお察しします。しかし、その愛されている人がうらやましくもあります。私にもシャンティさんのように命を賭けて止めてくれる人がいたなら、この戦を違う形で考えているかもしれませんね」
シャンティは一縷の望みを言葉に託そうとします。
「そうでしょう、ラメキー王子。あたしが、あたしがお慕い申し上げているのは……」
ラメキーはシャンティの言葉をさえぎるときっぱりと言います。
「さあ、ここにいては危険です。私がどこか安全な場所に連れて行きましょう。……この戦を止めるわけにはいかないのです」
一方こちらは東の王国に着いたタピーとベンガ。至るところで兵士たちが戦の準備をしている中、ベンガは一人の兵士に尋ねます。
「つかぬことを聞きますが、王様はどちらにいらっしゃいますか?」
尋ねられた兵士は胡散臭げにベンガを見ます。
「何だ、お前は、怪しい奴だな。もしや西の手の者ではないだろうな」
「いえいえ、滅相もありません。私たちはただの旅人です」
兵士はしげしげとベンガを見ていましたが、やがてぽんと手をうちます。
「そうか、お前兵士の志願者だな。うん、体格がいいから、きっといい働きをするぞ。よし、おれがお前を本営まで連れてってやる。そこで軍師殿に会うがよい」
兵士は一方的にそう言うと、ベンガについて来いという合図をして歩き出しますが、タピーがいるのに気づいて困った顔をします。
「ああ、困るなあ。子供は戦えないだろう」
ベンガはもうどうにでもなれという気持ちで、口からでまかせを言います。
「この子は、その、魔術師なんです。火を吹いたり、風を起こしたり、恐ろしい力を持っているんです」
兵士は他の兵士をかきわけて歩きながら、ほーっと感心します。
「それは心強いな。何、今回の戦で西の奴らは神々から借りた恐ろしい武器を使うんじゃないかなんて噂が流れてるから、お前みたいな奴も役に立つかもしれん」
ベンガは眉をひそめます。
「神々の武器、ですか?」
「まあ、噂に過ぎんがな。ただ、新しく来られた軍師殿もその武器に対抗するためにやって来られた素晴らしいお方だからな」
兵士とタピーたちは忙しく動き回る兵士たちをよけながら、本営となっているテントの前に到着します。
「ちょっと待ってろ。失礼します、軍師殿。我が軍に入隊したいという者を連れてまいりました」
テントの中から声がします。
「うむ、その者たちが来るのはわかっていた。ここに通せ」
タピーはどきっとします。自分たちが来ることをすでに知っている軍師とは一体誰でしょう。そういえば、テントの中から聞こえた声はどこかで聞いたことがあります。
恐る恐るテントの中に入っていくタピーとベンガ。そこには一人の人物が背中を向けて立っていました。
「やっぱり来たね。それでこそ君たちだ」
聞き覚えのある声、誰であるかを思い出した時、タピーは思わず大声で叫びます。
「クリンラ!クリンラだね。ここで何してるの?」
振り向いたのはまぎれもなくクリンラです。
「何って、さっきの兵士も軍師だって言ってたろ」
ベンガがたまらず言います。
「しかし、ジャックの話では今回の戦に神々は手を出さない約束だと聞きましたが」
クリンラは弱ったという風に両手を広げます。
「本当はぼくだって、人間の戦に首を突っ込みたくないよ。でもね、バランスを取らなきゃいけないんだよ」
「バランス、ですか?」
「うん、さっき聞いたと思うけど、西の王国は『神の雷』と呼ばれる神々の兵器を持ち出してきたんだ。あんなの人間相手に使ったら、東の王国はひとたまりもないよ。あれを押さえ込めるだけの力を持っているのは、神々の中でも数人しかいないから、ぼくの出番ってわけなんだ」
東の王国の本営で話し合うクリンラとタピーたち。ベンガがクリンラに尋ねます。
「西の王国はなぜそのような恐ろしい兵器を使うことができるのですか?」
「いくつか理由はあるんだけどね、西のラメキー王子が修行を続けて、神々の信頼を得ているってことが一番かな」
タピーはあきれた声を出します。
「また、それ。修行さえすれば悪い奴でも、悪い願いでも神さまは認めちゃうんだね」
「そう言われると弱いんだけど、神々は良くても悪くても修行して自分たちに近づこうと努力する人間が好きなんだよ。でも、さすがに今回の『神の雷』はやりすぎだから、ぼくがその力を弱めるのさ」
「えーっ、クリンラは戦を止めてくれるんじゃないの?」
クリンラは首を横に振ります。
「何度も聞いてると思うけど、ぼくらは人間のやることにあまり関わりを持たないようにしてるんだ。ましてや戦なんて人間の最も愚かな行いだろ?一度止めたって、またすぐに戦をやりたがるんだからきりがないよ」
「でも、クリンラがその『何とか』っていうものの力を弱めれば、戦にならないよね?」
「うーん、それはどうかな。たぶん西の王国は東の王様の一族だけを狙って『神の雷』を撃ってくるだろうから、ぼくがそれを跳ね返す。その繰り返しでやがて、『神の雷』が壊れるかぼくが疲れるか、それだけなんだけどね。でも、その一方でこの広い平原でたくさんの兵士たちがぶつかり合うわけだから、相当の犠牲が出るんじゃないかな」
「ていうことは、ベンガ。いよいよぼくたちが戦を止めなきゃいけないんだね」
ベンガは険しい表情のままクリンラに尋ねます。
「クリンラ様、やはりこの戦の影にはラーゴが」
「うん、さっき『神の雷』を持ち出せたのにはいくつか理由があるって言ったよね。もちろんラメキーが素晴らしい人間だからなんだけど、そのラメキーをそそのかしたのがラーゴなんだ」
「やはり、で、ラーゴは何を企んでいるのでしょうか?」
「本人に聞いてみれば。ここからしばらく北に行ったところの小高い丘の上の屋敷にいるみたいだから」
ベンガはタピーに告げます。
「聞いての通りだ。私は今からラーゴの屋敷に乗り込む。お前はここに残り、ジャックに今の話を伝えてくれ」
クリンラが言います。
「今回の戦はもう止められないよ。ベンガがラーゴをやっつければ、もしかしたらみんな悪い夢から覚めて戦を止めるかもしれないけど」
「クリンラ様、言ってはみたものの強大な魔力を持つラーゴに勝てるのでしょうか?」
クリンラはウインクします。
「大丈夫だって。友だちの神はぼくだけじゃないだろ?さて、タピー。戦が始まるまでお茶でも飲もう」
タピーたちがお茶を飲んでいると、ジャックが必死の思いで飛んできます。
「ああ、また矢で撃たれそうになって、死ぬかと思った。おい、タピー。何のんびりとお茶なんか飲んでんだよ」
タピーはむっとした顔で言います。
「ジャック。クリンラがここにいるの知ってたんでしょ?何で言ってくれないのさ。」
「いや、それは、クリンラ様が絶対に『内緒にしておけ』っておっしゃられたから。」
クリンラが助け舟を出します。
「『神の雷』のおかげで西の王国の人たちは戦に勝った気になって油断しているのさ。でも、ぼくがここにいるのが西にばれたらどうなると思う?きっと彼らは必死になって戦うから、犠牲が増えちゃうだろ」
ジャックは周りをきょろきょろと見回します。
「ところでベンガはどこに行ったんだい?」
「うん、北にあるラーゴの屋敷に行くって出てっちゃった」
「クリンラ様、するといよいよ……」
「ああ、もう一つの作戦が動き出す。後はベンガの頑張り次第だね」
「えっ、まだ内緒にしてることがあるの?ずるいよ、クリンラもジャックも」
クリンラがすまなそうに言います。
「ごめん、ごめん。後でタピーにもわかるから、もうちょっと待っててよ。それより、ジャック。そろそろ戦が始まる。シャンティは安全な場所にいるのかな」
「はい、さっき空から見た時には、ラメキー王子に送られて後方の陣地に避難してましたぜ」
「それなら安心だ。さて、ぼくも前線に出かけよう。この本営にはぼくの魔法がかかってるから、君たちはここに居れば安全だよ」
ラーゴの屋敷に急ぐベンガ。やがて前方の丘の上に白い屋敷が見えてきます。
「どうやら、あれがラーゴの屋敷のようだ。急がなければ」
その時、ベンガの行く手に父親と二人の子供らしき三人の人影が見えてきました。ベンガはその不思議な親子連れに声をかけます。
「まもなく戦になるかもしれません。早く安全な場所に逃げた方がいいですよ」
父親らしき人物が顔を伏せたまま答えます。
「それはご親切に。ただ、私たちはベンガ殿をお待ちしておったのです」
ベンガは思わず身構えます。
「私がここを通るのを知っているとは。怪しい奴め、何者だ」
父親らしき人は顔を上げます。
「わからぬか、ベンガ。まだまだ修行が足りんようだな」
「あ、あなたはディアンカーラ様。すると隣のお二人は……」
ディアンカーラの隣の二人の子供が顔を上げると、まぎれもなく戦の神、イドゥンティヤと『象の神様』ガーギティヤでした。
「こんにちは。相変わらず色々と大変そうだね。」
「ベンガ、予言は当たったけど、タピーが無事で良かったね」
「な、なぜ、あなた方がここで私を待っていらっしゃるのでしょうか?」
ディアンカーラはおごそかに言います。
「うむ、お主はこれからいよいよラーゴとの対決に臨もうとしておる。だが、お主の力ではラーゴの魔力に勝てないのは、お主が一番よくわかっておるはずだ。そこでわしらがお主に力を貸す。まず、わしからは、『第三の眼』の力を貸そう。これがあれば、お主はラーゴの他人の心を操る術に陥ることはなくなる」
イドゥンティヤが続けます。
「ぼくは『光の矢』。君の振り下ろす拳は今までの何倍も速く、そして強くなるんだ」
最後にガーギティヤです。
「ぼくからは『象とねずみの守り』だよ。君の皮膚は鉄のように硬くなり、そしてねずみみたいに素早く攻撃を避けることができるようになるよ。あ、もちろん貸すだけだから、後で返してもらうけどね」
あっけにとられるベンガ。
「なぜ、私にそこまでしてくださるのですか?」
ディアンカーラは言います。
「知っての通り、わしら神ではラーゴは倒せない。それができるのはお主なのだ」
イドゥンティヤが言います。
「ラーゴに直接手を出せないけれど、君にこうして力を貸すことはできるからね」
ガーギティヤが言います。
「だから、ラーゴに気づかれないように、ここで待ってたんだよ」
ディアンカーラが再び言います。
「ベンガよ、準備はよいか。力授けられし後は、大急ぎでラーゴの元に向かい決着をつけねばならん。神の力は、お主の体に猛烈な負担をもたらすのだ。急がねば平原の戦が始まり、ヴィキラといえども『神の雷』により痛手を負ってしまうかもしれん。そうなれば、東も西もなくすべての人が死に絶えてしまうことになるぞ」
ベンガは深く息を吐きます。
「わかりました。必ずや、ラーゴを倒します」
「うむ、それでは参るぞ」
三人の神の体が白く光り出したかと思うと、光は一筋の流れとなってベンガの体の中に注ぎ込まれます。次の瞬間、ベンガはラーゴの屋敷の前にいました。
「おお、体中に力が溢れてくる。さあ、ラーゴを見つけねば」
こちらは平原の前線。ラメキー王子は、それまで瞑想していた椅子から立ち上がり兵士たちに告げます。
「よいな、今回の戦はあくまでも『神の雷』で東の王族たちを仕留めれば終わり。お前たちは私の指示があるまでは、絶対に動いてはならんぞ。では、『神の雷』を動かすぞ」
白い布を取り去られた『神の雷』がその禍々しい姿を現し、ラメキーは何やらつぶやきながら、『神の雷』に手を添えます。
「雷よ、東の王族たちを撃つがよい。いくぞ!」
東の前線ではクリンラも瞑想をしていましたが、突然かっと目を見開きます。
「来たな。それ!」
クリンラは空中に舞い、東の王族たちの上に落ちようとする雷を体で受け止め弾き返します。
「さすがに『神の雷』は堪えるな。ラメキーは二発目を撃ってこれるかな」
西の前線では、ラメキーがぼうぜんとしています。
「これは目の誤りか。雷は確かに東の王族を撃ったはずだが、何の手ごたえもないとは。うむ、こうなれば今一度精神を集中して、二発目を撃つしかあるまい」
こちらは、ラーゴの屋敷に忍び込んだベンガ。襲いかかるラーゴの手下を苦も無く打ち倒し、ラーゴの部屋の前にたどり着きます。
「いよいよこの先だ。ラーゴよ、覚悟しろ」
ベンガが重い木の扉を打ち破った先には、一人の男がソファに座っています。
初めて見るラーゴの姿、ラーゴは口の両方の端から長い牙の生えた、奇妙な赤い仮面をかぶっています。ラーゴは落ち着き払った声で言います。
「おや、騒がしいと思ったら珍しい客人だな。せっかく来たのだ、茶の一杯でも出そうか」
ベンガは頭に血が昇りそうになるのをぐっと堪えます。
「ふざけるな。私は、平原の戦を止めさせるためにお前を倒しに来たのだ」
ラーゴはおもむろに立ち上がると、部屋の端にある大きな窓を開けました。
「ほお、ただ一足違いだったようだな。外を見るがいい、戦はすでに始まっているぞ」
窓からは、平原の戦がすべて見渡せるようになっているようで、ベンガは急いで駆け寄ります。
「何を言っている。まだ両方の軍勢は衝突していないではないか」
「わはは、所詮お前はその程度の男か。わしに歯向かうからにはもう少し骨のある奴かと思ったが、買いかぶりすぎだったか。よく目をこらして見てみろ。ラメキーはすでに『神の雷』を撃った後だ」
「何だと、でたらめを言うな。それならなぜ、東の側が大騒ぎになっていないんだ」
「さあな、おおかたラメキーの力が足りんのだろう。まあ、わしにとってはどちらでもいいことだがな」
訝しげな表情のベンガ。
「ラーゴ、お前の狙いは一体何だ。ラメキーをそそのかして、東の王国を滅ぼすことではないのか?」
ラーゴは外を見ながら言います。
「せっかくここまで来たのだ。わしの計画を話してやろう。本当の狙いは、東も西も両方の王国を滅ぼして、平原を我が手に収めることだ」
「では、なぜラメキーに『神の雷』を使うようにそそのかしたのだ。西が勝ってしまえば、お前の計画は実現しないぞ」
「東と西の王国で手強いのはラメキーだけ、後はみんな取るに足らん奴ばかりだ。だから、わしはラメキーに『神の雷』を使え、と言った。『神の雷』とは使う者の命を削る、恐ろしい兵器なのだ。ラメキーが雷を何発も撃てば命は無くなる、そうなれば西が勝ったところでわしの計画の大した障害にはならん」
突然、ラーゴの体から何とも気味の悪い淀んだ空気が流れ始めたような気がします。ベンガはその空気を振り払うかのように言います。
「では、お前は初めからラメキーだけは殺すつもりだったのか」
ラーゴは大げさに首を横に振ります。
「人聞きの悪いことを言うな。わしはラメキーがどうしてもと言うから、親切にしてやったまで。感謝こそされても責められる筋合いではない。しかし、外の様子を見れば、ラメキーはまだ何発も雷を撃つであろうから、命は無くなるな、可哀相に」
ベンガはもう我慢ができなくなりました。
「ラーゴ、お前だけは許せん。今、この場でお前を倒す」
ラーゴはゆっくりと言います。
「よかろう。倒せるものであればな。そうだ、お前の名前を聞いておこうか。わしの思い出話に出てくる時に名前がないのでは寂しいだろう」
ベンガは戦闘体制に入ります。
「我が名はベンガ。神に代わりお前を成敗する」
平原の前線。さすがのクリンラも肩で息をしています。
「ラメキーはすごいな。何発、雷を撃ってるんだろう。体のあちこちが痛いや」
西の前線ではラメキーが『神の雷』にもたれかかって、かろうじて立っている有様です。
これを見た大臣の一人がたまらずラメキーに言います。
「王子、それ以上雷を撃つと、あなた様の命が無くなってしまいます。ここは私たちに突撃命令をお出しください。そしてあなた様は、体をお休めになってください」
もはや虫の息のラメキーはそれでも気力を振り絞って答えます。
「ならん。私はお前たちの誰一人として死なせたくはないのだ」
これを聞いた大臣は思わず涙ぐみます。
「王子、私はこれから重大な命令違反を致します。あとでどんな罰でも受けましょう。皆の者、これより東の軍勢に突撃をかけるぞ、付いて参れ!」
ラメキーは声にならない声を上げます。
「ならん、ならんぞ。こうなれば、あと一発、一発だけ雷を撃つ力を私に与えたまえ!」
東の前線では兵士の一人がクリンラに異変を報告します。
「何だって、西の兵士たちが動き出したって。いいかい、絶対にぶつかっちゃいけないよ。ぼくはここで雷を止めなきゃいけないんだけど、手が空いたら必ずそっちに駆けつけるからそれまでは逃げ回って、決して戦っちゃいけない」
その時、西の空がにわかに騒がしくなりました。ちょうど、たくさんの渡り鳥たちが西から東に横断するところだったのです。
東の兵士たちはこの鳥の群れを西の総攻撃と勘違いして大騒ぎし、クリンラの出した命令を無視して勝手に戦いを始めてしまいました。
クリンラはため息をつきます。
「ああ、何てことだ。急いで止めなきゃ。ん、だけど今度のラメキーの撃つ雷は今までとは比べ物にならないくらい大きそうだぞ。まずいな、無事に止められるだろうか」
ラーゴの屋敷で距離を取って向かい合うベンガとラーゴ。突然、ラーゴが大笑いを始めます。
「わははは、とうとう東と西の衝突が始まったようだぞ。ラメキーももはや命はあるまい。わしの計画通りに物事は進んでおる。どうだ、ベンガとやら。わしの家来になって世界を我が手に収めんか」
ベンガは怒りを込めて答えます。
「断る。お前のような悪人の手先になるくらいなら、死んだ方がましだ。それ!」
ベンガが拳を繰り出します。ラーゴはそれを素早く避けると、呪文を唱え始めます。
「愚か者め。ならばこれでも食らうがよい」
ラーゴの放つ魔法はまともにベンガに命中します。けれども、ベンガはディアンカーラの『第三の眼』によって守られているので、ラーゴの魔法を跳ね返します。
「これは驚いた。わしの魔法を跳ね返せる人間がいるとは。お前はラメキーよりも力を持った人間なのか」
ベンガは軽い足取りでラーゴの周りを回り始めます。ガーギティヤの『象とねずみの守り』のおかげで、目にも留まらぬ速さです。
「お前の魔法はそんなものか。今度はこっちの番だ。それ!」
イドゥンティヤの『光の矢』によって速さも威力も格段に上がっているベンガの拳がラーゴめがけて伸びていきます。
「わぁっ」
さすがはラーゴも修行を積んだだけはあります。間一髪でよけましたが、ベンガの放った拳はラーゴの脇腹を切り裂いたようです。
「これは驚いた。わしの体に傷をつける者がいるとは。貴様、一体何者だ」
ラーゴはまた呪文を唱え始めます。
その時、ベンガの頭の中にディアンカーラの声がとどろきます。
「いかん、ベンガ。とどめを。早くラーゴにとどめを刺すのだ」
ベンガは慌てて拳を繰り出しますが、ラーゴは素早くそれを避けるとベンガに向かって言い放ちます。
「なるほど、そういうことか。わかったぞ、お前の秘密が」
ベンガの秘密がわかったというラーゴ。
「わしはかつて神と『神にも人にも獣にも倒されない』という約束を交わしたのだ。ところが、お前はわしの体に傷をつけた。なぜだ、それはお前が『人の姿を借りた虎』、つまり『人でも獣でもない者』だからだ。ディアンカーラやクリンラの考えそうなことよ」
ベンガはラーゴを追い詰めます。
「わかったところでどうする。お前は私の拳で倒されるのだ。それ!」
ラーゴはとんぼ返りをしてベンガの拳を避けると、ゆっくりと言います。
「先ほど、この平原を我が手に収めると言ったが訂正しよう。こんな平原はもう要らん。お前のようにわしを倒すことができる者のいる場所では安心ができんからな。わしはお前がたどり着くことができない遠くの地で、初めから計画をやり直す。お前の名前、聞いておいて良かったぞ。では、さらばだ、ベンガ」
それだけ言うと、ラーゴの姿はかき消すように消えてしまいます。ラーゴの発していた淀んだ空気が消えると同時に、ベンガを支えていた神の力も消えていきます。
気が付けば、ベンガのそばにはディアンカーラたちが立っています。
「惜しかったな。あと少しでラーゴを倒せたものを」
ベンガはその場に座り込みます。
「申し訳ありません。私の力が足りないばかりにラーゴを取り逃がしてしまいました」
「まあよい。神でも倒せないラーゴに傷をつけたのだ。お主が修行を怠らねば、いつの日か必ずやラーゴを打ち倒せるであろう」
「しかし、ラーゴは私の手の届かない遠い土地に行く、と言っておりました」
「それも心配するでない。お主はこの先もラーゴと闘う運命にある」
イドゥンティヤがベンガに言います。
「神々はラーゴを見張っているから、あいつがどこに行ったってすぐにわかるよ。そこに君が乗り込んでいけばいいんだよ」
ガーギティヤが言います。
「さて、平原に戻ろうよ。戦も大変なことになっているし、タピーやシャンティに会いたいだろ」
こちらは平原の前線。クリンラは気を失っていたようです。
「うーん、さすがに今のは効いたあ。ラメキーは神に負けないほどのすごい力を出したけど、大丈夫かな」
クリンラはそう言って立ち上がりましたが、あたりの様子が変です。あまりに静かで、月の無い夜のように真っ暗です。
「何てことだ。戦はもう終わっちゃったんだ。はっ、タピーは無事かな」
クリンラが本営にたどり着くと、その前にはタピーとジャックがいます。
「クリンラ!無事だったんだね。でも、これは一体何?静かになったんで外に出てみたら、みんな倒れてて起き上がらないし」
「この人たちはもう起き上がらないんだ。死んでいるんだよ」
タピーはクリンラの言葉を信じていないようです。
「え、うそでしょ。だって、こんなに広い平原が倒れてる人でいっぱいだよ。そんなにたくさんの人が死ぬなんて、ぼくには信じられないよ」
「タピー、信じられないかもしれないけど、これが戦なんだよ。人間の行うとっても愚かしい行為なんだ」
タピーはなおも考えます。
「わからない、ぼくにはわからないよ。じゃあ、この死んだ人たちは何のために生まれてきたの?」
その時、遠くから声がします。
「おーい、タピー。大丈夫か」
声の主はベンガでした。ディアンカーラとイドゥンティヤとガーギティヤも一緒にいるようです。本営のところにやってきたディアンカーラがクリンラに言います。
「やはりこういう結果になってしまったか。こちらも、もう少しというところでベンガの秘密がラーゴに判ってしまい、ラーゴを取り逃がしてしまった」
クリンラは肩をすくめます。
「そう、それは残念。ところで生き残った人はいるのかな」
ディアンカーラが空に向かって叫びます。
「エマよ、一体何人が生き延びた?」
しばらくして、空から答えが返ってきます。
「ディアンカーラか。東は百九十七人、西は四十九人、合わせて二百四十六人だけだ」
「何という馬鹿げた話だ。つくづく人間の愚かさにはあきれてしまう」
しょげているタピーに近づくベンガとイドゥンティヤとガーギティヤ。
「タピーよ、私たちはつくづく無力だな。戦を止められなかったし、ラーゴにも逃げられてしまった」
イドゥンティヤが言います。
「そうやって自分を責めちゃいけないよ。君たちは精一杯努力したんだから」
ガーギティヤも言います。
「そうそう、君たちがいなければ生き残った人もいなかったろうし、ラーゴがこの平原を支配することになってたんだよ」
何も言わず黙っているタピーを見て、雰囲気を変えるようにガーギティヤが言います。
「そう言えば、シャンティはどうしたかな。さあ、みんなで迎えに行こう」
累々と積み重なる死人の山を横目に西に着いたタピーたち。とても悲しげなヴィーナの音色が聞こえます。ラーラワティの姿を見つけたタピーが尋ねます。
「シャンティは無事、今どこにいるの?」
ラーラワティは黙って、『神の雷』が置いてあったあたりを指差します。
『神の雷』はもうその原型を留めておらず、そこにシャンティが背中を向けて座っていました。
タピーたちはシャンティに近づき、静かにその周りに立ちます。
シャンティはラメキーのなきがらを膝に乗せ、髪を優しく撫でています。今はもう声を発することのないラメキーに向かって話しかけます。
「ラメキー様、あたしはね、初めてお見かけした時からずっとあなたを好きだったんですよ。海を泳いでいたあたしがラーラワティ様に頼みこんで、二本足で歩けるようにしてもらい、長い旅をしてようやくあなたと再会できたんです。あたしは嬉しかった。あなたにもう一度、それも人間の姿でお会いできるなんて思ってなかったから。しかも、今はこうしてあなたにあたしのずっと暖めていた気持ちをお伝えしているなんて、まるで夢みたい。ねえ、ラメキー様、きっとこれは夢なんですよね。お願いですから、お願いだから、目を開けて『夢なんだよ』って言って」
ラーラワティの奏でるヴィーナの音色だけが悲しく響き渡ります。
しばらくすると、シャンティはラメキーのまぶたを閉じて、頭をそっと地面に置くと、立ち上がり、目を閉じます。
「ラメキーさま、ごめんね。あたしには待っててくれる人たちがいるの。ここに置いていくけれど、寂しくないよね」
シャンティは目を閉じたまま、静かに問いかけます。
「神様たち、ベンガ、タピー、誰でもいいわ。あたしに教えて。戦の果てには何があるの?」
ラーラワティが答えます。
「何もないのですよ。そこに未来の希望があると思う人もいるかもしれませんが、それを上回る悲しみと絶望が小さな希望を吹き飛ばしてしまうのです」
戦は終わりました。二度と帰ってこない多くの人々と残された人々の踏みにじられた夢や希望の残骸だけがこの地上に溢れています。