第十七話:シュマナ山

 静かな静かな湖のほとり。ラーラワティがタピーに問いかけます。
「この先はいよいよシュマナ山です。準備はできましたか?」
「うん、あ、はい。でも準備って?」
「『願い』です。旅を通してあなたの願いはどうなったのでしょうか?もし変わったのであれば、シュマナ山に登る前にその新しい願いを聞いておかなくてはなりません。『高原の町』に行く途中に出会ったシーダも言っていたでしょう。シュマナ山に着くまでに本当の願いを見つけなさいと。今、その答えを出す時です」
「あっ、そうか。うーん、うまくまとまらないかもしれないけど言うね。ぼくは、みんなに幸せになってほしいんだ。シャンティもベンガもジャックもチュンホアも悲しい思いをしてきてるじゃない。ってことは、きっと世界にはもっと悲しい人がたくさんいるんだよね。ぼくはそんなのいやだ。そんなの間違ってるよ。やっぱりみんなが幸せにならなきゃおかしいよ」

 ラーラワティは静かに言います。
「ならばあなたの力でこの間違った世界のありようを変えられますか?」
「うん、ぼく一人でどこまでできるかわからないけど、でも、まだ旅を続けるよ」
「……その言葉に偽りはありませんね。けれども、これまでよりももっと辛い試練を受け止めないといけませんよ。シュマナ山を越えてテンチーまで行くつもりですか?」
「テンチーでラーゴに苦しめられている人々を救うのだな。それなら私も行くぞ。お前一人を行かせはしない」
 ベンガがそう言うと、当然のごとくシャンティビーガも同行を申し出ます。

 タピーはあわてて首を横に振りました。
「えっ、何言ってるの。シャンティは『海人の国』に帰らなきゃだし、ベンガとビーガはどこかのジャングルで暮らさなきゃ。これからの旅はぼくが自分で選んだんだから、君たちに迷惑はかけられないよ」
 ラーラワティは何か言いたげなベンガたちを目で制して、タピーに質問をします。
「ところで、ケートゥと何の約束をしたのですか?」
「わあ、やっぱりラーラワティさまは何でも知ってるんだね。実はね……」

 

 ケートゥの屋敷での会話を思い出すタピー。
「……ところで、ちび助。一つだけ頼みがあるんだが」
「えっ、何、ぼくに頼みって?」
「こんなこと言えた義理じゃないんだが、おれの兄貴、ラーゴを救ってほしい。お前がおれにしてくれたように兄貴も暗闇から救い上げてほしいんだ。おそらく、兄貴の暗闇はおれのなんかとは比べ物にならないほど深い。早くしないと兄貴はその暗闇に押しつぶされてしまう気がする。でも、それができるのはお前だけだ、おれは自分が救い出されたからそう信じている。頼む、兄貴のことを頼む」
「うん、わかったよ、ケートゥ」

「やはり、そうでしたか。あなたはが救おうとする悲しい人間の中にはラーゴも入っているのですね……きっと辛く長い旅ですよ。本当にあなた一人でやり遂げられますか?」
 タピーはベンガをちらっと見てから、ひそひそ声で答えます。
「うーん、わかんないけど、みんなは帰る場所があるんだから、そこで幸せに暮らすのがいいんだよ。でも、ぼくには帰る場所もないし、どこに行ったとしても楽ちんでしょ」
「わかりました。せめてジャックだけは連れて行きなさい。ジャック、わかりましたね」

 ジャックは嬉しそうにうなずくと、タピーの肩に留まります。
「……何だ、その……もうちょっと付き合ってやるぜ」
「さっきぼくを『大事な友だち』って言ってくれたじゃない。うれしかったよ。でも、ポーリーヌと別れるのはさびしくないの?」
「……ん、まあな。実は、ポーリーヌの声が聞こえたんだ。おまえと一緒に旅を続けろだってよ。で、ここにおいらが戻ってくるまでに生まれ変わって待っててくれるってな」
「ほんとう、よかったね」
「ああ、じゃあ、ちょっくらシュマナ山に行きますか」
 ベンガはまだ納得がいかない様子で、もう一度テンチーまでの同行を申し出ますが、タピーはそれには答えずに、ただにっこりと笑うとジャックを肩にのせてシュマナ山に続く山道を歩き出します。

 

 シュマナ山に向かったタピー達を見送る、浮かない顔のラーラワティ。
「ボーンラマ、タピーにこの世界の行く末を背負わせるのは気がひけます」
 ラーラワティが空を見上げると、答えが返ってきます。
「タピーは目覚めたようだな。それが今の世界にとって必要なことなのだろう」
「甘えんぼうの子供だと思っていましたが」
「平原の戦の後からタピー自身の中で何かが変わったのだろうが、口に出す機会がなかっただけだ」
「ではシュマナ山でタピーたちを迎えましょう」

 

 目の前に見えてくるシュマナ山の山頂。タピーたちが歩いていくと、やがて大きな門が現れ、その前には門番がいます。
「おお、来たか。待っておったぞ」
「こんにちは。この門の先がシュマナ山なの?」
「そうだ、この先が神々の住まいだ。さあ、通るがよい」

 門を抜けると、色とりどりに咲き乱れる花と、たわわに果実が実る木々に囲まれた道が山頂まで続いています。
 タピーたちが山頂に着くと、そこは開けた場所になっていて、神々が勢揃いしています。ディアンカーラ、クリンラ、イドゥンティヤ、ガーギティヤ、そしてラーラワティ。
「よくぞ、たどりついた。シュマナ山はお主らを祝福するぞ」
 ディアンカーラの言葉を皮切りに、神々が次々に口を開きます。
「長い旅だったけど、よくがんばったね」
「ケートゥも心を入れ替えたしね」
「君たちはたくさんの人々を救ったんだよ」
 最後にラーラワティが言います。
「今はひとまず旅の終わりを祝いましょう。タピー、あなたが会ってお願いをすることになっていたもっと偉い神というのはここにいる神々なのです。あなたは旅の中ですでに彼らに会っていたのですよ」

 タピーは目を白黒させます。
「え、もっと偉い神さまってボーンラマさまじゃないの?」
「ボーンラマは、すべての源。この世界の始まりと終わりを見つめています。私達のように実体があるわけではないのです」
 ラーラワティがそういい終えると、山頂の上空に大きな影が浮かび上がります。
「我はボーンラマ。タピーよ、願いを今一度問う。お前は他の獏と同じ体の色になりたいという願いを叶えにシュマナ山まで来た。相違ないか?」
 タピーは首を横に振ります。
「最初はそうだったけどね。でも、今は違うんだ」
「ならばその願いを言うがいい。」
「うん、ぼくはね、みんなに幸せになってほしいんだ」
「その願いはさすがに叶えることはできん。そうしたいならお前だけの力で愚かな人間たちを変えていかなければならない」
「わかってるよ。だから、ぼくはまだ旅を続ける」
「……好きにするがよい」
 そう言うとボーンラマの影は消えてしまいました。

 

 ボーンラマが消えた後の広場に神々とタピーたちが残ります。
「さて」
 ブロイナが口を開きます。
「せっかく来たんだからのんびりするといいよ。そうだ、シュマナ山を見学していきなよ」
 タピーたちはシュマナ山の色々な場所を見て回りました。花の咲き乱れる野原には妖精たちが戯れ、滝の流れる岩山には見たこともない獣や鳥たちが遊びます。宇宙をかたどったドームの天井には星々が瞬き、宮殿の東西南北の床には世界を守る緑の龍や黒い亀が寝そべっています。

 シュマナ山での夢のような時間を過ごすタピーたちのところにアドゥンがやってきて尋ねます。
「ところでこれから君たちはどうするの。特に予定がないならこのままここに住んじゃえば?」
「えっ」
 シャンティが聞き返します。
「それはどういう意味ですか?」
「いや、だからね、ベンガもシャンティも元の姿に戻って元の場所に帰るよりは今の姿のままシュマナ山で暮らした方がいいんじゃないか、と思ってさ」
「神々とご一緒に暮らすということですか。……せっかくのお誘いですが」
 ベンガがどこか沈んだ口調で答えます。
「うん、そうだね。まだ旅は終わってないんだね」
 アドゥンはにこりと笑います。

 

 下界と違い平和な日々が永遠に続きそうなシュマナ山でのある日、タピーがベンガを散歩に誘います。
「ねえ、ベンガ。ぼく毎日食べて寝ての繰り返しで太っちゃうよ」
 タピーはベンガに言います。
「トーマスのところでやったフットボールをしない?」
「あ、ああ」
 ベンガは突然のタピーの申し出に少し驚いたようです。
「そんなことなら御安い御用だ。きっとどこかにボールがあるだろう」

 ベンガが神様の一人から借りてきたボールを使ってタピーとベンガは日が昇ってからお昼過ぎまで一言もしゃべらずにボールを蹴り続けます。
 突然タピーが力いっぱい蹴ったボールがあさっての方向へ飛んでいってしまいます。
「どうしたんだ。タピーらしくもない」
 ベンガはボールを取りに行きますがボールは運悪く草むらの中に入ったようでなかなか見つかりません。

「ああ、あったぞ」
 ベンガが草むらからボールを手に出て来ます。
「タピー、そろそろ一休みしないか?」
 ベンガは手に持ったボールをぽとりと落とします。
「タピー、行ってしまったのか。……」

 たった一人でシュマナ山を降りるタピー。
 この先、タピーははるかテンチーの地まで歩いていくのです。