第十一話:『死の国』の王と元サーカスの少女

 タピーとラーラワティが初めて会った泉。ラーラワティが尋ねます。
「タピー、もういいのですか」
 タピーはできる限りの笑顔で答えます。
「うん、タリーバもラニーラも元気だったんで安心したよ。じゃまだから早く帰れ、って言われちゃったんだ」
 ラーラワティは黙って聞いていましたが、やがて言います。
「そうですか。では『商人の港』に戻りましょう」
 ラーラワティは本を開こうとしました。
「待って、ラーラワティさま。お願いがあるんです」

 ラーラワティは開きかけた本を閉じます。
「お願いとは?」
「ここからは一人で『商人の港』まで戻りたいんです」
「『商人の港』までは長い道のりですよ。あなたが今まで仲間と旅をしてきたのと同じくらいの時間がかかりますよ」
「えっ、そんなに遠いの。困ったなあ。ベンガも早くビーガを探したいだろうし」
 ラーラワティは静かに言います。
「タピー、あなたが一人で歩いてみたいという気持ちはわかります。けれども時間があまりないのも事実ですから、こうしましょう。私はゴホーまであなたを送ります。そこから、『海人の国』まで一人で歩いていき、シャノラにお願いして『商人の港』まで送り届けてもらいなさい」
 タピーの目が輝きました。
「あっ、それならぼくも一人で旅ができるし、ベンガたちもそんなに待たせないし」
 ラーラワティはにこりと微笑みます。
「ではそうしましょう。シャノラやベンガたちには私から伝えておきます」
「ラーラワティさま、わがままばかり言ってごめんなさい」

 

 次の瞬間、一人で道端に立っているタピー。あたりを見回すと、お寺の多い景色へと変わっています。
「あ、きっとゴホーだ。ここの人は神様が大好きだってジャックが言ってたからね。」
 タピーは鼻歌を歌いながら歩き出しました。しばらく歩いていると、足首にチクリと痛みが走ります。
「あっ、痛っ……」
 タピーはそのまま道端にうつ伏せに倒れこみます。足元では恐ろしいキングコブラが鎌首をもたげていました。

 みるみるタピーの顔色が青ざめていきます。目の前の景色がぐにゃぐにゃと歪み、空もお寺もぐるぐる回り始めます。
「あれ、体が動かないし、景色が回って見える」
 その時、タピーに近づく一つの大きな黒い影がありました。
「タピーよ。私を見るがよい」
 タピーはやっとのことで上を見ます。
「……だれ?ぼくを呼ぶのは」

 黒い影は人の姿になります。
「私は死の神、エマだ。お前を自ら迎えにきた」
「エマって、ガーギティヤが言ってた死の神?」
「お前はこれから『死の国』に行くことになっている。これは決まりだ。本当ならばコブラの猛毒で死んでいるのだが、私の力でもう少しだけ生かしてやる。お前に興味があるのだ」
 エマは大きな帳面を出しながら言います。
「お前はお前の村が襲われた時に、死ぬことになっておった。私の名簿にはちゃんとお前の名前が書いてあったのだ。ところが、村が襲われたにもかかわらず、お前は『死の国』に来なかった。私には何が起こったのか理解できなかった」
 タピーは何か言おうとしましたが、体中がしびれていて何も言えません。エマはゆっくりとタピーの周りを漂います。
「そこでこうして改めてコブラにお前を噛ませたのだ。さて、ここからが本題である。話ができるようにお前の苦痛を少し和らげてやろう」
 タピーは体が少しだけ楽になるのを感じます。
「……ぼくに何か聞きたいことがあるの?」
「うむ、お前を『死の国』に連れて行く前に、どうしても聞いておきたいことがある。お前は一体何者だ?なぜ旅をしている?」
「……ぼくはバクのタピー。偉い神様に会うために旅をしてるんだ」

 夕焼けの空にゴホーの寺院のシルエットが浮かぶ中、エマはさらに問いただします。
「その姿は何だ。まるで人間のようなその姿は」
「ラーラワティさまが旅をしやすいようにって、姿を変えてくれたんだ」
「なるほど、ラーラワティの力か。何故ラーラワティがそのようなことを」
「知らないよ」
「知らぬか。まあ、後でラーラワティに聞くとしよう。もうお前に聞くことはない」

 タピーは体が再びしびれ始めてきて、目の前の景色がぼんやりとします。エマがタピーの耳元で囁きます。
「では、『死の国』に参ろうか。お前の魂が体を離れるまで、目を閉じているがよい」
 薄れていく意識の中を、色々な景色が通り過ぎてゆきます。
 ベンガとの出会い、ディアンカーラに森に閉じ込められたこと、トーマスとの悲しい別れ、シンハ王、シャンティ、ランカの都、ラニーラ...一頭の光り輝く馬が走ってくるのが見えます。
「ああ、シャノラだ。相変わらず速いなあ。どこに行こうとしてるんだろ」
 シャノラはなおも近づいてくるようです。
「うーん、頭がぼんやりしちゃって、シャノラばっかり見えるよ」

 

 すっかり意識を失いかけているタピー。そこにシャノラが到着します。シャノラから降りたのは、黒髪の少女チュンホアでした。
「どうやら間に合ったようだね。タピー、しっかりしなよ」
 タピーの魂が出てくるのを待っていたエマはチュンホアを見ます。
「お前は何者だ。この者はまもなく『死の国』に旅立つのだぞ」
 チュンホアはうやうやしくエマにお辞儀をします。
「エマ様でいらっしゃいますね。こんな子供のためにわざわざエマ様が出てこられなくともよろしいでしょうに」
 名前を呼ばれたエマはちょっとびっくりして答えます。
「うむ、このタピーという者、私の名簿に載っていたのに『死の国』に来なかったのだ。その理由を知りたくてな」
 チュンホアは大げさに驚きます。
「さすがは公平な裁きの神。まじめに仕事に取り組んでいられるんですね」
 誉められたエマはまんざらでもないようです。
「いや、私の仕事がきっちりとしていなければ、この世は成り立たんであろう」
「その通りですわ。で、納得はなさいました?」

「なぜタピーをこのような姿にしたのかはわからなかったが、それについては後でラーラワティに聞けばよいことだ」
 チュンホアは手で口を覆います。
「まあ、それはいけません。後で聞くなんて、エマ様らしくありませんわ」
 エマは疑わしげな目をチュンホアに向けます。
「お前は、時間稼ぎをしようとしているな。そのような小細工は通用せんぞ」
 チュンホアは首を横に振ります。
「滅相もありません。ただ、後でお知りになったのではエマ様が後悔なさると思って」
「後悔だと。それはどういう意味だ」
 チュンホアはシャノラの背を撫でながら平然と話します。
「この子がこんな姿をしてるのにはね、深い理由があるんですよ。ラーラワティ様に後で聞いたのでは困ったことにならないかしら」
 エマも余裕たっぷりに答えます。
「それは心配ないぞ。ラーラワティも私のすることを間違いとは言わんだろう」
 シャノラはまた首を横に振ります。
「ええ、ラーラワティ様だけでしたら」
「何、それはどういう意味だ」
「それを申し上げるには、あたしみたいな普通の人間ではちょっと」
 エマは平静を装います。
「何と、この子供にそれほどの意味があるというのか」

 チュンホアはもったいをつけて言います。
「尊敬するエマ様ですから包み隠さず申し上げます。タピーはクリンラ様とお友だちです」
 エマの顔色が変わりました。
「何、なぜ、クリンラがこの者の友人なのだ」
「さあ、クリンラ様だけではございません。この子の旅はディアンカーラ様やイドゥンティヤ様、ガーギティヤ様が見守ってくださってるのです」
 エマは黙り込みます。
「うーむ、ディアンカーラか、あ奴を怒らせたら厄介だな」
「でも仕方がありませんよね。エマ様がお決めになったことですから」
「いや、そういう事情があるのであれば、私も考え直さずばなるまい。チュンホアとやら、それで良いか」
 チュンホアはとぼけて聞き返します。
「あたしは別に何も。エマ様が後々厄介ごとに巻き込まれることのないようにご忠告申し上げただけです」
 エマはため息をつきます。
「礼を言う。重大な運命の子とは知らずに、『死の国』へ連れて行ってしまうところであった」
 チュンホアは初めて笑顔を見せます。
「では、エマ様。タピーを元に戻していただけますか?」
「うむ、タピーの魂を元に戻し、名簿に名前を載せないようにする。これで良いな」
「ありがとうございます。この子の帰りをたくさんの人が待っているので、急いで帰りたいんです」

 

 エマが去り、その場に残ったチュンホアとタピーとシャノラ。まもなくタピーが息を吹き返します。
「うーん、シャノラ。やっぱり夢じゃなかったんだ。あれえ、チュンホアまで。一体どうしたの?」
「あんたがあんまり遅いから、『海人の国』から迎えに来たんだよ。さ、みんなが待ってるから帰ろう」
 タピーはやっとの思いで立ち上がりましたが、足元がふらついています。
「ありゃりゃ、何でだろう。うまく歩けないよ」
「あんたはコブラに噛まれて死にかけてたんだ。そんな急に歩けるわけないよ」
 タピーはへなへなと座り込みます。
「それじゃあ、エマさまが出てきたのも夢じゃなかったんだ。ぼく死ぬとこだったの?」
「さ、あたしの背中におぶさって。シャノラ、行くよ」

 光の速さで山や河を駆け抜けるシャノラ。タピーはチュンホアの背中におぶさったまま、眠っています。
 目指すは『海人の国』です。

 

 昼食時の戦場のような騒ぎが終わり、つかの間の休息に入るチュンホアの食堂。のろのろと起き出したタピーがチュンホア特製の玉子スープを飲んでいます。
「チュンホア、これ、おいしいよ。今までに食べた何よりもおいしいよ」
「そりゃそうさ。『宝丹国』や『大天街国』にはたくさん美味しいものがあるんだよ」
「わあ、いいなあ。ぼくもパオタンやテンチーに行きたいな」
「でもあんたの旅はコンリーヤまでだろう。テンチーもパオタンもその先だからねえ」
 タピーはスープを飲み干すと残念そうに言います。
「なんだ、そうなの。おいしいすうぷは飲めないのか」
 チュンホアが笑いながら言います。
「スープを飲みたくなったらあたしの店に来ればいいんだよ」

 

 静かに時が流れる午後の食堂。
「チュンホア、どうしてぼくがコブラに噛まれた時に、シャノラと来てくれたの?」
「ラーラワティ様が来て、あんたをダイエントの『商人の港』まで送ってくれってね。で、準備をしてたんだ。そしたら、またラーラワティ様が現れて、あんたを助けに『護法(ゴホー)国』に行ってくれってね。それで、あたしがシャノラにまたがってエマ様のところに登場ってわけさ」
 タピーは思い出したように尋ねます。
「そうだ、エマさまはぼくの言うことなんか聞いてくれそうもなかったのに、どうしてぼくを助けられたの?」
「うーん、あんたのことを本気で助けたいって思ったからじゃないかい。エマ様もそれをわかってくださったんだよ」
「ぼくだったら、そんな風に誰かを助けられるかな。ううん、きっと無理だよ」
 チュンホアはくすっと笑います。
「何言ってるんだい。あんたが教えてくれたんだよ」
「何言ってるのはこっちだよ。よくわからないよ。ところでベンガたちは?」
「ラーラワティ様の話だと、まだ『商人の港』にいるらしいよ。何か色々あるみたいだけど、ま、とにかくあんたを『商人の港』まで送っていくからね」
「わあっ、またシャノラに乗れるの。早くベンガたちに会いたいな」
「あんたはコブラの毒で死にそうだったんだからまずは体力をつけなきゃ。あたしのスープ飲んでりゃ、すぐに良くなるけどね」

 

 タピーに食後のお茶を注ぐ食堂の給仕。
「そうだ、チュンホア。チュンホアはコンリーヤを越えて来たんでしょ。コンリーヤってどんなところ?」
 チュンホアは首を横に振ります。
「あたしはテンチーを南に下って来たんだよ。コンリーヤをはるか右手に見ながらね。シャノラの場合は、生まれたのはコンリーヤとテンチーの間にある大平原『オンオンの地』だけど、コンリーヤを左手に見てパシャからきたんだって」
「どうしてコンリーヤを越えて来ないの?」
「コンリーヤは雪に覆われた険しい山で、簡単に越えられるもんじゃないよ」
「ゆき?ゆきって何さ」
「タピーは雪を見たことがないんだね。雪っていうのはね、空から降る水の結晶さ」
「それは雨でしょう。雨なら知ってるよ」
「すごく寒いと雨が雪になるんだよ。コンリーヤはそれだけ寒いってことだよ」
「寒いの?コンリーヤって寒いの?」
「テンチーやパオタンだってここに比べりゃ寒いよ。でもコンリーヤの寒さには勝てないだろうね」
「ぼくどうなっちゃうの?」
「今のあんたのかっこうじゃ、まったくだめだね。もっと服を着ないとね」

 

 徐々に夕日が差し込む食堂の中。
「さ、あたしは店の準備をしなくちゃ。タピー、夕飯はワンタンスープでいいかい?」
 タピーの目が再び輝きます。
「ええ、わんたんすうぷ?何だかおいしそうだね」
 チュンホアは苦笑いをします。
「あんた、コンリーヤの寒さの話しを聞いて震えてたんじゃないのかい」
 タピーは頭をかきます。
「悩んでてもしょうがないでしょ。行ってみないとわかんないし」
「それでこそタピーだね。その調子なら明日『商人の港』に行けるよ」
「うん、ほんとにありがとう」

 おいしいスープを飲んで、ぐっすり眠るタピー。朝になればシャノラが『商人の港』まで連れて行ってくれます。
 ベンガやジャックやシャンティにまた会えるのです。