第六話:『海人の国』

 潮の香りと空を飛び交うカモメの群れにどぎまぎするタピー。
「ねえ、ぼく鼻がむずむずする。ここが『海人の国』かな」
「ああ、ここから先は船に乗らないとな。私も行ったことのない土地だ」
 タピーがつぶやきます。
「人間が住んでいるのかな」
「人間ならどこにでも住んでいるだろう。ただ、バクはもういないんじゃないか」
「えっ、バクってどこにでもいるんじゃないの?」
 ジャックが話に割り込んできます。
「何くだらない話してんだよ。早くどっかで休もうぜ」

 

 色とりどりの船、様々な肌の色の人が行き来をする港の桟橋。
「わあ、すごいなあ。あれが船で海の上を走るんだね」
「タピー、桟橋の脇の木陰で休もう」

 二人が休んでいる間、ジャックは例によって空を飛び回ります。
「ジャックはカモメと何を話しているのかな」
「さあて、世間話じゃないかな」

 二人が昼寝でもしようかと思ったその時、どこかからか細い声が聞こえてきます。
「もし、旅のお方」
 タピーはがばっと跳ね起きました。
「ねえ、ベンガ。今の聞いた?」
「ああ、どうやら桟橋の下から聞こえてきたようだ。おい、誰かいるのか」
 確かに桟橋の下から声がします。
「王様がお待ちかねです。どうぞこちらへ」
 タピーは急いで桟橋の下を覗き込みます。
「あれえ、誰もいないよ」

 その時、水面にあぶくがぽこぽこと沸き上がり、やがて美しい女の人が顔を出しました。
「バクさんとトラさん、ようこそおいてくださいました」
 タピーがびっくりして話しかけます。
「ぼくたちの本当の姿がわかる君は誰?」
「失礼しました。私は人魚のシャンティ。『海人の国』の王、シンハに仕えております。ラーラワティ様が先日お現れになって、あなた方のことをお話になられたのです」
 ベンガが尋ねます。
「私たちがここに来るのをご存知だったのですか?」
「はい、シンハ王は冒険家や冒険の話が大好きなお方。ぜひともお二人にお会いしたいと言われて、毎日ここで私が待っておりました」
 鏡のようにきらきら光る水面に目をしかめながら、タピーが尋ねます。
「でも、なんで水の中から現れたの。あんまり暑いんで泳いでいたの?」
 シャンティはくすりと笑います。
「いいえ。そうではありません。私は下半身が魚の人魚。私たちの『海人の国』の都は、水の中にあるのです」
 ベンガは目を丸くします。
「それではこの陸にいる人間たちは、一体どこの人たちなのですか」

 シャンティの説明によれば、『海人の国』の人が航海の安全を保証する代わりに、その海の恵みを陸地で商ってもらうために、人間たちが陸地を管理しているのです。
 そういう風にして何百年もの間、『海人の国』の人達は人間と仲良く暮らしていて、ちょうど明日は新しくやってくる人間の管理長官にシンハ王があいさつに行くお祭りの日なのだそうです。

 

 海の中の王宮の門の前。タピーが大きく息を吐き出します。
「ふぅ、シャンティに海の中に引きずり込まれた時にはおぼれちゃうかと思ったけど、何で平気なんだろう」
 シャンティが微笑みながら、あるものを手にかざします。それは『呼吸する石』という、口にくわえていると水の中でも息ができる不思議な小石でした。
 ベンガが王宮を見上げます。
「それにしても、海の中にこんな立派な建物があるとは。今更ながらに世界は広いな」
「さあ、シンハ王がお待ちかねです。中に参りましょう」
 その時、タピーが叫びます。
「あっ、ジャックを置いてきちゃった。どうしよう」
「まあ、そうでしたの。私がその方を呼びに行きますから、あなた方は王宮の方に」

 

 心地よい音楽が流れる王の間。シンハ王の姿は、上半身が獅子、下半身が魚です。
「よくぞ来てくれた。お主たちが旅をするバクとトラだな。我が『海人の国』はお主たちを歓迎するぞ」
 ベンガはかしこまっています。
「それはどうもありがとうございます。しかし、私たちのような風来坊をわざわざ待っていてくださるとは」
 シンハ王が陽気に笑います。
「はっはっはっ。確かに行き当たりばったりの旅のようだな。実はラーラワティ様も心配しておってな、お主たち船賃を持っておるのか」
 タピーはきょとんとしています。
「えっ、トーマスにマンゴーを買ってもらったみたいに船も買わないといけないの」
 ベンガがあわてて言います。
「いや、タピー、船を買うわけではないんだ。船賃というのは船に乗る権利で、それを買わなくてはならないのだ」
 王宮の床は深い緑色に磨きこまれていて、タピーは顔を映してみたくなります。
「ええ、船に乗るのにお金を払うの。ただで船に乗せてくれればいいのにね」

 シンハ王が口を開きます。
「タピーとやら。船を漕ぐ者、港で荷を運ぶ者、その者たちに料理を出す者、皆が生活しているのだ。この世の中にはただのものなどなかなかないのだぞ」
「ふーん、ぼくたちはお金がそんなに大事だなんて全然気がつかなかったね」
 ベンガが苦笑いをしているとシンハ王が言います。
「わかってくれたようだな。だが、私はお主たちをただで船に乗せてやろうと思う」
「えっ、だって色んな人が困るんでしょ。王様の言ってることはよくわからないよ」
 今度はシンハ王が苦笑いをします。
「ははは、タピーの言う通りだ。では、こうしよう。お主たちは旅人じゃ。旅が成就した暁に再びここに寄り、お主たちの旅の話を聞かせてほしいのじゃ。これなら納得であろう」
「シンハ王にそのように言っていただいて、肩の荷が下りました。もちろん、旅を無事に終わらせることが先決ですが」
 タピーもわかったようです。
「なるほど、王様はぼくらの話を聞く『けんり』を買ったんだね。それなら、いいんじゃないかな」
 シンハ王は肩をゆすって笑います。
「うむ。タピーの許しももらったし、食事でもしようではないか」

 ちょうどそこにシャンティに連れられたジャックもやってきます。
「これは王様。ご機嫌うるわしゅう。やい、タピー。おいらを置いてくなんて、薄情者め」
「ごめんね、忘れたわけじゃないんだよ。でもご飯に間に合って良かったね」

 

 食堂のテーブルの上にはたくさんの海の幸。
「お主たち陸の者の舌に合うかどうかわからんが、存分に食べてくれ」
 シンハ王が言い終らないうちに、ジャックはもう食事に飛びついています。
「ああ、こりゃあ美味い。美味い。ところで王様、気になる話を空のカモメに聞いたんですけどね」
 シンハ王は飲み物のグラスを置きます。
「ジャック、それは一体どういうことだ」
 ジャックはあわてて食べ物をグラスの水で喉に押し込みます。
「いえね、王様が明日会う予定のダゴンっていう新しい港の管理長官なんですけれども、そいつがどうも良くない噂が多いみたいで、金儲けのためなら何でもやる男らしいんですよ。だから王様も十分に気をつけられたほうがよろしいかと」
 シンハ王は高笑いをします。
「はっはっはっ、何百年の間にがめつい人間もおったが、皆うまくやってきておる。そんなに疑って物事を見るものではないな」

 

 よく晴れた朝、お祭りの花火の音で目覚めるタピーたち。
「んー、おはよう。今日は王様がダゴンっていう人と会う日だね」
 ベンガが言います。
「王様は用事が終われば、私たちの船を手配してくれるそうだ。それまでの間、祭りの見物でもしていよう」
「じゃあ行こうよ。ベンガ、早く早く。ジャックも急いで。あ、シャンティも誘った方がいいのかな」
 ジャックはどうも浮かない顔です。
「なあ、おいらはどうにも心配なんだ。王様は心配ないって言ってたけど、ダゴンって奴は相当なワルらしいぜ」
「もしもシンハ王に何かあった場合には、我々で何とかしよう。『海人の国』の人たちは長時間陸地にいられないようだしな」
 走り出していったタピーが戻ってきます。
「ねえ、お祭りでにぎやかなはずなのに、何かみんな困った顔してるんだ。王様に何かあったのかな」

 

 管理長官の館の前に着いたタピーたち。館の前ではものものしい装備の兵士達が遠巻きにする人々を脅かしています。
 サリーを頭からすっぽりかぶった一人の女性が近寄ってきます。
「私です。シャンティです。シンハ王がダゴンに捕まってしまいました。ダゴンが『海人の国』の宝物を全て寄越せと言ったのを断ったからです。あの兵士達を見れば、とても話し合いによる解決は無理でしょうね、かといって暴力はシンハ王が最も嫌うこと。せめて夜にでも忍び込めれば」
 ベンガが言います。
「シンハ王を助け出すのを私たちに任せてもらえませんか。王が無事でなければ私たちも船に乗れないのですから」
「何か良い方法があるのですか」
「いえ、これから考えます。あなたはとりあえず海に戻ってください」
 タピーも言います。
「大丈夫だよ、シャンティ。信じていればきっとうまくいくからさ」

 

 シャンティが海に戻った後、桟橋で話し合うタピーたち。ジャックがいらいらして尋ねます。
「なあ、ベンガ。一体どうやって王様を助け出すんだよ」
「ううむ、きっと何かいい手があるはずなのだが」
 タピーが思わずつぶやきます。
「兵士たちが全員眠って起きなければ、らくらく忍び込めるのにねえ」
 ジャックがあきれたように言います。
「本当におまえはのんきだね。ああいう兵士は、夜の間中交替で見張りをするんだぞ」
 ベンガが目を見開きます。
「それだ、タピー。兵士たちを全員眠らせてしまえばいいんだ」
「やれやれ、ラーラワティ様はホーライに行っちまったきりだし、ベンガはタピーの影響受けちまったみたいだし、どうなっちまうんだろ」

「いいか、この作戦には『霊山の眠り粉』が必要なのだ」
 ジャックが言います。
「『霊山の眠り粉』?何だ、そりゃ。聞いたことないな」
「うむ、それはテンチーの秘薬だ」
 ジャックはまたまたあきれかえったようです。
「テンチーだって?おい、そりゃシュマナ山よりずっと先だぞ」
 ベンガはにこりと笑います。
「もちろんテンチーまで行こうなどとは思っていない。実はサーカスにいた少女が『霊山の眠り粉』を持っていると話していた」
 タピーが嬉々として叫びます。
「じゃあ、その女の子に頼めばいいんだね。でも、ベンガのサーカスって今どこかな」
「キャラバンが今どこにいるのかはわからない。そこでジャックに頼みがある」
 ジャックはすでにやる気まんまんです。
「ああ、空から探せばいいんだな。心配性のカモメたちにも手伝ってもらえばすぐに見つかるよ」
「でもよ、キャラバンが見つかったとしても、遠くだったらどうすんだ。その子に頼むのは人間の姿のお前らだろ。どうやってそこまで行くんだよ」
 桟橋の下からシャンティの声がします。
「心配でお話を聞かせていただきました。どうか、シンハ王の馬をお使いください。こうしている間にもシンハ王は殺されてしまうかもしれません。急いでください」
「わかりました。ではジャック、よろしく頼む」
「任せとけって。それじゃあシャンティちゃん、行ってまいります」

 

 桟橋で知らせを待つタピーとベンガ。一羽のカモメが舞い降りてきて告げます。
「見つかりましたぜ。キャラバンは今、ゴホー国の北の方の村にいるらしいです」
 ベンガはぽんと手を一つ叩きます。
「ありがとう。さあ、タピー、行くぞ。どうにか明日の朝までに戻ってこよう」
「ゴホーってずっと遠くでしょ。どう考えても何週間もかかるよ。」
 それまで桟橋の脇の木陰で草を食んでいたシンハ王の馬がやってきます。
「私はシャノラ。天界の馬車馬にも負けない速さと力を持っている。私に乗りなさい。明日の朝と言わず今夜中にだって帰ってこよう」
 ベンガは赤毛の馬に飛び乗ると、タピーを馬上に抱き上げました。
「シャノラ、では頼む」
 次の瞬間、シャノラは光のように走り出し、辺りの景色はまるで滝のようにあっという間に流れ去っていきます。ベンガもタピーも振り落とされないように必死です。

 

 疾風のように町や山を駆け抜けるシャノラ。瞬き一つの間にゴホーの北の村の入り口に着いてしまいました。
 タピーとベンガは村に入っていきます。サーカスのテントは村はずれにありました。
「ごめんください。どなたかいらっしゃいませんか」
 サーカスの団員が顔を出しました。
「何の用だい。今日はもう終わりだよ。また明日来てくんな」
 ベンガが言います。
「いえ、そうではありません。チュンホアに会いたいのです。」
「なんだ、チュンホアの友達か。呼んできてやっから、ちょっと待ってなよ」
 タピーは胸のどきどきが治まりません。
「ああ、良かった。ベンガの本当の姿がばれたらどうしようかと思ったよ」
 ベンガはタピーにウインクします。
「私たちの本当の姿が見える人になら、正体がばれたとて何の心配もあるまい。悪い人ではないのだからな」
「あ、そうか。心の美しい人がぼくたちを捕まえるわけないよね」

 その時、奥のテントから切れ長の目をした黒髪の少女が現れます。
「あんたたち、誰。どこかで会ったかね。あ、そっちの男の子は確か、火事が起きた村でベンガにさらわれた子じゃない?」
「そうだよ。でもよく覚えてるね」
「大したことじゃないわ。ただ、あの事件のおかげで親方はクビになるし、新しい団長はいやな奴だし……あんたたちには関係ないわね」
 チュンホアは表情を変えないままで、つまらなそうに続けます。
「そっちの力士の人も何度も会ってるはずなんだけど、思い出せないわ。あんた、一体誰?」

 

 最後の力を振り絞る太陽に照らされたサーカスのテントの前。
「チュンホア。驚かずに聞いてくれ。私はベンガだ」
 チュンホアの表情は一瞬変わりますが、またすぐに元のつまらなそうな顔に戻ります。
「あんた、人間になっちゃったんだ。もしかしたら、そっちの男の子も元は何かの動物だったの?」
「うん、ぼくはバクだったんだ。ラーラワティさまがぼくたちを人間の姿に変えてくれたんだよ」
「ふーん。羅凌(ラーラ)天女(ワティ)様がねえ。それにしてもあんたたちお人好しだね。今の話をあたしが団長にすれば、あんたたちサーカスに逆戻りだよ」
 ベンガは言います。
「あなたは冷たい人間のふりをしているが本当は心の優しい人だ。私がまだトラだった頃、いつも私に優しくしてくれた」
 チュンホアは興味がなさそうです。
「そんなのどっちでもいいわ。で、あたしに何か用なの」

 ベンガはチュンホアにいきさつを話します。
「ああ、そう、『霊山の眠り粉』ねえ。でも、ただってわけにはいかないね」
 それを聞いたタピーは怒り出します。
「お金お金お金。なんで人間はいつもお金ばっかりなのさ。王様が悪い奴に殺されそうな、そんな時でもお金の話なの」
「ぼうや、あたしはお金が欲しいんじゃないんだ。あんたたちみたいに自由が欲しいんだよ」
「自由って?お金が欲しいんじゃないの?」
「自由を手に入れるのも結局はお金なのかもしれないけどね。でも、あたしみたいな人間じゃ自由を買うお金は一生かかっても手に入らないんだよ」
 チュンホアはほんの少し寂しげな笑顔を見せて、遠くを見つめました。
 切れ長の瞳から涙がぼろぼろこぼれていきます。

 

 蛍が飛び交う宵の風にたなびくチュンホアの長い黒髪。
「あたしは『大天街(テンチー)国』じゃなくて、もっと東の『宝(パオ)丹(タン)国』ってところで生まれたんだ。家が貧乏だったから物心つくとすぐにテンチーのお金持ちの家に奉公に出たんだ。そこからは色んな国の色んな場所を転々としたよ。あたしはだんだん笑わなくなっていったし、怒りもしなくなった。でも、今日あんたたちに会ってわかったんだ。こんなあたしでも他人のために一生懸命になりたいんだって」
 タピーが言います。
「だったら、王様を助けてあげてよ。早くしないと殺されちゃうんだ」
 チュンホアは優しくタピーを見つめます。
「でもね、自分が不幸せだと、他人の面倒は見てられないんだ。だから、まずはあたしが自由を手に入れたいんだよ」
 ベンガが声を押し殺します。
「チュンホア、すまなかった。私がまだトラだった頃、あなたは私のところに来て色々な話をしてくれた。けれども、あなたがそんなに辛かったなど思いもしなかった」
「いいんだよ。あんたも不幸せだったんだから、気がつかなくても無理はないよ。人間になって自由を手に入れたあんたは幸せそうだけどね」
 ベンガに代わって、タピーがベンガの身の上をチュンホアに話します。
「そうだったのかい、ごめんよ。あんたもまだ苦労してんだね。そうか、毎日が一生懸命だから幸せそうに見えるんだね」
「うむ。やるべきことがはっきりしているから、というのがあるかもしれない。タピー、チュンホアを助け出すのに文句はないな」
「もちろんだよ。さあ、早くシャノラのところに戻ろうよ。あ、チュンホア。『霊山の眠り粉』だけは忘れないでよね」
 先に走っていくタピーを見てチュンホアが言います。
「ベンガ、あんたが生き生きして見える一番の理由はあの子かもしれないね」
 ベンガは小さく笑います。
「ああ、一緒にいればわかる」

 

 宵闇の中を光の速さで駆け抜けるシャノラ。
「ねえ、ところであんたたちどこまで行くんだい」
 顔に吹き付ける物凄い風に負けないように下を向いたままで、ベンガが答えます。
「『海人の国』だ」
 チュンホアはびっくりしたようです。
「あんたたち、そんな遠いところからあたしに会いに来たのかい」
 タピーも下を向いたままで言います。
「だって、王様はいい人なんだ。助けなきゃいけないんだよ。あ、チュンホアもいい人だけどね」
 チュンホアはタピーの言葉が聞こえないふりをします。
「タピー、気をつけな。振り落とされちまうよ」

 

 夜が明ける前に『海人の国』の桟橋に着いたタピーたち。シャンティとジャックがやきもきして待っていました。
「ああ、無事お帰りになられて何よりですわ。シャノラ、ご苦労様。早速ですが、ダゴンはシンハ王を明日の朝処刑するつもりらしいですわ」
 ベンガがシャノラの背を撫でながら、言います。
「ということは、今夜一回しかチャンスがないわけだな。みんな、これから私の言う通りに行動してくれ」
 タピーはちょっぴり緊張してきました。
 シャンティもシャノラもジャックも空のカモメたちも、みんなみんな一生懸命働いて、今度は自分が一生懸命働く番なのです。

 

 いよいよ作戦を話し出すベンガ。
「今夜、シンハ王を助け出すが、その前に私たちの仲間、チュンホアを紹介しよう」
「仲間だなんて、なんか照れくさいね。みんな、よろしく頼むよ」
 ベンガが言います。
「私の肩に止まっている極楽鳥がジャック。それから、あの海から顔だけ出している女性がシャンティだ」
 タピーが付け加えます。
「シャンティはね、人魚なんだ。だから海の中にいるんだよ」
「では、ジャック。お前は日が落ちたのを見計らって、空からこの『霊山の眠り粉』を管理長官の館めがけて撒いてくれ。チュンホアとシャノラは館の前で待機だ。シンハ王を助け出したら、すぐに港まで運ぶのだ。シャンティはここの桟橋で待っていてくれ。タピーと私は館に突入する」

 ベンガは地図を広げました。
「これが館の地図だ。シャンティが印をつけてくれたところにシンハ王が囚われているらしい」
 ジャックは不服そうです。
「やっぱり納得できないよな。ダゴンをがつんとやっつけないなんて」
 シャンティが言います。
「シンハ王は暴力での物事の解決を望んでおりません。そのような形で助けられてもお喜びにはならないでしょう」
 チュンホアが何気なく言います。
「暴力をふるわなくたって、ダゴンを懲らしめる方法はあるよ。ねえ、タピー。あんたは夢を食べたことあるだろう」
「ぼくは果物しか食べないよ。つまみ食いをしたとしたって、夢なんて...え、夢?」
「あたしの国では、バクは人の夢を食べるって言われてるんだ。だからあんたも夢を食べたことがあるんじゃないかと思ってさ」
「無理無理、ぼくの村では誰もそんなこと言ってなかったよ。夢なんか食べられるはずないじゃない」
 チュンホアは小さく笑います。
「そうかねえ。あんた、できないって思い込んでるだけじゃないの。あたしに言わせりゃ、あんたやベンガの今の姿だって無理があるよ」
 タピーは少しひきつったような笑いを浮かべます。
「うん、まあ、そう言われればそうだけど。でも、何で急にそんなこと聞くの」
 ベンガが手を打ちます。
「そうか。『霊山の眠り粉』で眠っているダゴンの夢をタピーが食べるということか。しかし、それで懲らしめることになるのだろうか」
 チュンホアの長い黒髪が潮風に揺れます。
「あたしも実際に見たわけじゃないからわからないけどね、夢を食べられたら、どう思う?」
 ベンガが答えます。
「夢が無ければ生きていくのは辛いだろうな」
「だろ。あたしだって夢がなきゃ生きられないよ。タピー、本当に食べる必要はないんだ。脅かすだけだからね」
「うーん、それならやってみようかな。夜が来るまで練習してみるよ」

 

 徐々に夜の帳が降り始める頃。港も息をじっと殺しています。
「みんな準備はいいか。あと一時間後にジャックが空から『霊山の眠り粉』を撒き始める。慎重を期して、それから三時間後の真夜中に館に侵入するぞ」
 ジャックは緊張のせいか、薄ら笑いが止まりません。
「うまい具合に今夜は風も無さそうだしな。ところで、タピーはまだ練習かい」
 ベンガも心配そうです。
「うむ、チュンホアと二人で眠っているコウモリの洞窟に行ったようだ。そろそろ帰ってくる頃だとは思うが」

 タピーとチュンホアが戻ってきたのを見て、ジャックがすかさず尋ねます。
「おい、タピー、チュンホア、練習の成果はどうだったんだ?」
「話半分で言ったんだけど、まさかね。世の中には不思議なことがあるもんだね」
 タピーはうふふと笑います。
「気持ちよく眠ってたコウモリたちに悪いことしちゃったかもね」

 

 規則正しい波の音はまるで子守唄。ベンガがタピーに最後の確認をします。
「どうやら、ジャックはうまくやったようだ。そろそろ真夜中だ。行動開始だぞ」
 タピーとベンガは闇にまぎれて館を目指します。

 館の前では見張りがぐっすり眠っていて、中に入っても、誰も起きてくる気配がありません。
「『霊山の眠り粉』の効き目はすごいな。さあ、シンハ王を助け出そう」
 牢屋はすぐに見つかり、シンハ王や他の無実のまま捕らえられた人々は助け出されます。
 ベンガはシンハ王を起こしながら、尋ねます。
「シンハ王、お目覚めのところ早速ですがダゴンのところに案内していただけますか」
 シンハ王のほっとした顔が緊張の表情に変わります。
「ダゴンのところに案内するのは構わないが、どうするつもりだ。暴力はより大きな暴力の種を生み出すだけだぞ」
 タピーはいたずらっぽく笑います。
「暴力なんか使わないよ。でも、ちょっと懲らしめないとね」

 

 きらびやかな黄金や宝石で飾り立てられたダゴンの部屋の前。あっちの柱やこっちの壁にぶつかりながらジャックも合流してきました。
「こんな楽しいもんは見とかないと、後々後悔するってもんだ」
 部屋に入り、タピーたちは眠りこけているダゴンの顔を覗き込みます。
 シンハ王はまだ険しい顔です。
「このように無防備な者を襲うような卑怯な真似など許さんぞ。お主たち、どうやってこの男を懲らしめるのだ」
 ベンガが落ち着いて答えます。
「タピーが今から奇跡をお見せします。眠っているダゴンの夢を食ってしまうのです」
 シンハ王が驚きの声を上げます。
「おお、聞いたことがあるぞ。しかし、本当にバクにそのような力があるのだろうか」
 タピーにはまわりの話が耳に入らないようです。
「ちょっと、ベンガも王さまも静かにしてよ。今、集中してるところなんだから」
 ジャックはおかしくてたまらないみたいです。
「あははは、怒られてやがんの...。えっ、おいらもうるさい。ごめんなさい」

 

 精神を集中させるタピー。
「ねえ、ベンガ。ちょっと手伝ってくれない?ダゴンの口を開けて手で押さえていてくれないかい」
 ベンガはダゴンの口を丸太のような両腕でがばっと開けます。すると、何か霧のようなものがダゴンの口から出てくるではありませんか。これにはその場の全員がびっくりです。
 ジャックが尋ねます。
「なあ、ダゴンの口から雲みたいなもんが出てきたけど、こりゃあ何だ」
 タピーは霧のようなものを見たままで答えます。
「夢だよ。この霧にぼくが包まれると、ぼくが夢の中に入ったことになるみたい」
 そう言いながら、タピーの姿はどんどんその霧に包まれていきます。
 ジャックはたまらず聞きます。
「なあ、この悪人はどんな夢を見てるんだ」
 霧の中からタピーのあきれたような声が返ってきます。
「お金と宝石ときれいな女の人たちに囲まれてるよ」

 

 いよいよダゴンの夢の中に入ったタピー。遠くの方でジャックの声が聞こえます。
「タピー、せいぜい夢の中のダゴンを驚かしてやれよ」
 タピーは、夢の中のふんぞりかえっているダゴンに近づきます。
「こら、お前」
 夢の中のダゴンは腰を抜かしました。
「わあ、化け物。一体何をしに来たんだ」
 夢の中のタピーは精一杯恐ろしげな声を出します。

 わーう、わーう

「おれは獏だ。お前の夢を食っちゃうぞ。お前の夢は美味しそうだ」
 眠っているダゴンがうなされ始めたのを見てベンガが言います。
「どうやらタピーがうまくやっているようだ。タピー、やりすぎてはいけないぞ」
 シンハ王も心配そうです。
「皆平和に暮らせる約束さえできれば、私は満足なのだからな」
 ダゴンは腰を抜かしたままです。
「お願いだ、夢を食わないでくれ。何でも言うことを聞くから」

 わーう、わーう

「夢を食ったって別に平気でしょ。いや、平気だろう」
 ダゴンは泣いて頼みます。
「人が夢を失くしたら、どうやって生きていけますか。夢はとても大事なんです」

 わーう、わーう

「それだけ大事だってわかっているのに、どうして他の人の夢を奪うのさ」
 ダゴンは床にひれ伏します。
「わかりました。約束します。もう決して他人を苦しめません」
「約束だよ、ええと、約束だぞ。もしも約束を破れば、また夢を食べにくるからね」

 

 うなされるダゴンの口から出ている霧がだんだん小さくなっていき、後にはタピーの姿。
 ジャックが腹を抱えて笑っています。
「よお、タピー。こいつずいぶんうなされてたぜ」
「ちょっとやりすぎちゃったかな。何かぼくをものすごく恐がっていたんだ」
 ベンガが言います。
「きっと腹黒い人間には、夢の中のタピーの姿は恐ろしい魔物に見えるのだろう。美しい心の人間にお前の本当の姿が見えるのとは正反対だな」
 シンハ王は感心しきりです。
「タピー、ダゴンは約束をしてくれたのか」
 タピーは元気よく答えます。
「うん、もう悪いことはしないって言ってたから、きっと大丈夫だよ」

 

 翌朝、港の広場で握手をし、お互いの友好を誓い合ったシンハ王とダゴン。海の中に住む者も陸地に住む者も、皆大喜びです。
 中断していたお祭りが再開し、シンハ王がタピーたちのところにやってきます。
「では、海の王宮へ戻ろう。ぜひ礼がしたいのだ」
「その前にシンハ王、お願いがあるのですが」
 ベンガはチュンホアをシンハ王に紹介します。
「この少女はチュンホアです。彼女がいなければ、私たちはシンハ王を助け出せなかったでしょう」
 シンハ王はチュンホアの手をとります。
「おお、それはかたじけなかった。是非礼をさせてほしい」
 チュンホアは照れくさそうに言います。
「お礼だなんて、別にいいよ。助けられたのはあたしの方だしね」
「それは一体どういうことなのかな。差し支えなければ事情を聞かせてはもらえぬか」

 ベンガがチュンホアのこれまでの人生を話すと、シンハ王がよく通る声で言います。
「チュンホア、もしお主がいやでなければこの『海人の国』で働いてはくれぬか」
「いやだなんて、言えるわけないよね。こっちこそよろしくお願いします」
「ところで、『輝く島』の『ランカの都』まで船を手配するが、気をつけるがよい。最近、私の力が届かない途中の海域で謎の事故が多発しているらしいのだ」

 

 再び港の桟橋。シャンティや海の住人たちが皆水面に顔を出して、王様を迎えます。
「王様、お帰りなさい。タピー、ベンガ、ジャック、チュンホア、どうもありがとう」
 シンハ王はタピーたちに向かって微笑みます。
「明朝には出港できるように手配しておこう」

 ベンガは感じます。タピーが日に日にたくましくなっているのを。
 カモメたちもタピーを祝福しています。
 いよいよここからは海を渡ります。