第五話:友達

 海岸沿いの賑やかな町にやってきたタピーとベンガ。
「この町はずいぶん大きいね。もうどのくらい来たのかな」
 ベンガは答えます。
「サーカスにいた時に通ったことがあるぞ。この先が『海人の国』で、その先は海だ」
「えっ、海。そのまんま進むと、大きな滝があってみんな落っこちちゃうんでしょ?」
 ジャックがリュックの中で笑っています。
「おまえさんは本当に世間知らずだね。でかい亀が大地を支えてるとでも言うのかい」
「じゃあだれが支えているの?」
 ジャックはもごもご答えます。
「知るかい。でもな、前にラーラワティ様が言ってたけど、東の海の果てにはホーライって島があるらしいぜ」

 

 町の市場で買い物をしたり、お茶を飲んだりしているたくさんの人たち。色の白い人や黒い人、ヴェールをかぶった人や上半身裸の人、さまざまです。
「あ、果物だ。でも変だね。果物は木になるのに、あそこでは板の上になっているよ」
 ベンガは優しく諭します。
「タピー、なっているんじゃないんだ。あれは『売っている』んだ」
 タピーが不思議がっていると、一人の少年がやってきます。金色に光る髪に青い目、顔色も透けるように白く、このへんの子供ではないようです。
「やあ、バクくんにトラくん。こんにちわ」
 タピーもベンガも思わずその場で飛び上がりそうになります。
「君はぼくたちの姿がわかるの?」
 少年はにっこりと笑いました。
「うん、そうだけど、みんなには君たちの姿は見えないの?ぼくの名前はトーマス」
「ぼくはタピー。こっちがベンガでリュックの中にジャック。実はぼくたちはわけがあって人間の姿をしているんだ。今は旅の途中なんだよ」

 

 涼しい風が吹き抜けるカフェ。トーマスはタピーたちに冷たいテンチーのお茶と甘いマンゴーをごちそうしてくれます。
 トーマスは笑顔で二人に話しかけます。
「ねえ、タピー。君の旅の話を聞きたいな」
 タピーは食べかけのマンゴーをちらっと見て、これまでの旅の話を始めます。
 初めて人間の村に行ってベンガに出会ったこと、ベンガを助けて逃げ出したこと、そして『森の人』ディアンカーラに会って虹の橋をかけてもらったこと……
「でも、まだ旅は始まったばかりなんだ。そうだ、トーマス。君も一緒に旅に出ようよ」

 それまで笑っていたトーマスの顔が少し曇りました。
「うーん、一緒に行きたいけど、それはちょっとできない相談だなあ」
「ええ、一緒に行けば楽しいのに」
 お茶を飲んでいたベンガが静かに言います。
「人にはそれぞれ事情があるんだ。無理強いはよくないぞ」
 トーマスがあわてて言います。
「ベンガ、そうじゃないんだ。ぼくが一緒に行けないのはね」
 冷たいお茶の氷が溶ける『からん』という音だけが響くカフェで、トーマスは自分の身の上を話します。
「ぼくは病気で、あんまり外に出られないんだ。パパやママに心配かけられないからね。今日は久しぶりに体の調子が良かったから散歩に来て、君たちを見かけたってわけさ。君たちったらすまし顔で歩いてるから、おかしくて声をかけずにいられなかったよ」
 タピーはおずおずと尋ねます。
「やっぱりぼくたちの姿って変かい。」
「ううん、そんなことないよ。それにぼく以外の人には普通の人間に見えるんだろ」
「うん、どうやらそうらしいんだ。ぼくが子供でベンガが力士なんだって」
 トーマスは楽しそうにくすくす笑います。
「へえ、何だか格好いいなあ。あのさ、お願いがあるんだけど、君たちと一緒に旅に出るのは無理なんだけれど、しばらくの間この町にいて、ぼくの友達になってくれないかい」
 タピーは何と答えればいいのか迷いました。だって、こうしている間にもビーガが悪い人間に殺されてしまうかもしれないのです。
 黙っているタピーに代わってベンガが答えます。
「私たちでよろしければ、喜んでお友達になりますよ」
 トーマスは目を輝かせます。
「わあ、本当。それじゃあぼくの家に泊まればいいよ。早速、ぼくの家に行こう」
 タピーは空にいるジャックを呼び寄せる時に、ベンガに小声で尋ねました。
「ベンガ、だいじょぶ?ビーガが心配じゃないの」
 ベンガは悲しそうな顔をしたきり何も言いません。
 タピーたちは、トーマスの家に向かいました。

 

 今までに見たどの家よりも立派なトーマスの家。トーマスのパパとママが玄関に出てきて、タピーとベンガを迎えてくれます。
「トーマスに友達ができたと聞いて喜んでおります。リードンからこの町に来て以来、すっかりふさぎこんでいたので心配していたのです。いつまでも屋敷に居ていただいて構いませんからね」
 タピーもベンガも恐縮します。
「あの、リードンってどこにあるんですか」
 パパは大笑いします。
「リードンは、ずっと西の、ずっと寒いブリングルという国の都市ですよ」
 トーマスが話に割り込んできます。
「ねえ、パパ、ママ。タピーたちと遊ぶんだから話はそのくらいにして」

 

 美味しい食事にふかふかのベッド。タピーとベンガは毎日トーマスと楽しく遊びました。なかでもトーマスが教えてくれたフットボールという球を蹴る遊びには、タピーもベンガも夢中になりました。
 ある日、いつもならトーマスが先生との勉強を終えて、タピーの部屋のドアをノックする時間でしたが、ドアはノックされませんでした。
 やがて、タピーとベンガはトーマスのパパの部屋に呼ばれます。パパの部屋には、ママとお医者さまと先生も一緒でした。ママは泣きはらしたような真っ赤な目をしています。
 トーマスのパパが言います。
「これまでトーマスと遊んでくれてありがとうございました。でも今日で終わりです」
 理由がわからないタピーの隣でベンガが重い口を開きます。
「トーマスの病気はそれほど悪いのですか」
「はい、今晩が峠かと」
 お医者さまは辛そうに答えます。

 

 夕日が差し込む部屋でうなだれるタピーとベンガ。
「ベンガ、トーマスの具合がすごく悪いの知ってたんだね。だから、寄り道してもいいって答えたんだね」
 ベンガは静かに答えます。
「ビーガのことは確かに心配だが、トーマスにいい思い出を作ってあげたかったのだ」
 その時、タピーの頭に素晴らしい考えが浮かびました。
「ねえ、ラーラワティさまにお願いしてみてはどうかな。無理かもしれないけど、お願いしてみようよ。ジャック、ラーラワティさまを呼んできて」

 

 宵闇迫る中庭の井戸にぽろんぽろろんと響き渡るヴィーナの音色。
「タピー、元気にしていますか。今日は一体何の用ですか?」
 タピーはトーマスのことを話しました。
「お願いです。トーマスを殺さないで」
 ラーラワティは目を伏せます。
「人の寿命というのは変えられないもの。あなたやベンガの姿を変えるのとは、全然違うのです」
「何でもします。どんなことだってがまんします」
 ベンガもお願いします。
「トーマスの命が助かるのなら私は元のトラの姿に戻ったってかまいません。私からもお願いします」
 普段は口の悪いジャックまでお願いを始めるのです。
「ラーラワティ様。トーマスっていう子はそりゃいい少年なんです。何とか命を救ってやってくださいよ」
 ラーラワティはしばらく黙っていましたが、やがて優しい声で言いました。
「あなたたちはここで待っていなさい。すぐに戻ってきますから」

 

 とっぷりと暮れた中庭に再び響き渡るヴィーナの音色。

 ぽろん、ぽろん、ぽろろん。

「待たせましたね。今、ボーンラマと話をしてきました。ボーンラマはすべての生命を司る神、その神にあなた達の願いを伝えてきました」
「ボーンラマさまは何て言ったの?」
「確かにトーマスは今夜召されることになっています。それは理(ことわり)、つまり決まり事であって破ることはできません」
 ベンガがあきらめの声を発します。
「タピー、やはり世の中には無理なこともあるのだ」
 ラーラワティは微笑みます。

「最後まで聞きなさい。タピー、ベンガ、あなた達は理をすでに破ってしまっているのです。理からはずれたあなた達の願いであれば、考えないわけにはいかないでしょう。ボーンラマは願いを叶えてもよいと言いました。ただし、一つ条件があります」
 夜空にきれいな流れ星が滝のように降り注いでいます。
「その条件とは一体何でしょうか?」
 ラーラワティはちょっぴり切なそうな顔をします。
「トーマスの命は助かりますが、その瞬間にあなたたちを一切忘れてしまいます。あなたたちはもうトーマスの友達ではなくなるのです」
「トーマスが助かっても、もう遊べないってことなの?」
「それもそうだが、もっと大事なもの、つまり、私たちの本当の姿を見分けられる美しい心を失くしてしまうということだ」
 ラーラワティはうなずきます。
「ベンガの言う通りです。トーマスは他の人間と同じになってしまうのです。わかりますか、タピー」
「……トーマスが助かるんだったら……それでかまわないよ」

 

 タピーがそう答えた途端に、夜空に浮かぶ大きな影。
「我はボーンラマ。お前たちの願い確かに聞き入れた」
 キラキラ光る小さな流れ星がトーマスの部屋に飛び込んでいきます。
「さあ、タピー、ベンガ。これでトーマスの命は助かりました。あなたたちはこれからどうしますか。」
 ベンガが答えます。
「このまま、そっとこの町を離れます。な、タピー」
 タピーは笑顔を作ります。
「うん。だいぶ寄り道しちゃったしね。ビーガのことが心配だよ」
 ラーラワティは満足そうに微笑みます。
「タピー、偉いですよ。」

 

 人っ子一人通らない真夜中の海岸沿いの道。
「ねえ、ベンガ。これで良かったんだよね」
 ベンガは優しくタピーを見つめます。
 『これから先、もっと辛いことがあるかもしれないぞ』、と言いかけましたが止めました。
 今日のところはタピーを褒めてやろうと思います。
 空には満天の星です。

 

 実はこのお話にはまだ続きがあります。
 トーマスは本当にタピーたちのことを忘れてしまったのでしょうか?
 それを知りたければ、ブリングルはリードン郊外の墓地に行って、とある墓石を見て御覧なさい。こう書いてあるのに気づくはずです。

 『トーマス・ウェルブライト卿ここに眠る
 心優しき友、バクのタピーとトラのベンガの思い出とともに』