第二十話:魔王の後継

 思わぬ長居をした『妖精の国』にようやく別れを告げ、タピーたちは再びテンチーに向かいます。
「しっかしよぉ、山を越えたと思ったら今度は砂漠かよ」
「ジャック、辛抱だぞ」
 ベンガが言います。
「この砂漠を越えればその先は『オンオンの大地』、そして険しい峠を越えればテンチー国に入るそうだ」
「……三年はかかるってことだ」
 ジャックはぼそりとつぶやきます。
「いや、何、どうせお前ら、何にも考えないで旅してるだろ。だからおいらは旅の記録をつけてんだよ。それによればタピーとおいらがジャングルを出発してからもう二年半過ぎてんだよ」
「えっ、そんなに経つの?」
 タピーは目を丸くします。
「ぼく、もう大人になっててもいいはずだよね。おかしいなあ」
「それはたぶんこういうことよ」
 シャンティが優しく説明します。
「あなたは人間の子供になったから人間の年の取り方と同じになってるのよ。だから二年くらいじゃあ大人にはなれないわよ」
「まあ、外見はそういうことだ」
 ベンガも言います。
「大事なのは内面が大人かどうかということだがな」
「ベンガ、それどういうことさ。ぼくは全然大人じゃあないってこと?」
「いや、むしろ逆だ。お前の言動には感心させられることが多い。お前は立派に成長しているぞ」
 照れるタピーを見てジャックが面白くなさそうな顔をします。
「何照れてんだか、単細胞め……ところでよぉ、シャンティ、人魚は長生きって聞いたんだけどいくつくらいまで生きるんだい?」

「さあ、五百年くらいかしら」
 シャンティはこともなげに言います。
「でも私は人間と同じになっちゃったからそんなに長生きできないわ……何よ、深刻な顔しないで。後悔してないわよ。大事なのはどのくらいの間生きるかじゃなくてどう生きるかでしょ。五百年の退屈な人生よりは今みたいに中身の詰まった五十年の方がよっぽど楽しいわよ」
 シャンティの言葉に皆うなずきます。
「まあ、おいらはきっと長生きするなあ。みんなおいらより先に死んじまうだろうけど心配すんなよ。お前らのことはおいらが責任持って世間に伝えていくから」
 ジャックらしい物言いに場の雰囲気が和みます。
「それにしてもよぉ、雲行きが怪しくねえか。嵐でも来そうな雰囲気だぞ」

 

 果たしてジャックの言った通り空は真っ暗になります。遠くからかすかにうなり声のような風の音が聞こえてきます。
「これはまずいな。ジャック、目がよく見えないとは思うが近くに家がないか見てきてはくれないか?」

 ジャックはしぶしぶ空に飛び立つとしばらくして戻ってきます。
「うまい具合に五分くらい歩いたところに家があるよ」
「ではそこに泊めてもらおう」
 ベンガはそう言って歩いていきます。こういう時の交渉事は大抵ベンガの役目となっていました。シャンティやタピーでは魔物が化けているのではないかと怪しまれてしまうからでした。もちろんビーガは連れていけません。ビーガは大抵少し離れた場所でタピーたちと別れるのでした。
 上手い具合に交渉もまとまり、ビーガ以外は家に入れてもらえることになりました。家にいたのは優しそうな老夫婦で久々の旅人に大喜びの様子です。

「まあまあ、お父さんとお姉さん、それにお子さんまで」
 老婆は座る場所を用意してくれます。
「でもご一家ではなさそうですし、もしかするとサーカスの方かしら?」
「ええ、そんなところです」
 旅の始まりの頃はむきになって否定していたベンガですが、最近は言われるがままです。
「しかしこの空模様、嵐になるのでしょうか?」

「あんたたち、運が良かったなあ」
 老父がやってきて、よっこいしょ、と主(あるじ)の場所に座ります。
「もうすぐ砂嵐が来るが、ただの砂嵐じゃねえ。『毒風大王』が起こす恐ろしい砂嵐なんだ」
「そうそう」
 老婆も相槌を打ちます。
「この砂漠の真ん中に住む『毒風大王』は怖い魔物なんですよ。このへんも昔は立派な集落だったけど、皆、大王の砂嵐に襲われて今では数軒しか残っていない有様なのよ」
「最近はどうしたもんかここを人が通らなくなっちまった。隣のおやじは山が燃えてるとか言ってたがちょっと前に見たら山が元通りになっとったらしい。で、あんたたちは久々の旅人ってわけだ。それが見つかったら大王は黙ってねえさ」
「さあ、しゃべってばかりいないで食事でも用意しましょうかね」

 老婆は立ち上がると食事の仕度を始めます。老父はいつのまにか酒を用意しておりベンガとシャンティにも勧めます。ベンガは断りますがシャンティは一口だけならと盃を受け取ります。
 タピーは老父が注ぐ酒に興味津々のようです。
「シャンティ、それ、飲むものだよね?」
「そうか。タピーはお酒を見たことないのね」
 シャンティは老父から二杯目の盃を受けます。
「これを飲むとね、辛いことやいやなことで、へとへとになった体や心が解放されるのよ、って言ってもわからないか」
「たまごすうぷみたい?だったら飲みたいなあ」
「今は飲む必要もあるまい」
 ベンガが静かに言います。
「もう少し大人になれば酒の必要性が自ずとわかるようになるだろう。もっとも私も飲まないがな」
「ベンガ、何だか言ってることおかしいよ。『大人になれば飲む』、『大人だけど飲まない』、『子供だから飲まない』、『子供だけど飲む』……あー、よくわかんないや」
「ほとんどの動物は酒を飲む習慣はないんだよ」
 他人がいる場所では大人しいジャックがたまらず口をはさみます。
「だからベンガは今でも飲まない。おいらやシャンティは人間に近い暮らしをしてたから今でも飲む。お前はどっちか……そんなのお前が決めりゃいいことだ」
「おやおや、鳥さんはお腹空かせてるのかしら?」
 老婆が食事を持ってやってきます。

 

 食事も済み後は寝るだけとなりましたが、家の戸や窓をたたく風の音はだんだん大きくなっていきます。
「ビーガ、だいじょぶかなあ。嵐が来そうだよ」
「心配するな。あいつは風を避けられる場所に移動しているはずだ。モンスーンのやり過ごし方を教えてある」

 果たして数分後にものすごい轟音とともに砂嵐がやってきます。嵐はまるで生き物のように家を包み込み右に左に揺さぶります。タピーもベンガもたまらず床を転げ回ります。ジャックは天井に頭をぶつけ気を失ってしまいます。
 どのくらい経ったでしょう、突然嵐の咆哮が収まり嘘のように静かになります。
「あいたたた、すごい嵐だったね」
 タピーが腰をさすりながら立ち上がります。
「あ、ジャックがこんなところで目を回してる」
「うむ」
 ベンガも起き上がり老夫婦を介抱します。
「ご老人、お怪我はありませんか?」
 どうやらみんな無事だったようです。
「シャンティはどうしたろ?」
 タピーがきょろきょろとあたりを見回します。
「どこかに隠れているんだろう。私はビーガの様子を見てくる」
 そう言ってベンガが家の外に出た途端にビーガが目にも止まらぬ速さで駆け寄ってきます。
「父さん、大変です。シャンティ姉さんが砂嵐にさらわれました」

 ちょうど砂嵐が家を包み込んだ頃、ビーガは砂に穴を掘って外の様子を見ていました。
 砂嵐は家を包み込んだかと思うと、何と嵐の中から砂でできた大きな二本の腕がにょきりと生えて、家を揺さぶり始めました。そして砂でできた腕はぐったりしているシャンティをつまみ上げ去っていったのです。
 ビーガは急いで嵐の後を追いかけシャンティが運び込まれた先を見届けるとここに戻ってきたのだそうです。
 それを聞いたベンガは眉をひそめます。
「そこはおそらく『毒風大王』の棲家に違いない。ビーガ、すぐに案内してくれるか?」
「もちろんです、あ、タピー兄さんたちは?」
「ジャックが気を失っているがそのうち目を覚ますだろう。ビーガ、タピーを乗せていってくれ。今は一刻を争う状況だ」

 

 その頃『毒風大王』の棲家では、蝋燭の光に怪しく照らされる広間でシャンティが気を失っていました。傍らの絨毯に座って酒を飲んでいるのは節だらけの大きな尻尾のついた兜をかぶった青白い顔の男、『毒風大王』です。
「おお、目を覚ましたな」
 大王はシャンティに話しかけます。
「後で子分どもが衣装を持ってくるからそれに着替えろ」
「ううーん」
 目が覚めたシャンティはここがどこなのか、誰が話しているのか今一つ状況が飲み込めていません。
「……あなた、誰?私の連れはどこにいるのかしら?」
「わしは『毒風大王』だ。砂嵐に紛れてお前をわしの屋敷に連れてきたのだ」
「ははーん、旅人を苦しめる悪者ね。私をさらってどうするつもり?」
「お前はわしの嫁になりここで暮らす。わしが見初めたのだ、喜べ」
「冗談じゃないわ、誰があんたみたいな男の嫁になるっていうのよ」
「いひひひひ、強気も今のうちだけだ。この砂漠のど真ん中の屋敷から逃げられはしない」
「連れがすぐに助けに来てくれるわよ」
「そいつはどうかな。神の祝福を受けたわしの魔力にかなうものか」
 間もなく大王の手下が何者かが棲家に向かってくるのを伝えに来ます。
「ほぉ、早かったな。ではお前の希望を打ち砕くとするか。明日の婚礼の前に邪魔者は片付けておきたいからな」

 

 タピーたちは真っ暗な夜空の下をビーガの案内で『毒風大王』の棲家の近くまでやってきます。
「気をつけろよ。何が待っているかわからないからな」ベンガはネコのように音もなく砂地を歩いてゆきます。
「父さん、あれは」
 タピーを砂漠に降ろしたビーガが声を上げます。
「兄さん、どこかに隠れていてください」
 見れば大王の棲家の方から何匹もの大きな蛇のようなものが鎌首をもたげてものすごい勢いでこちらにやってきます。
「何だ、あれは」
 ベンガは目をこらします。
「……竜巻だ。ビーガ、タピーを連れて逃げるんだ、早く!」
 けれども竜巻は予想以上の速さでベンガたちに襲い掛かります。ビーガはタピーをかばいジャックは空に逃げようとしますがもう間に合いません。

 竜巻に巻き込まれてもみくちゃにされるタピーたち。それを棲家から見ていた『毒風大王』は高笑いをします。
「いひひひひ。見たか、わしの魔力を。誰もわしの屋敷には近づけんぞ」
「何やってるのよ、みんな」
 これを聞いたシャンティは青ざめます。
「タピー、私を守るって約束したわよね。約束を破ったら承知しないんだから」
 子分の一人が大王の下にやってきて何事か耳打ちします。
「しぶとい奴らめ。まだ向かってくるというのか。まあ、何度来ても同じこと、返り討ちにしてくれるわ」

 

 竜巻の去った後の砂漠ではベンガが、そしてビーガとタピーが砂の中から這い出します。
「みんな、大丈夫か。こんな砂に負ける私たちではない」
「父さん、ジャックさんの姿が見当たりません」
 ビーガが叫びます。
「どこかに避難したと思うことにしよう。今は一刻を争う」
 ベンガが決意の表情を浮かべます。
「タピー、済まないがここに置いていく。ビーガ、全力で駆けるぞ!」

 

 全速力で『毒風大王』の棲家に向かって駆け出したベンガとビーガ。大王の次々に繰り出す竜巻を見事に避けながら棲家へと近づいてゆきます。そしてついに棲家の近くまでたどり着きます。
「よし、あそこが門だ。一気にいくぞ」
 ベンガの手が棲家の門にかかろうかという瞬間、再びあのシャンティをさらった砂嵐がベンガとビーガを包み込みます。ベンガたちは砂嵐から生えた二本の腕につかまり、いやというほど振り回されて砂漠にたたきつけられます。

 砂嵐が去った後の砂漠には動かなくなったベンガとビーガが横たわっています。すると棲家の門が開き大王自身が姿を現します。
「しぶとい奴らだったがもう立ち上がることはできまい。どれ、とどめはわし自らさしてやろう」
 そう言うと大王は腰の剣を抜きベンガたちに近づいてきます。

 

 剣を抜き倒れているベンガに近づく『毒風大王』。ベンガの上で得意げに話し始めます。
「神の祝福を受けた勇者に普通の人間やトラがかなうわけがなかろう。お前のように勇気のある奴はわしの家来にしたいところだが、花嫁の知り合いではそうもいかん。まあ、そっちのトラはわしの用心棒にしてやってもいいがな、いひひひひ」

 一笑いした大王がベンガに向かって剣を振り上げた瞬間、小さな風が吹き、砂が大王の頬を打ちます。
「おや、妙な。この砂漠の風は全てわしの思いのままのはずだが、……まあ、わしも興奮しているのかもしれんな」
 大王が再び剣を振り上げると今度はさきほどよりも強い風が吹き大王は思わずよろめきます。
「何者かが魔力で風を起こしているのか、誰だ、出て来い」
 その言葉が合図となったかのようにはるか彼方で黒雲が湧き上ります。みるみるうちに黒雲は大きくなり大王に向かってきます。
「面白い、わしと勝負するというのか。受けてやろう」
 大王は剣を腰に収めると呪文を唱えます。すると大王の体の周りから砂嵐が起こります。
「さあ、あの黒雲を蹴散らしてこい!」

 

 謎の黒雲と『毒風大王』の砂嵐が衝突する砂漠の上空。しかし黒雲が起こす風はあっという間に砂嵐を蹴散らして大王に向かってきます。
「何だと、そんな馬鹿な。わしよりも強い風を起こせる者など、……はっ、もしや」

 そこまででした。黒雲が起こす風は暴風雨となり大王の体を空中にさらい、そして大王はいやというほど砂漠にたたきつけられます。大王の棲家も暴風雨に襲われ跡形もなく破壊され貯め込んでいた金銀財宝もすべて砂漠に降り注ぎます。
 暴風雨が去った後の砂漠に一人立っているのはディアンカーラでした。

 ディアンカーラは砂に埋もれてしまったタピー、ベンガ、ビーガ、シャンティを地上に戻し意識を蘇らせます。そして気絶している大王に近づき何事かつぶやきます。
 まだ半分意識が朦朧としているタピーたちが見たのはディアンカーラとその手の上でぐったりしている大きなサソリでした。
「これが『毒風大王』の正体だ。長い間生きたサソリにわしが祝福を与え、人間の姿、そして砂嵐を起こす魔力を与えたのだ。このサソリはわしがシュマナ山に連れて帰りもう悪さはさせん」
「……だめだよ、そんなの」
 タピーが口をとがらせます。
「色んな人たちに迷惑をかけてたんだよ」
「私はあやうくそいつの花嫁になるところだったんですよ」
 シャンティも不満げに言います。
「この者が奪い取った金銀財宝はあそこに散らばっておる。ひどい目に遭わされた旅人や村人に分け与える、それでよいか?」
「うーん、何か違うなあ」
 タピーは納得できないようです。
「タピー、お前が言いたいのは……なるほど、謝罪の気持ちが足りないというのか」
 ディアンカーラはその厳しい表情を一層厳しくします。
「タピー、もういいだろう」
 ベンガが場をとりなします。
「ディアンカーラ様のおかげで私たちも助かったのだから」

 ぐったりしているサソリを結い上げた頭髪の中にしまい込むディアンカーラ。おもむろに踊り始めます。

 すたん、すたたん、すたん、たん

「わしはこの世界の始まりを見つめ、大地を造り、動物を造り、人を造り上げた」

 すたん、すたたん、すたん、たん

「荒ぶる神、災害の神と呼ばれ、皆が畏れるわしに向かって、謝れ、という者が現れた」

 すたん、すたたん、すたん、たん

「何と愉快な、何と楽しい世界。穢れを知らぬ者よ、その旅を全うするがよい」

 すたん、すたたん、すたん、たん、たん、たん

「……すまなかったな」
ぼそりと言うと、ディアンカーラの姿はかき消すようになくなります。

 

 後に残されたタピーたち。そこにジャックが飛んできます。気がつけばもう太陽が昇っています。
「おーい、お前ら、無事かあ。いや、大変な目にあったけど、どうなったんだよ……え、何、ディアンカーラ様が現れたって?」
「ジャックがディアンカーラさまを呼んだんじゃないの?」
 タピーが尋ねます。
「うんにゃ、おいらは竜巻に巻き込まれてそのまんま気絶してたよ」
「わあ、ぼくどうしよう」
 タピーが心配そうな表情になります。
「ディアンカーラさま、呼ばれないのに来てくれたんだ、それなのに、ぼく、ぼく」
「何だよ、何があったんだよ、言えよ、おい、ビーガ」
 好奇心丸出しのジャックにビーガが事の顛末を話します。
「ディアンカーラ様に謝罪させただって!」
 ジャックはまたもや気を失ってしまいます。

 

 ディアンカーラの力で一難をまぬがれましたが、タピーたちの行く手に広大な砂漠はまだまだ続いています。いつもの通りジャックが軽口をたたきます。
「しっかしよぉ、シャンティも勿体ねえことしたんじゃねえのか。あれだけの金銀財宝に囲まれて暮らせたものをよぉ」
「お願い、もうその話はやめてよ」
 シャンティは思い出すのもいやだという風に、ぶるっと肩を震わせます。
「水の中にいた頃から海老や蟹が苦手だったのよ。サソリ男と暮らせるわけないでしょ」
 そう言ったシャンティですが、毒風大王の棲家にあった上質の絹でできたドレスをちゃっかり着ています。
「へえ、そんなもんかねえ」
 ジャックは何かを思いついたようです。

「よぉ、みんな好きなものや苦手なものって何かあるんだろう?一つ発表といこうじゃねえか」
「ぼくはですね」
 ビーガが生真面目に答えます。
「好きなのは葉っぱに溜まった朝露、苦手なのは人がたくさんいる場所ですね」
「ふーん、わかる気がすんなあ。ベンガはどうなんだよ」
「仕方ないな」
 ベンガもしぶしぶ答えます。
「月夜に聞くジャングルの虫の調べ、苦手は降り続く雨、だな」
「ベンガさんは詩人だこと。シャンティのは聞かなくてもわかってるから。好きなのは金銀財宝だよな?」
「まあ、失礼ね。私の好きなのは、海一面をぼぉっと染める蛍火よ。本当にきれいなんだから」
 シャンティはジャックをにらみつけます。
「そういうジャックは何が好きで何がきらいなのよ」
「おいらかい、おいらが好きなのは、空から見た時に大地の色が変わる場所があるんだよ、例えばでっけえ真っ白な綿畑が急に真っ赤な土の地面に変わるみてえな。きらいなのは……黙っていることかな」
「良くも悪くもジャックよね。ねえ、タピーはどうなの?」
「ぼく?」
 タピーはさっきから必死にどう答えるか考えていたようです。
「ぼくはねえ、好きなのはチュンホアのたまごすうぷ、きらいなものは……別にないかなあ」
「さっすが、タピーさん。苦手は何もないなんて」
 ジャックが言います。
「ディアンカーラ様に謝罪させちまうだけのことはありますねえ」
「だってさあ、色んなこと全部が初めてのことばっかりなんだよ。初めてなのに好きも苦手もないんじゃない?」
 タピーはジャックの嫌味に気づかずに言います。
 皆微笑んでいますがジャックだけはまだぶつぶつ言っています。
「ディアンカーラ様を謝らせた話がおいらみたいな噂好きの耳に入ってみろ。世界中がお前の名前を知ることになっちまうぞ……まあ、こいつには言ってもむだか」

 

 タピーたちがなおも砂漠の道なき道を進んでいると、突然タピーたちの前方にきらびやかな宮殿がゆらゆらと煙のように立ち上がります。
「あれ、いつの間にかあんな建物があるよ」
「あれは幻だ」
 ベンガが注意深く言います。
「この先のどこかに湖か泉があって、そこの風景が見えることがあるらしい。いずれにせよそこまで行けばあの建物があるんだろうがな」
 理由はよくわからないけれども、とにかく、目の前にゆらゆら見える宮殿を目指すことにします。しばらく歩くと果たして小さな泉がありましたが、肝心の宮殿はどこにも見当たりません。
「……おかしいな、宮殿がどこにも見当たらないとは」
 ベンガは首をかしげます。
「とりあえず休憩しよう」

 

 タピーたちは泉の周りのブドウの木陰で休憩することにします。タピーは水浴びを始めジャックやビーガと水をかけ合ってはしゃぎますがベンガだけは落ち着きません。先ほどから何者かが様子を伺っている気配がしているのです。
「おい、そこにいるのは誰だ」
 ついにベンガは口を開きます。
「隠れていないで出て来い」
 答えは返ってきません。水浴びに夢中だったタピーたちも手を休めます。ベンガがもう一度呼びかけると水辺の草ががさがさと動きそこから何やら出てきます。現れたのは額に一本の角が生えた男、とても背丈は小さいのですが、子供というわけでもなさそうです。

「……これは、お気づきでしたか」
 男は上目遣いでタピーたちを見上げ甲高い声を出します。
「あっしは『砂漠の魔王』の使い、名もない小鬼です。王がどうしても皆さんにお会いしたいと言うのでここで様子を窺(うかが)っておりやした」
「『砂漠の魔王』とは誰ですか?」
 ベンガが警戒しながら尋ねます。
「幻の宮殿をご覧になりましたでしょう」
 小鬼は甲高い声で一生懸命説明します。どうやら悪い奴ではなさそうです。
「幻の宮殿に住みこの広い砂漠を支配している王なんです」
「えっ、『毒風大王』じゃないんですか?」
 シャンティがびっくりして言います。
「……ええ、まあ」
 小鬼は言いにくそうにします。
「とにかく王に会いに来てくれませんか?」
 何か訳がありそうですがタピーたちは小鬼に従うことにします。小鬼はほっとした表情で泉の淵に立つと二、三回両手を上下させます。
「ここから宮殿に行けます。どうぞ、お入りになってください」

 

 小鬼に促され幻の宮殿の中に足を踏み入れると、宮殿は白い石でできています。あちらこちらで水が流れているので、きっとこの水が先ほどの泉に流れ込んでいるのでしょう。
「ずいぶん静かだねえ」
 タピーが思わず言います。ニンハ王の海の中の王宮も仮住まいの『妖精の国』の氷の宮殿ですら活気がありました。ところがこの宮殿ときたら歩いているタピーたちと小鬼以外には人の姿が見当たらず、水の流れる音以外には物音も聞こえません。
「我が王は重い病の床に伏せっておられます」
 小鬼は沈んだ声になります。
「本来なら自ら出迎えに行かねばならないんですがそれも叶わず、こうして皆さんに来ていただいているわけです」
「そんな事情があるとは知らず、お気になさらないでください」
 ベンガが恐縮します。
「しかし、それほど具合がお悪いのになぜ私たちに会いたいなどと言われるのか」
「……この扉の先です。あっしはここで待ってますんでどうぞ」
小鬼は泣いてでもいるのでしょうか、ベンガの質問には答えずに下を向いてしまいます。

 

 扉を開けても一段高い玉座には誰も座していません。どうやら玉座の後ろのカーテンの向こうに王はいるようです。タピーたちの入ってきた気配にカーテンが少し動いた気がしますが誰も出てくる気配はありません。
 心配になったタピーたちはカーテンの向こうを覗き込みます。そこには大きなベッドがしつらえてあり一人の老人が起き上がろうとしてもがいています。
「無理をなさらないでください」
 ベンガは駆け寄り老人を助け起こします。
「おお、すまんな」
 老人は力のない枯れた声を出します。
「せっかくお呼びしておいてこのような状態とは情けない」

 ベンガは一旦老人を助け起こしましたがかさかさの皮膚や枯れ木のような腕や足に気づき起きているのも辛いだろうと思って再びその体を横たえさせます。
「どうぞ、お気になさらず、そのままで結構です」
「元々この砂漠は長い間わしが治めていたのだ。旅人が道に迷えば、幻の宮殿を見せ、泉で水を施し、宮殿で休息を与えた。いつしかわしは『砂漠の魔王』と呼ばれるようになった。ところがわしが床に伏せるようになるとあのサソリがのさばり出し旅人を苦しめるようになった、わしはくやしくて仕方がなかったがこの体ではどうにもならん。しかしお主らがサソリを退治してくれたという知らせが入った。まずはその礼が言いたかったのだ」
「私たちは何もしておりませんよ」
 ベンガが静かに言います。
「でもこれで元の平和な砂漠に戻るということですね」

「いや、そうもいかん」
 年老いた魔王は言います。
「おわかりだろうがわしの命はもう長くはもたん。わしがいなくなればまたあのサソリのような奴が現れないとも限らん。それを考えると死んでも死にきれん」
「お世継ぎはいらっしゃらないのですか?」
 シャンティが心配そうに尋ねます。
「おらん、そもそもこの命は永遠に続くと勝手に思い込んでいた。近々エマ様にお目通りする段になって初めてそのことに思い当たったのだ」
 魔王は乾いた小さな笑い声を上げ咳き込みます。ひとしきり咳き込んだ後、言葉を続けます。
「単刀直入に言おう。わしには後継者が必要だ」
 魔王はかさかさの枯枝のような手をぶるぶると持ち上げます。
「そこのバクの少年、わしの養子になりこの国の王を継いではくれまいか?」

「……えっ、何言うの。無理無理、ぼくが王様になんてなれるわけないじゃないの」
『砂漠の魔王』にいきなり名前を呼ばれたタピーはびっくりします。
「わしは聞いた」
 魔王はしわがれ声で言います。
「お主が破壊の神、ディアンカーラに謝罪させたという話をな。お主の勇気、それこそが一国の王たるにふさわしいものだ」
 タピーだけでなく、ベンガやジャックも混乱してしまって言葉が出ません。ようやくベンガが口を開きます。
「魔王よ、あまりに突然の申し出で、タピーは急には答えられません。しばしお時間をいただけないでしょうか?」
「うむ、そうであろう」
 魔王は答えます。
「この宮殿でくつろいでゆかれるがよい。ただ時間はあまり残されていない。できる限り早くわしの願いを聞き入れてくれ」

 

 タピーたちはしゃべり疲れて眠りについた老魔王を後にして外に出ます。小鬼が近くにいないことを確認してジャックがタピーに尋ねます。
「おい、タピーよ、どうするつもりだい。だから言ったろ、有名になるようなことすると後で大変だぞって」
「うーん、困ったね」
 タピーは悩んでいるようです。
「王様はかわいそうだけど旅は続けなきゃならないし」
「状況を整理しましょう」
 シャンティが冷静に言います。
「ねえ、ジャック、エマ様のところに行ってくれない?もしかしたら、王様の寿命がまだまだ続くってこともあるじゃない」
「えー、エマ様か。教えてくれっかなあ。ま、期待しねえで待っててくれや」
 ジャックは飛び立つとしばらくして戻ってきます。
「やっぱ、だめだめ。取り付く島もなかったよ……一回寝て起きれば全てがわかるだろうだってよ」
「ということは……明日中にエマ様が『死の国』に連れて行くということか」
 ベンガが辛そうに言います。
「悪いとは思いましたが話は聞かせていただきやした」
 突然小鬼が姿を現します。
「……タピーさん、明日の朝には結論を出してくれませんかね。お願いします」
 それだけ言うと小鬼は姿を消してしまいます。

 

 翌朝、タピーたちは再び魔王の伏せっている床に集まります。老魔王は昨日よりも一層顔色が悪く見えます。
「王様、ぼく決めたよ」
 タピーが声をかけます。
「王様の子供になるよ」
 それを聞いた魔王は一瞬信じられないという表情をしましたがすぐに相好を崩します。
「おお、受けてくれるか。これで安心して『死の国』に旅立てる」
 魔王は重い病にかかっているとは思えない力強い声で小鬼を呼びつけます。
「今から跡目披露を行う。急いで仕度せい!」
 それから昼過ぎまで小鬼は大忙しで走り回り、タピーたちは用意された部屋で時間を過ごします。

 

 昼過ぎに再び王の間に行ってみると、いつの間にか各地から大勢の王や有力者たちが集まっています。『妖精の国』の王、ルバも来ていて、タピーたちをちらっと見て笑顔を見せます。
 小鬼が一座の人々に向かって恭しく口を開きます。
「お集まりの皆様、これより我が王、『砂漠の魔王』よりごあいさつがございます」

 玉座の後ろのカーテンから現れた魔王は今朝まで床に伏せっていたとは思えない立派ないでたち、黄金のかぶとに黄金のかたびらをつけた正装でよく通る声を出します。
「本日は重大な発表がある。わしは王の座を我が養子に譲ることにした。ここに来るがよい」
 ベンガがタピーのわき腹をつつくとタピーは前に出て行き魔王の隣に立ちます。
「皆も名前は知っておろう。あのディアンカーラに謝罪させたタピーが我が養子となりこの国の次の王になる。我が世継ぎにこれ以上ふさわしい人材はおらん」

 タピーの名前が出ると一同がどよめきます。ジャックの言っていた通りタピーの名前はかなり知れ渡っているようです。
「ただしご覧の通りタピーはまだ若い。どなたか後見人にはなってくれぬか」
 魔王の申し出に真っ先に手を上げたのは『妖精の国』の王、ルバです。
「タピーにはわが国もひとかたならぬ世話になっておる。私でよければ喜んで力を貸すぞ」
 続いてもう一人、馬の頭の飾りのついた兜をかぶった人物が手を上げます。
「私も力を貸そう。我が眷族(けんぞく)よりタピーのことを頼むと言われておる」
「おお、それは心強い」
 魔王は感激しているようです。
「『妖精の国』のルバ王と『オンオンの大地』のジャオンノ、二つの隣国が後見人になってくれれば心配ないであろう。ではタピー、あいさつを」

 

 タピーは魔王にうながされあいさつをします。
「皆さん、今日はありがとう。ぼくは子供だし、力もないし、知恵も回らない。……いつもそこにいる仲間たちに助けられてここまでどうにかやってきたんだ。多分この国の王になっても、皆の助けが必要になると思ってる」
 タピーは魔王を振り返ります。
「でも心配しないで。この世界のみんなを幸せにしなくちゃ、っていう気持ちは……父さん……に負けないくらい持っているから」
 ぺこりと頭を下げて、タピーは元の場所に戻ります。
「……では、これからもわが国と新しい王をよろしく頼む」
 魔王がそう締めてその場はお開きとなります。

 

 タピーたちと年老いた魔王、小鬼、それに後見人の二人の王たちだけが王の間に残ります。沈黙を破るように魔王が口を開きます。
「皆、感謝するぞ。わしは心おきなくエマ様の元に行ける」
「王様、何をおっしゃるんですか。生きようというお気持ちを持たないと」
 シャンティが言いますが魔王は首を横に振ります。
「自分の寿命は自分が一番よく知っておる……なあ、ルバ、ジャオンノ、お主らとはずいぶん長い付き合いだ、わしの言いたいことはわかっていよう。くれぐれもこの国のことを頼むぞ」
「王よ、多くは語られるな」
 ルバは静かに言います。
「全て任せるがよい」
「さて、タピー、ご苦労であったな」
 魔王は少し疲れたような表情になります。
「お前のあいさつ、立派だったぞ。本当の息子ができたような誇らしい気分になった」
「そんなことないよ」
 タピーは複雑な気持ちのまま答えます。
「これから立派な王様になるためにいっぱい勉強しなくちゃだし、もっとがんばらないと」
 魔王は今までで一番優しい笑顔を見せます。
「……何を言っておる。もういいのだ。お前には旅を続けるという大きな目標があるではないか。こんなところで留まっていてはいけないぞ」
「何を言っている、はこっちのセリフだよ。わけがわかんないよ」
「……わしは疲れた。後はルバとジャオンノが説明してくれる」
 魔王は元の病人に戻ってしまったようです。後ろを向いて玉座の裏の自分の寝床に戻っていこうとします。
「……みなの者、出て行くがよい」

 

 タピーたちは小鬼に追い立てられるように王の間の扉の外に出されます。ぴたりと閉められた扉の向こうで魔王の最後の声がします。
「我が息子よ。お前のような息子を持てて幸せであった。無事に旅を全うするがよい!」
 それっきり声は聞こえなくなりました。
 小鬼は声を出さずに座り込んで泣いています。ベンガもビーガもシャンティもジャックもうつむいて涙を流しています。

 タピーは扉をどんどん叩きながら叫びます。
「だめだよ、この国の王になるって約束したんだよ。色々教えてくれなきゃだめじゃないか、それなのに……それなのに……」
 タピーも扉に頭を押し付けたまま泣き崩れます。
 泣いているタピーの背中にルバが手を置きます。
「タピーよ、王は初めからわかっておったのだ。お主が王になどなれないということをな。けれども世継ぎが決まっていなければ再び『毒風大王』のような悪い奴につけこまれてしまう、デアンカ様に謝罪をさせたお主であれば誰もが納得する後継者だ、そう考えての大芝居だったのだ」
 ジャオンノもタピーの肩に手を置きます。
「この国のことはルバと私に任せて旅を続けるのだ。王もそれを望んでおられたはずだ」
「……みんな、みんな、わかってないよ」
 扉に頭をつけたままタピーが小さな声で言います。
「国だとか王だとかそんなのどうでもいいんだよ……あの人はぼくの、ぼくの父さんなんだよ」

 人はなぜ永遠の別れをしなければいけないのでしょう。宮殿の外を流れる水の音だけがさらさらと聞こえてきます。