タピーたちは都から西へ急ぎます。ミカドの言った通り、まだ昼前だというのにどんどん辺りが暗くなっていきます。
「しかしよ、どういうことだい。これもラーゴの仕業か?」
ジャックがビーガの背中で言います。
「わからん。御所の魔物を見てもわかるように、ラーゴはまだ力を回復できていない。このように広い一帯を闇で覆うなどということができるとは到底思えんが」
「でも、ラーゴだよ。きっとこれが最後の闘いなんだよ」
タピーがそう言い切ると、皆うなずきます。
タピーたちは途中の川原で休憩を取ります。
「しかし神々はどうなってしまったんでしょうね」
ビーガが不安そうに言います。
「そうね」
シャンティも不安そうです。
「ジャック、ああ、この暗さじゃあ飛ぶのは無理ね」
「残念ながらな。ただよ、皆でこの場所で念じれば、ラーラワティ様に届くんじゃあねえかな」
「なるほど」
ベンガが言います。
「では、全員で願いを届けてみよう」
タピーたちは川原の真ん中で輪になって祈り続けます。するとわずかに川面が波立ちます。
「おお、いらっしゃるのか」
川面のわずかな変化に気づいたベンガが言いますが、何も起こりません。
「何も起こらないわね」
シャンティが心細げです。
「どうしちゃったのかしら」
「しっ、……聞こえないか」
ベンガが耳をそば立てます。
「かすかにヴィーナの音が聞こえるぞ」
タピーたちは川からかすかに聞こえてくる音に耳をすまします。
「あ、本当だ、何か言ってるよ」
「……絶望した……世界を無……神々は……舞台……」
やがて何も聞こえなくなります。
「ああ、ラーラワティ様、どうしちまったんですか?」
ジャックの声は震えています。
「一体何をおっしゃりたかったんだろう」
ベンガはうなります。
「ラーゴが何かしたことは間違いなさそうよね」
シャンティが言います。
「世界を無、なんていう物騒な言葉が聞こえなかった?」
「どういう意味?」
タピーが尋ねます。
「うーん、勘だけど、ラーゴは何度も邪魔されてるじゃない?それでヤケになって世界を無かったことにしようとしているってことかしら」
「何で?」
「このまま、『世界の王』になれないのならいっそ何もない方が楽だ、って考えたんじゃない?」
「……何もない、何も考えない、それがいい……」
「えっ、タピー、何か言った?」
「ううん、何も言ってないよ」
「いずれにせよ神々に危機が迫っているのは間違いない。『神々の舞台』に急ごう」
タピーたちがたどり着いた『神々の舞台』は小高い台地でした。闇が覆っているため今が昼なのか夜なのかもよくわかりません。
「きっと本来であればこの台地に神々が集うはずだろうが、どなたもいらっしゃらない。一体どこに行かれたのか?」
「ラーラワティ様に聞いたことがあんだけど」
ジャックはもう何も見えないようでビーガの背中に乗ったままです。
「どっかに岩でできた戸があって、そこの奥が広場になってるらしいんだ。そこにいらっしゃるんじゃねえか」
「よし、シャンティとジャックはここにいてくれ。私たちは夜目が利くからその岩戸を探そう」
タピーとベンガとビーガは三方に歩き出します。
やがてビーガの声が遠くでします。
「ありました、ここです」
ベンガが大きな岩戸を開けようとしますがびくともしません。
「いっちょ、呼びかけてみようや」
ジャックが言います。
タピーたちが声を限りに岩戸に呼びかけると中からかすかな声が返ってきます。
「……おお、……お主たちか……」
「……その声はディアンカーラ様?」
「……ラーゴに……してやられた。……この岩戸は中からは開かない……ラーゴは話し合いと言って……ここにわしらを閉じ込めた……」
「でも外からも開きませんよ」
「……それはラーゴの魔法が……かかっているから……」
「神々の力で中からラーゴの魔法を打ち破れば?」
「……この岩戸の中では……神々は力を使えない……わしらが力なき弱き者たちと同じ体験をする唯一の場所……それがこの岩戸の中だ……」
「ラーゴはそれを知っていて……今どこにいるのでしょうか?」
「……わしらを閉じ込めた後……お主らを待つと言っていた……まだその辺りにいるのではないか?」
ディアンカーラの言葉を聞いてベンガはあたりを見回しますが、ラーゴの姿は見当たりません。
「ディアンカーラ様、どこにもいないようですが」
「……そんなはずはない……集中し……気配を……感じるのだ……」
ディアンカーラに言われタピーたちはラーゴを探します。
「確かに今までにない強い気配がするが……一体どこだ?」
タピーが言います。
「ねえ、もしかすると、もしかするとだけど……ぼくたち、もうラーゴの中にいるんじゃないかな?」
「……そうか……この闇はラーゴそのものか。残った全ての魔力を使い、自分自身の中に世界を飲み込むつもりか。しかしそんなことをすれば、ラーゴ自身も元には戻れなくなるだろうに」
ベンガが低くうなります。
「……この闇、これがラーゴ自身だって言うのか?もう、やけくそじゃねえか」
ジャックの声は上ずっています。
「……どうやって戦えばいいんですか?」
ビーガもわけがわからなくなって情けない声を出します。
「こういう時こそ冷静になりましょうよ」
シャンティが皆を落ち着かせようとしますがその声は震えています。
「ねえ、タピー、ケートゥの闇もこんな感じだった?」
「ううん、こっちの方がずっと暗いよ。ケートゥの夢にはまだ小さな光があったけど、ラーゴの闇は本当に真っ暗……ああ、そういうことか」
タピーが何かに気づいたようです。
「これがラーゴ自身っていうことは夢みたいなもんでしょ。だったらぼくがその中に入ればいいんだよ、ね」
「お前が普段夢の中に入るのは、人の意識の中に入り込むことだ。確かにこの闇はラーゴの意識だから同じようなものだが」
ベンガはふーっと息をつきます。
「……しかしタピー、この意識の中に入るのはあまりにも危険だ。帰ってこられなくなるかもしれないぞ」
「でも他に方法はないでしょ。それともみんな、このまま闇に飲み込まれるつもりなの?」
「……」
「もう話しかけないでよ。集中しなくちゃいけないんだから」
タピーは精神を集中させ始めますが、途中で何事かに気づいたようです。
「あ、シャンティ……ううん、何でもない」
タピーはまた精神集中に戻ります。
「何よ、言い出したら最後まで言いなさいよ……あ、そうか」
シャンティはかたわらのジャックとビーガを呼びつけ、何事かを囁きます。それを聞いたビーガはジャックを背中に乗せたまま、そーっと岩戸の前を離れていきます。
精神を集中させていたタピーは、やがて体がすーっと軽くなるのを感じます。ラーゴの意識の中に入ったのを確信して歩き出しますが、ある事実に気づきます。
「……ぼくの体が……無くなってる……こうやって普通にしゃべってるのに」
どうやら、タピーはラーゴの意識の中で、自分自身も意識だけの存在になってしまったようです。
「急がなくちゃラーゴに飲み込まれちゃう……うーん、たまごすうぷ、たまごすうぷ」
体の無くなった意識だけのタピーがしばらく進んでいくと、一段と濃い闇にたどり着きます。
「どうやらここがラーゴの本体だね。ラーゴ、ぼくだよ」
しばらくするとタピーの意識にラーゴが答えます。
「最後に来たのはやはりお前か……タピー」
「ラーゴ、一緒に帰ろうよ。もう終わりにしよう」
「タピー、お前こそ早く戻れ。やがてこの闇は世界を覆う。それまでの間、愛しい人とでも一緒に過ごすがいいぞ。ここにいれば真っ先にわしに飲み込まれてしまう」
「へえ、ラーゴ、いっつもぼくのこと、バク、とか、バクの子供、とかしか呼ばなかったのに、今日はちゃんと名前で呼ぶんだね」
「今だけのことだ。やがてあらゆるものが闇に包まれれば名前などに何の意味もない」
ラーゴは答えます。
「タピー、この世界に生まれ、最も悲しいことは何だと思う?」
「突然、何言い出すのさ。よくわからないよ」
「それはな……誰にも名前を呼ばれないことだ。生きている間は相手にされず、死んだ後には忘れ去られてしまう、これほど悲しいことはない。わしは『世界の王』になろうとした。わしの名前を歴史に刻み、たとえ死んだとしてもわしの名前が忘れられることはなくなるように、と考えたのだ」
「……ラーゴ、さっきと言ってることが違うよ。名前などに何の意味がある、って言ってたじゃない?」
「その通りだ。『世界の王』になることが叶わない今となっては、わしの名前などこの世界の長い歴史の中に埋もれてしまう。誰もわしのことなど覚えていないのだ。そんなことになるくらいならわしは、何もない、ことを選ぶ。この世界を闇で覆えば『世界の王』に何の意味がある、名前に何の意味がある?」
「ラーゴ、違うよ……『世界の王』になんかならなくたって……ぼくやベンガたちは君の名前を忘れない」
「……つくづくお人好しだな。それが憎むべき仇にかける言葉か」
闇の中で意識だけのタピーとラーゴが会話を続けます。
「ところでタピー、一つ聞きたいことがあったのだ。教えてはくれぬか」
「何、ケートゥのことでしょ」
「そうだ、お前はケートゥと最後に話をした者、兄のわしでさえ話をしてはおらん。あの腰抜けは何を考えていた?」
「ケートゥは腰抜けなんかじゃないよ。ぼくに、兄貴を救ってくれ、って頼んだんだよ」
「ふん、何が救ってくれだ、甘ったれめ。お前、一体どうやってあいつを打ち負かした?」
「ケートゥの夢の中も真っ暗だったよ。でもほんのちょっとだけ光ってるものがあったんだ。それはお母さんとの思い出だった。ぼくがそれを取り上げるぞ、って言ったんだよ」
「……母との思い出だと。ははは、片腹痛いわ。残念だったな、タピー、ここにはそんな思い出の欠片すらないぞ」
「そんなことないよ。だってテンチーでベンガに何か言われた時、ラーゴ変だったじゃない?」
「……特別に話してやろう。ケートゥが何と言っていたが知らないが、母が死んだのはわしのせいだ」
――辛い修行が続いていたある日、わしは辛さに耐えかねて母を連れて逃げ出そうとした。母は何も言わずにわしについてきてくれた。しかし途中で父に見つかり連れ戻されてしまったのだ。母は折檻を受け……数日後に亡くなった。
わしのせい、わしが母を殺したのも同然だ。それ以来わしは他人を愛することは止めた。誰が生きようと死のうとわしには関係ない、そうやって生きるようにしてきた。
だがテオの母に手をかけてしまった時にわしは気づいた。心の中に隠し持っていたものが壊れたことにな。それまでずっと封印してきた母への想いさえも踏みにじってしまったのだ。
「闇は一層濃くなっていくようだ。タピーは大丈夫か?」
岩戸の外で待つベンガが言います。
「信じるしかないでしょう。タピーを」
「ところでビーガとジャックの姿が見えないがどこに行った?」
「あるところに行ってもらっているの。タピーが闇を払えたとしてもそのまま帰ってこないんじゃないか、いやな予感がするのよ」
ビーガはジャックを背中に乗せたまま必死に走っています。
「おい、ビーガ、急げよ。一刻を争ってるんだからな」
「はい、もう少しで着きます」
辺りの闇がさらに濃くなってきたようです。
「ラーゴ、ぼくも言いたいことがあるんだ」
「こうしてお前と話すのも最後だ……言ってみろ」
「ぼくとラーゴはよく似てるよ……何もない、何も考えない、それがいい……ぼくも昔同じこと考えていた時期があったんだ。こんな世界なくなっちゃえば楽なのに、もう仲間はずれにされることなんかなくなるのに、そう思ってた……でもぼくはベンガ、シャンティ、ジャック、ビーガ、そして他のみんなに出会って、それで変われたんだ……だから、ぼくにはラーゴが言っていること、わかるような気がする」
「……わしをお前ごときと一緒にするな……しかし、そうかもしれん。どん底の時にわしは『世界の王』になり、力づくでわしの名前を歴史に刻み込むことを神々に願った。お前は『救済の御子』となり、世界の人々を救うことを神々に願った。わしとお前はコインの裏表かもしれん」
「ぼくは……そんなに……えらそうなもんじゃないけどね……」
「……タピー、これからわしが言うことをよく聞け。この闇はわしの意識、闇で世界を覆うつもりであった……しかし気が変わった。今からわしはこのわしの意識をボーンラマのところに帰そうと思う」
「……どういう意味?」
「わしを、わしの意識だけを無に帰す。つまり……わしだけが無くなるのだ」
「……」
「わしが無くなっても、わしによく似た、わしのことを覚えていてくれる、と言ったお前が残る……それで十分だ」
「あー、ラーゴ、初めて言ったでしょ、十分だ、って」
「何だ、それは?」
「……ぼく、最近ずーっと考えていたんだ。みんな幸せになると、次の幸せ、また次の幸せっていう風にきりがないんだ。でもみんなが自分の幸せのことばっかり考えていると、そこから先は不幸せになる人の方が多くなっちゃうんだ……みんながどこかで、十分だ、って思わないとだめなんだよ」
「……何を言い出すのかと思えば、変わった奴だ、お前は……」
ジャックとビーガはようやく目的地に着きます。
「よーし、きっとあそこにいるはずだ。行くぞ、ビーガ」
ジャックとビーガが向かったのは、ヤサカの屋敷の庭の大きな桜の木の下、そこではサエが闇の中で空のあった場所を見上げています。サエはジャックたちに気づくと驚いた声を上げます。
「ジャックさんとビーガさん、御館様が『神々の舞台』に行ってる、とおっしゃってたのにどうしてここに?」
ジャックはサエに事情を話します。
「頼むよ、その指輪に願ってくれよ、タピーに帰ってきて欲しいっていう想いを伝えてくれよ」
「わかりました。お祈りすればいいんですね」
「……タピー、そろそろ話は終わりだ。わしはボーンラマの元へ向かう。お前は急いでここから戻るがよい」
「帰らないよ」
「ここにいても仕方ないぞ」
「ぼくも一緒に行くよ」
「わしが撒いた種だ。わしが一人で刈り取らねばならん」
「ラーゴ、一人で行くのはさびしいでしょ……一緒に行ってあげるよ」
「……頑固者め、好きにするがよい」
サエは一心に指輪に祈ります。
「確かこの指輪は、『引き寄せの指輪』ってタピーさんが言ってたから……タピーさんにお会いしたい、今すぐに会いたい」
タピーとラーゴはボーンラマの存在をすぐ近くに感じるところまでやってきます。
「この先が無の世界……タピー、本当によいのか?」
「……早く行こうよ」
「わしに力が残っておればお前を元の世界に戻すのだがそれもできん……では飛び込むぞ」
ボーンラマの中にタピーとラーゴの意識は飛び込んでいきます。その瞬間、真っ暗な闇はまばゆい閃光に変わります。
「……タピー、お前だけは……戻れ……」
後に残るのは真っ白い空白です。
閃光に包まれるホーライ、次の瞬間には真っ白な風景が訪れ、ラーゴの闇は消えます。
「おお、闇が消えた。元の世界に戻ったぞ」
魔力で閉じられていた岩戸も開き、そこから神々が出てきます。
「どうやらラーゴを打ち破ったようだな」
ディアンカーラが感慨深げです。
「タピーは、タピーはどうなってしまったんですか?」
シャンティがラーラワティに詰め寄ります。
とうとうラーゴを打ち破ったタピー。けれどもタピーは無の世界に旅立ってしまったのでしょうか?