第二十二話:テンチー

 タピーたちは、とうとうはるか眼下にテンチーの都を望む、峠のてっぺんに登りつきました。
「あれがテンチーの都ね。格子模様に道が走ってて大きくてきれいな街よね」
 シャンティがうきうきした声を出します。
「そうだな、世界一の都、私たちはこれからあそこに降りていきラーゴと対決するわけだ」
 ベンガが緊張した声を出します。
「相変わらずベンガは堅いなあ。今ぐらい感動してはしゃいでもいいじゃねえか。旅はもうすぐ終わるんだぜ」
 ジャックはからかうように言います。
「なあ、タピー」
「あ、そうだ。今まで聞くの忘れてたけど」
 タピーが何か思い出したようです。
「ルバさまが言ってたじゃない。何とかっていう宝物を何とかっていう人が持って逃げたって。あれは一体何なの?」
「『プルカのハープ』のことか」
 ジャックが話を始めます。

 

 ――昔、ルバ様が『妖精の国』の王になるよりずっと前のことだけど、もちろんおいらもまだ生まれちゃいない、ある国同士で戦が始まろうとしてたらしいんだ。平原の戦、覚えてるだろ、あれの何倍もでっかい規模だったらしい。神々は人間のやることには立ち入らないって言っても、さすがにラーラワティ様は心を痛めてな、だって何万って人が死んでくのをただ見てるわけにもいかないだろ。
 ――そこでラーラワティ様は一計を案じた。大妖精プルカ、このプルカっていうのは神にも負けない力を持った妖精だったらしいんだけど、こいつに命じてハープを作らせたんだ。それが『プルカのハープ』さ。でも、ただのハープじゃねえんだよ。ひとたびその音色を耳にすれば、人も獣も、いや神でさえ、心奪われてしまうっていうすごい代物だったんだ。
 ――ラーラワティ様が元々意図してたのは、一時戦のことを忘れてくれればいい、それだけだった。でも、実際にプルカが戦場の空の上でハープを弾いた時、何が起こったか、……そこにいた何万もの人間が魂を抜かれたんだ。
 ――プルカが自分の力を見誤ったのか、それともわざとやったのかはわかんねえ。奴は地上の人々がぱたぱたと倒れてくのを見届けると、ハープを放っぽって逃げちまって、以来行方不明さ。さすがのラーラワティ様もハープの魔力にやられかけたんだろうな。逃げてくプルカを追うこともできず見送るだけだったそうさ。
 ――生き物は、肉体っていう器の中に魂が入って初めて、生きてるんだ。魂が抜けた肉体はただの器だ。後は腐るだけさ。正気に戻ったラーラワティ様はあわてて他の神々を呼んだ。もちろん魂を肉体に返すためだ。でも、さすがに神の力をもってしても何万もの魂を一度に肉体に返せるもんじゃない。一つ一つ時間をかけて甦らせていくしかねえんだ。
 ――そうしてる間にエマ様の帳面にはどんどん名前が増えてく。エマ様も必死になって名前を消したらしいけど、結局多くの人は『死の国』から帰ってこれなくなったらしい。

「そんな危険なものを放っとけない、って思われたラーラワティ様はハープを『妖精の国』の宝物庫の一番奥に厳重に封印するように、当時の妖精王に命じたんだ」
「ラーゴがそのハープに目をつけたわけか」
 ベンガが言います。
「推測だが、まずはネーテケに『火焔花』の種を持ち出させて混乱を起こす。当然妖精たちが宝物庫を確認するために封印が弱まった隙にハープを盗み出させる。こんなところだろう……しかし、何故ラーゴが自分で持って逃げなかったのだろうか?」
「あのハープは」
 ジャックが苦々しく言います。
「妖精にしか弾けないんだ。プルカが呪いをかけてたっていう話だ。さすがのラーゴでもそれを使うのは無理だよ」
「確かなのは、物騒なハープがテンチーに持ち込まれたってことね」
 シャンティが心配そうに言います。
「まあ、ネーテケにハープを使いこなせるとは思えねえけどな。やつの腕前じゃ、せいぜい子供を踊らすくらいだ」
「魂を盗まれたら大変よ。さあ、急ぎましょうよ」

 

 峠を降りたタピーたちが都の大きな門に着いたのは、すっかり夜の帳が降りた時刻でした。門はすでに閉ざされており中に入ることができません。
「そうか。夜になると都の門は閉まるのだな」
 ベンガは小さくうなります。
「仕方ない。今夜は外で眠ろう」
 タピーたちは休める場所を探すことにします。
「気をつけてください。あちらこちらに人の気配がします」
 果たしてビーガの忠告通り、灯りも無い暗闇の中でいくつもの目だけがぎょろぎょろと光っていました。
「この人たちも中に入れなかったのかな」
 タピーが小声で言います。

「おい、あんたら」
 ぎょろりと光る目の中から野太い声が上がります。
「何にも知らず峠を越えてきたみてえだが、犬だかトラだか連れて、異国のサーカスの人か?」
「ええ、まあ、そんなところです」
「ついてねえなあ」
 別の光る目が言います。
「今、都に入ったってサーカスどこじゃねえよお」
「あなた方はここで何をされているんですか?」
 ベンガが緊張した声で尋ねます。
「おれたちは都に住んでんだ」
 暗闇の中から一人の男が出てきて話し始めます。
「昼間は門の中で暮らしてんだけどよ、夜になると門の外で眠るんだ。本当は都から逃げ出したいんだけど、外で暮らしていくのもなかなかできねえもんだしな」
「なぜ、そのようなことを?……」
「怖えからだよ。特に夜がよ。昼間も目つきの悪い奴らがいっぱいいて雰囲気は良くねえんだけど、夜になると魔物が出んだ。だから外にいるんだよ」
「魔物ですって?」
「今、都じゃあよ。こんな歌が流行ってんだよ」

 だんだん暗闇に目が慣れてくると、男の人はひげもじゃですが人の良さそうな顔をしています。
「まあ、聞けよ」

 都に行ったうちの子が、
 ある日姿を消しちまった
 昼間子盗りにあったのか、
 夜中魔物に出会ったか

 タピーたちは魔物を恐れて外で眠る人たちから少し離れたところに座ります。
「大変なことになってるわね」
 シャンティがつぶやきます。
「これは全部ラーゴの仕組んだことですか?」
 ラーゴのことをよく知らないビーガが尋ねます。
「悪い奴はね、人の心の弱い部分に入り込んでその人を操るのよ」
 シャンティが言葉にするのもいやそうに言います。
「最低よね」

「ねえ、ベンガ。峠のおじいさんに言われたこと、忘れてないよね?」
 タピーが言います。
「覚えている。まずは、この紙に書かれた場所を訪ねること、きっとそこに都の混乱を解く鍵が隠されているのだろう」
 ベンガは老人からもらった黄ばんだ紙を大事そうに見ます。
「ラーゴは私たちが来ることを予測しているはずだ。注意が必要だぞ」
「ベンガは一度ラーゴと戦ってるからね。今度はぼくががんばるよ」
 タピーが声を弾ませます。
「さあ、明日、明日。もう寝ましょう」
 シャンティは笑いながら会話を打ち切ります。

 

 翌朝、都の大きな門が、ぎぃーっと重い音を立てて中から開きます。タピーたちが目の色を変える中、ベンガが静かな調子で言います。
「さあ、堂々と入っていこう」
「へへん、ラーゴの野郎め、吠え面かかせてやっからな」
 ジャックは陽気です。

 テンチーの都は世界一の名にふさわしく、碁盤の目のように直線の道が規則正しく交差しています。広い道の左右には整然と店や食堂が並び、朝だというのに人がたくさん出ています。どこまでも続いているかのようにまっすぐ伸びた大通りのはるか先には宮城がそびえています。
 タピーたちが大通りを歩くと、兵士が警戒の目を向け、人々は目を伏せます。
「ぼくたちの格好、何かおかしいかな」

 その時のタピーたちの装いといえば、シャンティ以外は以前ラーラワティにもらった冬服のままだったのですが、この国の人から見れば異国の服装だったようです。
「このへんの角を右に曲がるようだ」
 ベンガが紙切れから目を上げてそう言い終わらないうちに、ぱらぱらと現れた四、五人の兵士たちに取り囲まれます。
「お前たち、ちょっと待て」
 兵士の一人が強張った声を出します。
「都に入る許可証は持っているのか?」
「私たちはシュマナ山を越えてきた南の国のサーカス一座」
 シャンティが同情を誘うような震える声で言います。
「この国の作法は何一つわからないのですが……」
「ふむ、ならば私についてくるがよい。入城手続きが必要だ」
 兵士はビーガをちらっと見ます。
「そのトラは噛み付いたりしないだろうな。街を歩く時は口輪をはめてもらいたいのだが」
「かしこまりました」
 シャンティがしおらしく言います。
「途中の山で山賊に襲われ、商売道具を盗まれてしまって、今はこの身とわずかばかりの荷物だけしか残っていない有様なのです」
「ふむ、仕方ないな」

 

 タピーたちは兵士たちに取り囲まれるようにして、人気のない裏道の方へと連れていかれます。突然一人の兵士が手を上げると、さらに数人の兵士たちが物陰から現れました。
「待て。貴様ら、国を転覆させようとする異国の徒だな。すでにお触れが回っているぞ」
「いえ、私たちは……」
 シャンティがあわてて否定します。
「隠しても無駄だ。逆らえば、その場で切り捨てて構わんと言われておる」
 兵士たちが剣を抜きます。
「ベンガ、どうするのさ?」
「不要な争いは起こしたくないしな……ジャック、道士が言われていた場所に空から案内できるか?」
「大体の場所はわかるよ」
 ジャックはすぐに空に飛び上がります。
「さあ、みんな、遅れんじゃねえぞ」
「よし」
 ベンガとビーガが兵士たちに向かって一歩前に出ます。
「タピー、シャンティ、ジャックを見失わないように走れ!」
 兵士たちが後を追おうとするところをビーガが恐ろしいうなり声を上げて脅かすと、兵士たちがたじろぎます。
「ビーガ、私たちもそろそろと移動するぞ」

 

 タピーとシャンティが物凄い勢いで大通りに走って出ると、人々は何が起こったのか歩みを止めて見入ります。その後にベンガとビーガが兵士たちと距離を取りながら姿を現すと、驚きと恐怖の声と共に大通りは大混乱に陥ります。

「この騒ぎにまぎれて、目的地までたどり着くぞ」
 タピーたちは大通りを曲がり、どんどん細い路地に入ってゆき、柳の木が植わった一軒の小さな家の前にやってきます。
「どうやらここだ」
「ぼく……」
 タピーが何か言いかけましたが、ジャックがそれを遮ります。
「腹減っちゃったよお、だろ。腹ごしらえしようぜ」
「気持ちはわかるが、まずは約束を果たそう。食事はそれからだ」

 家の中に入るとよく手入れされた庭があり、きれいな牡丹の花がいくつも咲いています。庭の中ほどには小さな池があり、一人の婦人が佇んでいました。
「ごめんください」
 ベンガが声をかけましたが、婦人は考え事でもしているのでしょうか、ベンガの声が耳に入らないようです。
「ごめんください」
 少し大きな声でベンガが呼びかけると、婦人は我にかえったようにこちらを見ます。淡い花模様のテンチーの服を着た品の良さそうな中年の女性ですが、眼には悲しみが溢れています。

「あら、私ったら考え事していて……あなた方……そう、やっと来て下さったのですね」
 婦人は小さく微笑みます。
「あなた方なら堂々と都に入って来られると思っていました……でも悪いことはしていないのだし、こそこそ隠れる必要なんかありませんものね……ごめんなさいね、こんなところで立ち話だなんて。さあ、中にお入りになって。お茶をご馳走いたしましょう」

 

 タピーたちは婦人について庭を抜けます。タピーは池にいる大きな赤や金の魚がちょっと気になりましたが、婦人の悲しそうな表情の方がもっと気になりました。家の中にはチュンホアの食堂にあったような赤い塗りの卓と椅子が置いてあります。
 ジャックとビーガ以外の皆が席につくと婦人はお手伝いの女の子を呼び、お茶とお菓子の用意をさせます。
「皆様、お腹が空いているでしょうから、お菓子を食べてくださいね」
 婦人はそう言ってタピーを見てにこりと微笑みます。タピーはその微笑につられて自分もにっこり微笑んでしまいます。

「あいさつが遅れました。私はワンマー」
 婦人は皆がお茶とお菓子を終えるのを待って、話し始めます。
「あなた方のお名前は道士より伺っております。ベンガさん、シャンティさん、タピーさん、ジャックさん、そしてビーガさん」
「私たちは峠で『木の上の道士』という不思議なご老人に言われてここに参ったのです。ご婦人が道士様に頼まれたのでしょうか?」
「その通りです。私が道士にお願いいたしました。道士は不思議な方、あなた方のこともあなた方がここを訪れる目的もすべておわかりになっているようです。私はあなた方が到着される日をどんなにか待ち望んだことでしょう」
「失礼ですが、ワンマー様」
 シャンティが尋ねます。
「なぜ私たちを?」
「道士が言われたのです。南より来る神の祝福を受けた旅人がこの窮地をお救いくださると。時間もあまりありません。まずは、今この国の置かれている状況をお知りになっていただきたいのです。少々長い話になりますが」

 

 ――しばらく前に皇帝がお若くしてお亡くなりになりました。世界で一番栄えたテンチー国、法要は何ヶ月にも渡って続き、世界中のあらゆる国から僧侶や道士、それに西の異国の宗教の司祭や神父、様々な人がこの国にやってきました。その中に一人、ダイエントの修験者がいたのです……そう、皆様もご存知のラーゴです。来た当初は怪我でもしていたのでしょうか、特に目立った力を見せるようなことはありませんでした。
 ――ある日のこと、都のはずれに建立中の寺で事故が起こりました。何十人もが石や材木の下敷きになり、ようやく助け出された人たちも虫の息というひどい有様だったようです。そこに偶然、……よく考えれば偶然ではなく事故自体が仕組まれたものだったのかもしれませんが、ラーゴが居合わせたのです。
 ――ラーゴは救い出されたばかりの一人の血まみれの怪我人に駆け寄り、何やら異国の呪文を唱えたところ、手から光のようなものが出始め、それを怪我人に当てたそうです。すると息も絶え絶えだった怪我人の傷がたちまちにふさがり、ぱちりと目を開けたかと思うと、すたすたと歩き出したということです。ラーゴはその後も救い出されてくる人に次々に光を当てていき、悲惨な事故現場はにわかに奇跡の広場へと変貌を遂げたのです。
 ――間もなくラーゴは都に療養所を開きました。一旦療養所の門をくぐるだけで、他の医者も見放した歩くこともできない病人が元気になるなど、奇跡とも言えることが次々と起こったのです。しかも大したお金を取らなかったのですぐに都中の評判となり、連日人が押しかけるようになりました。この評判が宮中にも知れるところとなり、宮中に出入りするようになったのです。
 ――新しい皇帝は先帝の忘れ形見、十五歳のテオ様でした。皇帝とはいえ十五歳の少年、テオ様はたちまちラーゴの話術や不思議な力の虜となられました。どこに行くにもラーゴを連れて行き、何を決めるにもラーゴに相談してといった具合で、先帝の代からの家臣たちが軽んじられ遠ざけられていくのと反対に、宮中でのラーゴの力は日に日に大きくなっていったのです。

「……誤解しないでいただきたいのですが、テオ様は利発な愛に溢れた御子、決して愚かな皇帝ではありません。お父上を亡くされ悲しみに打ちひしがれているところに、あの強大な力を持つラーゴが音もなく忍び寄り、テオ様を操ったのです」
「わかります」
 シャンティがぼそりとつぶやきます。
「どんなに賢い方で民のことを思っていたとしても、ラーゴは反対にその思いを利用してしまうんです」
「その通りです。テオ様はテンチーをお父上の代よりも良い国にしようとされていた、そのためにラーゴの力を借りようとしました。ところがラーゴに心まで操られ、今や『暗黒の皇帝』と呼ばれているのです」
「ワンマー婦人」
 ベンガが尋ねます。
「一体、ラーゴはこの国で何をしているのですか?確かに街を歩けば兵士の数がやたらに多い、夜になれば魔物が現れるという噂も聞いた、けれども他にも何かしていなければ『暗黒の皇帝』とまでは呼ばれないでしょう?」
「皆様、まだ都に入って間もないでしょうけれども、何かお気づきになったことはありませんでしたか?」

 

 しばらくしてタピーが自信なさげに答えます。
「ぼくみたいな子供に全然会わなかったよ。こんなに大きくてにぎやかな街なのに」
「……さすが、タピーさんですね。都の子供たちは片端からどこかにさらわれたまま帰ってこないのです。子供たちが宮城に入っていくのを見た人が大勢いて、皇帝が子供をさらわせているという噂がすっかり広まっています」
「もしかすると『プルカのハープ』が、……ワンマー婦人、その人さらいというのはどんな姿でしょうか?」
 ベンガの声が思わず裏返ります。
「わかりません、それが始まった時には、私はすでに宮中にはおりませんでしたので」
「ワンマー様、今何ておっしゃいました?」
 シャンティが問い質します。
「宮中にいらっしゃったんですか?」
「失礼いたしました。実は私はテオ様の乳母をしておりました。テオ様は可哀相なお方なのです。お母様のお顔も知らず、そしてお父様もいなくなり。私さえしっかりしていれば、こんなことにはならなかったのに」

 ワンマー婦人はさめざめと泣き出します。
「ワンマー婦人、ご自分を責めてはいけません。ラーゴは恐ろしい奴なのです」
 ベンガが婦人を慰めます。
「ねえ、早くこの国を助けようよ。ジャックもビーガも、もう話はいいよって顔してるもん、行こう、行こう」
 タピーが大きな声で言います。
「こら、こら」
 とうとうジャックが会話に入ってきますが、婦人がいるのを忘れ人間の言葉で話してしまいます。
「行こうったって、どこに行くつもりだよ」
「それはさあ、ラーゴのいるお城に決まってるじゃないか。今度こそ、ベンガがやっつけてくれるよ」
 泣いていた婦人はいつの間にか、この会話に聞き入っています。ベンガがあわてて説明します。
「ワンマー婦人、彼は、あの鳥はですね……」
「ジャックさんが人間の言葉を、タピーさんが動物の言葉を話されても驚きません。世界を救う旅をされてきた皆様であれば不思議ではないでしょうから」
「それなら話が早いよ」
 タピーは大喜びです。
「さあ、ビーガも言いたいことあったら言って、言って」
「落ち着け、タピー。今回は今までと違うぞ」
 ベンガははしゃぐタピーをなだめます。

 

「まず兵士の数、いくら私とビーガでも相手にできる人数には限界がある。いかに兵士たちとの争いを避けながら宮中に向かうかを考えなければならない。無事にたどり着いたとしても宮中はあまりにも広いだろう。目当てのラーゴのいる場所にすぐに行けるとは思えない。次にさらわれた子供たち、子供たちがどこにいるのか、それがわからないうちは軽はずみな行動は慎まないといけない。さらにネーテケがラーゴと組んで何をしているのか。そして最後に都に出るという魔物だ。一体その魔物は何か……どうもいやな予感がしてならない」
「ベンガでもわからないことだらけなんだね。困ったねえ」
「まず兵士のことだけど……」
 シャンティは自分の考えを整理します。
「さすがにラーゴでも何千っていう数の人間を一度に操ることは無理じゃないかしら?もしそれができるんだったら、平原の戦の時もそうしたはずでしょ?ラーゴが実際に操っているのはテオ様だけで、さっきみたいに私たちを捕まえるお触れを出させたりして兵士たちを動かしてるんじゃないの?」
「さっきもしつこく追いかけて来なかったしな……兵士たちは普段通りということか。となると、やはり兵士がいなくなる夜に行動をした方がよいのかもしれんな」
 ベンガは納得したようです。

「ワンマー様、宮城はどのくらいの広さがあるのでしょうか?」
「さあ、正確には……テオ様がまだお小さかった頃に宮中で『かくれんぼ』をして遊んだことがありました。万が一のことがあってはと、文官から地図をいただいたのですが、それがまだ手元に残っていると思います……ただ、テンチーは何百年に渡って続く国、過去の皇帝が隠し部屋を作ったり、地下の抜け道を作ったりで地図の通りにはなっていないのでは……」
「地図があるのは助かります」

 地図を取りに奥に引っ込む婦人の背中にベンガが言います。
「次にネーテケのことだが、ジャック、ネーテケとはどんな姿をしているんだ?」
「おいらたちはほとんど年取らないんだけど、ネーテケも見た目は子供だなあ。こう、髪の毛が真っ赤で針みたいに突っ立っててな、元気な奴だよ。まあ、今都に残ってる子供は、タピーちゃん含めて何人もいねえんだろ、会えばすぐにわかるって」
「よし……ワンマー婦人」

 ベンガは地図を手に戻ってきたワンマー婦人に都の門で聞いた魔物の話をします。
「心当たりはありませんか?」
「都を騒がせている魔物の話は聞いたことがございます……何でも夜になると都の大通りに表情のない不気味な兵士たちが現れるのだそうです……これをご覧になってくださいませんか?」
 婦人はやや緊張した面持ちで、地図と一緒に持ってきたものを見せます。婦人の手のひらの上には、土を焼いて作ったと思われる小さな兵士の像が乗っかっています
「かつては皇帝たちがお亡くなりになった時にお一人では淋しかろうということで、一族や家臣も生きたまま埋葬されていたらしいです。いつ頃からかその代わりに、といってもこんな小さいものではなく、人間と同じ大きさの土の像を何百体と作り、それを皇帝の墓所に一緒に埋葬するようになったと聞いたことがありますわ」
「するとワンマー婦人はその土の兵士が都に現れたと?」
「そんな話、普通はありえないのですが、ラーゴの魔力があれば……なんて思ってしまいました」
「土の兵隊かい。そんなのベンガとビーガにかかりゃあいちころだろ。心配しすぎなんじゃねえの?」
「そうだよ、早く宮中に行こうよ」
 タピーは今にも出発しそうな勢いです。
「そうあわてるな。さらわれた子供たちがどこに行ったのか、これが一番難しい問題だ。……いやな予感がするのだ。土の兵士はただの土くれではなく、さらわれた子供たちと関係があるのではないか……」

 

 その後も夕方遅くまで、タピーたちはワンマー婦人の家でさらわれた子供たちを助け出し、宮中に忍び込みラーゴを退治する作戦を話し合います。途中で飽きたタピーは庭に散歩に出て、池の珍しい魚を覗き込んでいます。

「鯉がお好きなの?」
 突然背後から話しかけられたタピーはあわてて池に落ちそうになります。
「これ、コイって言うの?」
 振り向けばそこには婦人が立っています。
「ええ、そうですよ。テオ様も鯉が大好きだった。今のあなたと同じように落ちるんじゃないか、と思うくらいご熱心に池を覗き込んでおられた」
 婦人は池のふちでタピーと一緒にしゃがみこみます。
「それにしても、タピーさんを見ているとテオ様を思い出します。疑うことを知らない、まっすぐな瞳。背格好もあなたとちょうど同じくらいでしたわ」

「……ワンマー叔母さん、テオだけじゃないんだ」
 不思議そうな表情の婦人にタピーは言います。
「ぼくは母さんの顔だけじゃなく父さんの顔も知らないんだ。母さんはぼくを生むとすぐに、父さんはそのもっと前に死んじゃったんだって」
「……まあ、何てこと」
 婦人の表情は曇ります。
「私ったら、気がつかないで」
「ううん、いいんだ。心配してくれる人がいるテオはしあわせだよ。でもね……」
 タピーは迷った末に続けます。
「同じようにさらわれた子供たちを心配している人はもっとたくさんいるんだって考えるとさ」
 婦人はしばらく考えを巡らせているようでしたが、やがてきっぱりと言います。
「タピーさん、私、間違っておりました。自分にははなから無理だと思い込み、あなたたちに任せっきりにして逃げていました。本当にテオ様のことが心配なら、私も戦うべきだったんですね」

 

 なかなか良い手が浮かばずベンガたちが思案しているところに、晴れ晴れとした表情のタピーとワンマー婦人が戻ってきます。
「みんな、聞いてよ。さらわれた子供たちを助ける方法を考えついたよ」
 タピーは傍らの婦人と目を合わせると、にこりと微笑みます。
「まず、ぼくがテンチーの子供に変装してワンマー叔母さんと街に出るんだ。そうすると悪い人がぼくをさらいに来る。そしたら、ぼくと叔母さんはとにかく逃げ回るから……だいじょぶ、叔母さんはこの都を隅から隅まで知ってるから、絶対に逃げられるって……その間にジャックとシャンティには悪い人がどこから出てくるかをつきとめてほしいんだ……で場所がわかったところをベンガとビーガでえい!ってやっつけるんだ。うまくすれば捕まってる子供たちを助けられるでしょ」
「ワンマー婦人にそんな危険な真似をさせるわけにはいきませんよ」
「……私、間違っておりました。皆様が闘おうとしているのに、私だけ眺めているわけにはまいりません……私もテオ様をお救いしたいのです」
「でもよタピー。人さらいがハープを持ったネーテケだったらどうすんだ?それに人さらいのところに子供たちがいなかったら、そん時は?」
「もしもネーテケが人さらいだったらジャックの出番だよ。何とか説得してよ。
子供たちが見つからなかった時はねえ……ぼくがさらわれた子供、みんなは人さらいのふりをして一緒に宮中に入ればいいじゃない?」
「かーっ、そんなにうまくいくもんかよ」
「……危険な作戦だが、確かにネーテケなり人さらいなりを締め上げて色々と聞く必要はあるようだな」
 ベンガは言います。
「今日はもう遅い。明日、決行しよう」

 

 その晩、タピーたちはワンマー婦人の心尽くしの手料理を楽しみます。婦人は会った時に見せていた悲しげな表情はもうしていません。
「シャンティさん、あなたに差し上げたいものがあるんですけど」
 婦人とシャンティは奥に引っ込みます。
 しばらくして婦人と一緒に出てきたシャンティは、赤い牡丹の花模様のテンチーの服に身を包んでいます。
「えへへ。いつもチュンホアが着てるのをうらやましく思っていたのよ」
「明日からはきっと汚い格好をしないとだめでしょうから」
 婦人はそう言ってにこにこ笑います。
「それから、タピーさんもこちらに」
 奥から出てきたタピーはやはりテンチーの服を着ていますが、その服は見るからに高価そうな純白の生地に大きな金色の龍の縫い取りがついています。
「この服はテオ様のものです。思い出にと取っておきましたが今タピーさんに着ていただくとぴったり。……本当にタピーさんとテオ様はよく似ておられるわ」
「ねえ、タピー」
 きれいなテンチーの服のシャンティがあっけにとられています。
「その服、普通の人は触ることすら許されないって聞いたことあるわよ。あなた、大変なことしてるのよ」
「何言ってるの、シャンティ」
 タピーはおかしくてたまらないようです。
「ぼくだって魔王の子供だよ。普通じゃあないよ」
「あきれた奴らだ」
 ベンガはため息をつきます。
「明日から戦いだというのに緊張感のない……」

 

 翌朝、都の四方の門がぎぎぃという音を響き渡らせて開きます。タピーたちはすっかりテンチーの人の格好に変装しています。
「ねえ、ちょっとちょっと」
 シャンティが不満そうです。
「何でこんな汚い格好しなくちゃいけないわけ?」
 シャンティの格好はまるでぼろをまとっているようです。
 ジャックも続きます。
「おいらだって何で毛繕いした羽を汚さなきゃならねえんだよ」
「シャンティ、ジャック」
 ベンガは落ち着いて言います。
「お前たちの役目は人さらいのねぐらを探すことだ。決して気づかれてはならない重要な役目だからこそ目立たない汚い格好をしてもらっているんだ。逆にワンマー婦人とタピーにはある程度目立ってもらわないと困るので小ざっぱりとした格好をしていただいている」
「そう言うベンガはどうなんだよ。いつもと変わんねえじゃねえか」
 ジャックは面白くなさそうです。
「私か……私は、動きやすさ、だな」
 ベンガは大真面目な顔で言います。

 

 タピーとワンマー婦人は本物の親子のように連れ立って歩き出します。
「では、タピーさん、初めは都で一番にぎやかな辻に行きましょう」

 タピーと婦人は人の出入りの多い宿屋の前に人待ち顔で立ちます。少し遠くでぼろぼろの格好のシャンティが、空からは真っ黒なジャックが見張っています。ベンガとビーガは大通りから離れた人のあまり通らない細い路地の陰で待機しています。
 しばらくすると目つきの悪い一人の遊び人風の男が通りかかって、タピーを見かけてどこかに走っていきます。それに気づいたジャックがシャンティに合図をして空から男をつけていきます。
 やがて男は四、五人のこれも目つきの悪い男と一緒に戻ってきます。シャンティがタピーたちの方に歩いてきて、すれ違いざまに囁きます。
「来るわよ」

 それを合図にタピーと婦人は移動を開始します。目つきの悪い男たちは人通りの少ない場所で行動を開始するつもりでしょう、微妙な距離を保って後をつけてきます。
「タピーさん、何だかどきどきしますわ」
 婦人は前方を見つめたまま小声で言います。
「こんな冒険初めてです」
「ぼくだって初めてだよ、とにかくベンガたちのところまでは捕まらずに行かなきゃ、それだけしか考えらんないよ」
だんだんと人通りの少ない路地のほうへとタピーたちは進んでゆきます。男たちは少しずつ距離を詰めてきているのかもしれませんが振り向くわけにはいきません。
「……この角を曲がったら」
 婦人がほとんど聞き取れない声で言います。
「走るわよ、それ!」
 それから先は婦人に言われるままに角を曲がり、横道に入り、広場を抜け、タピーはもうどこをどう走っているのか見当もつきません。追いかけてくる男たちの怒鳴り声や足音は後ろの方から絶え間なく聞こえてきます。

 ついにタピーたちはベンガたちが待ち伏せている袋小路になっている路地に到着し、その中ほどで立ち止まります。五人の男たちがにやにや笑いながら路地に入ってきます。
「逃げたって無駄だよ。ぼうや」
 一人の男が近づいてきます。
「おとなしくつかまりな」
 タピーは男たちの背後でベンガの大きな影が立ち上がるのを見ました。するとタピーたちの背後で息を殺して待ち構えていたビーガが目にも止まらぬ速さで先頭の男に飛び掛ります。ビーガはたちまちに三人の男を倒します。
「わあ、トラだ!」
 背中を向けて逃げようとした残りの二人は、待っていたベンガにあっけなく打ち倒されてしまいます。
「まずは五人」
 気絶している男たちを縄で縛りながらベンガが言います。
「ワンマー婦人、危険な目には遭わなかったですか?」
「ええ、平気です。さあ、もう一回行きましょう」
 そこにジャックが飛んできます。
「今はシャンティが見張ってるけど、人さらいのねぐらにはあと十数人いるらしいってよ」
「十数人なら直接乗り込んでもいいが……まずはこいつらに聞いてみるか」

 ベンガは一人の男の頬を軽くはたいて目を覚まさせます。
「おい、お前、質問に答えろ、ねぐらにさらわれた子供たちはいるのか?」
目を覚ました男は震えながら首を横に振ります。
「いねえよ。さらったらすぐに人が来て『船着場』に連れてっちまうからあそこにはいねえ……『船着場』がどこにあるかなんておれは知らねえよ」
「『船着場』か……何のことだろう。都に川など流れていないと思うが、ワンマー婦人、何かご存知ですか?」
婦人も心当たりはないようです。ベンガは目を覚ました男に当て身をしてもう一度男を気絶させると、タピーとジャックとワンマー婦人に話しかけます。

 

「どうします?『船着場』を探しますか、それとももう少し情報を集めますか?」
「今は都の西でしたから次は北の大路に立ちます」
 婦人はきっぱりと言います。
「タピーさん、疲れてないですよね」
「ではそうしましょう。ジャック、次は北に行くぞ。それからシャンティに『船着場』を探すように言っておいてくれ」
 先ほどと同じようにタピーたちは北の大路から人さらいたちを誘い出します。先ほどとは違う人通りのない行き止まりの路地まで来ると、ベンガとビーガが男たちを倒し色々と質問しますがあまり役に立つ情報はないようです。
「うーむ、やはり『船着場』か、どこだろう」
 ベンガは首をかしげます。
「さらった子供たちを堂々と正面から城内に運び込むわけにもいかないようだ。抜け道でもあるのだろうか?」
「……抜け道……」
「ワンマー婦人、何か心当たりでも?」
「……いえ……以前そのような話を聞いたことがあったものですから」
「なるほど、さて、この後どうしたものか」
「ベンガさん、今度は南の市場に行ってもよろしいでしょうか?」
「構いませんがそろそろ相手も疑い出す頃です。十分に気をつけて」

 

 タピーたちはこの日三度目の誘い出しで南の賑やかな市場の前に立ちます。そろそろ太陽も西に傾きかけています。
 またしても人さらいらしき男たちが四、五人と現れます。タピーと婦人は例によって人通りの少ない方へと歩き出します。
 ある四つ角まで行った時、タピーたちは前方からも人さらいらしき男たちがやってくるのを見つけます。
「ありゃあ、はさまれちゃった」
 タピーが困ったような声を上げます。
「大丈夫ですよ、左に折れたら、またすぐに左に。道とは思えないような細い道がありますから、まずはそこへ」
 婦人の言葉に従って左に曲がるとすぐに左の道に飛び込みます。タピーたちの目の前を後ろからの五人と前からの五人、合わせて十人が通り過ぎていくのが見えます。
「ふう、行ったみたいだね、びっくりしたよ」
「まだですよ。元の道に戻ってベンガさんのところにたどり着かないと。人さらいはまだこの辺をうろうろしているでしょうから」

 果たしてタピーたちがそぉっと元の道に戻り歩き出すと、背後で「いたぞ!」という声がします。タピーたちはあわてて走り出しますが角を曲がると人さらいに出くわし、路地に入れば人さらいに見つかり、だんだんと行くところがなくなってきます。
「タピーさん、とりあえずそこのお寺のお堂の中に隠れましょう」
 婦人はさびしい道の荒れ寺のお堂にタピーを引き込みます。
 外では人さらいたちが声を上げています。
「いたか?」
「いや、こっちにはいない」
 道行く人にも尋ねているようです。
「おい、お前、子供を見なかったか?」
 尋ねられた人は答えます。
「ああ、見たよ。でもここでじゃあねえ。もっと東の方に逃げてったぞ」

 

 しんと静まり返った外の気配を確かめ、タピーとワンマー婦人はこわごわお堂から外に出ます。そこには先ほど嘘の受け答えをした男の人が立っていました。
「おじさん」
 タピーがすっとんきょうな声を出します。
「都の門の外にいたおじさんだよね?」
「何だ、サーカスのぼうずか」
 ひげもじゃの男は笑います。
「いやな、朝っぱらから面白えことやってる親子連れがいるってうわさになっててよ。そんな面白えことなら、おれも参加させてもらいてえってわけでな、そしたらあんたたちがあわててお堂に駆け込むのが見えた。おれたちもあの目つきの悪い奴らは大っきれえだからよ、ざまあみろってんだ」
「本当に、助けていただいてありがとうございます」
「でもよ、あんたらだいぶ疲れてんじゃねえか。休んだほうがいいぜ。……何だと、やっぱりあいつらが子供たちをさらった人さらいか。そいつは捨てちゃおけねえ。協力するぜ。あいつらやっつけんだろ。このへんにゃ仲間もたくさんいるからわけねえぜ」
「だったらね、このだいぶ先に細い行き止まりの路地があるんだけど、そこに人さらいを誘い出してほしいんだ。後は、ほら、ぼくと一緒にいた大きな人とトラが、がつーんて」
「わっはっは。そりゃ傑作だ。早速みんなに声かけておっ始めるよ。あんたらはのんびり路地まで来てくれりゃいいから。わっはっは、こいつはいいや」

 

 男の言葉通りタピーとワンマー婦人がゆっくり歩いてベンガたちの元へと向かうと、そこではベンガとビーガが信じられないといった顔で立っています。
「タピー、どういうことだ。こいつら、お前たちもいないのに勝手にここに飛び込んできたぞ」
 タピーが訳を話すとベンガは驚きます。
「危機一髪だったな。……そう言えばジャックが来て、空き家になった人さらいのねぐらにシャンティが忍び込んだがやはり子供たちはいなかったらしいということだ」
「で、ジャックはどこ?」
「もう少しシャンティと『船着場』を探すと言っていた」
「人さらいとの追いかけっこは終わりだね?」
「ああ、全員縛り上げたしな。私とビーガは……夜になると現れるという魔物の正体を確かめてみようと思う。タピーはどうする?」
「……私たちでしたら、疲れたので家で少し休憩いたします。その後は『船着場』探しに参加いたしますわ」
タピーが何か言おうとする前に婦人が先に言ってしまいます。
「そうですか……ワンマー婦人、なにとぞ、これ以上危険な真似はなさらないでください」

 タピーとワンマー婦人は夕闇の都に消えていくベンガとビーガを見送ります。
「おばさん、本当に家に戻るの?」
「いえ、戻りません。先ほどベンガさんが宮中への抜け道と言った時に思い出したんです。確かこの近くに抜け道があったことを。私はそこから宮城に入ります。そしてこの悲劇を終わらせます」
「わーい、もちろんぼくも行くよ。ね、いいよね?」
「タピーさん、あなたみたいな勇気ある人が一緒だと心強いわ。さあ、急ぎましょう」

 

 月夜の下、タピーとワンマー婦人は誰も人が住んでいない荒れ果てた場所に着きます。
「確かあの屋敷の中に入り口があったはずですわ」
 タピーたちはぼろぼろに朽ち果てた屋敷跡に入っていきます。
「この中です」
 婦人はレンガでふさがれた、ほこりまみれの大きなかまどを指差します。

 タピーと婦人がむせかえりながら苦労してレンガを取り除くと、そこには人一人がやっと通れそうな黒い穴がぽっかりと広がっています。
 タピーたちは真っ暗なかまどの穴に潜り込んでいきます。最初は腹ばいでないと進めないほど狭い穴でしたが、進むにつれ天井が高くなっていき、やがて立って歩けるようになります。
「何てことかしら。タピーさん、私、灯りを忘れてしまってこれ以上は進めませんわ」
「だいじょぶだよ、叔母さん、ぼく暗くても目が見えるから手を引いてあげる。道が分かれてたりしたらそのたびに聞くからね」
 タピーは婦人の手を取りすいすいと歩いていきます。

 

 宮中の大広間の玉座に座しているのは虚ろな目をした少年、皇帝テオです。その傍らには赤い仮面の男、ラーゴが立っています。さらにその脇にはもう一人真っ赤な髪の毛を針のように逆立てた少年がいます。赤い髪の毛の少年はラーゴに話しかけます。
「ねえ、親分、そろそろ教えてくださいよお。おいらだって一生懸命働いてんだから」
 ラーゴはちらっと少年を見てから口を開きます。
「何が一生懸命働いているだ。お前にはもう少し期待していたのだ。その『プルカのハープ』を弾いて、子供たちを思いのままに操れるかと思ったがそれはできない。結局、人さらいを雇わねばならなくなった。ならば、そのハープでさらってきた子供たちの魂を抜き出すくらいの芸当はできると思っていたのだがそれも無理。子供たちを眠らすことしかできんとは……」
「そうは言いますけどね」
 ネーテケは口をとがらせます。
「このハープは神にだって扱えない代物なんですから、おいらなんかに扱えるわけないでしょ」
「ふっふっふっ、使いこなせていれば今頃は神になっているか……だが最近、神と同じような力を持つ人間や動物に会ったぞ。こしゃくな奴らだが認めんわけにはいかん」
「でもおいらのハープのおかげで親分だって少しは魂を抜き出しやすくなってるでしょ?」
「まあな。わし一人の力で五百人近くの子供の魂を抜き出し、さらにその魂をわしの魔力で練り上げた土の像に封じ込めるとなると、一体どのくらいの時間がかかったかわからん……そういう意味ではお前も役に立っているのかもしれん」
「でしょ……それより親分、早く教えてくださいよお」
「ふふふ、では教えてやろう。今子供は何人いる?」
「ええと、昨日で四百九十八人っす」
「あと二人子供がいればちょうど五百人だ。この意味がわかるか?わしの魔力を込めた五百の像の中に一つずつ子供たちの魂を入れていく。これが完成した時、わしに忠実な世界最強の軍団ができあがる。わしはこの兵士を使って『世界の王』になることができるのだ」
「へえー」
 ネーテケはあまり意味がわかっていないようです。

「じゃあ、あと二人、早いとこ連れてきて、ぱっぱとやっちまいましょうよ」
「愚か者め。わしがこの五百体分の土くれに魔力を注ぎ込むのにどれだけ苦労したと思う。ましてや生きた子供の魂を埋め込むとなれば簡単なことではない……ただな、あとの二人はもうすでに決まっておる。四百九十九人目はこのテオ。そして五百人目は……」
「えっ、おいらじゃないですよね。おいら子供に見えるけど妖精なんで年寄りっす」
「安心しろ、お前ではない。かつてダイエントでも幾度となく試したが、大人ではだめだった。わしの力を受け止め切れずに、結局は暴走してしまうのだ。子供でなくてはわしの忠実な僕にはならん。まあ、五百人目のそいつは人間ではないがな……わしと弟を痛い目に合わせたあの子供、五百人目はあいつと決めておる」
 ラーゴは自分の言葉に酔いしれているようですが、やがて我に返ります。
「ところでネーテケ、そろそろ訓練の時間だ。早く都に出てわしの像を動かす練習をしろ……お前、同時に何人まで動かせるようになった?」
「今、十五人っす」
 ネーテケは屈託のない笑顔を見せます。
「とにかく百人は自由自在に動かせるようになれ。そうすればお前はわしの片腕として将軍に取り立ててやる、早く行け」

 ネーテケを追い払ったラーゴは大きなため息をつき脇腹を押さえます。
「ふぅ、さすがにきついな。あのトラから受けた傷も痛む。今、戦えばもしやということがあるかもしれん。……何だ、テオ。まだそこにいたのか。役立たずは、とっとと自分の部屋に戻るがよい」
テオは操り人形のように自分の部屋に戻っていきます。ラーゴはその後姿を見てにやりと笑います。

 

 ネーテケは夜中の都の大通りに出ます。魔物を恐れて出歩いている人もいません。
「よっしゃ、今日は思い切って二十人に挑戦だ。像よ、出るがよい!」
 ネーテケが声を上げると地面からわらわらと二十体の土の兵士像が出てきます。
「これから街を走り回れ。人がいれば容赦なく打ち倒していいぞ。時間は今より夜明け前まで、では、行けい!」
 兵士たちを送り出したネーテケはすることもなくなったので、空に飛び上がり、そのまま空中で居眠りを始めます。

 

 そこに、月の光を頼りに『船着場』を探すジャックが通りかかります。ジャックは目の前に何かがいるのに気づき目をこらします。
「何だ、ありゃ。……あー、ありゃあネーテケじゃねえか。あの野郎、とうとう見つけた。よおし、見てろよ」
 ジャックは空中で寝ているネーテケの針のようにとがった頭を二回、三回とくちばしでつつきます。
「いて、いて、いってえなあ、何だよ……何だ、このカラス」
「はははは、ネーテケ、おいらだ」
 ジャックは誇らしげに言いますが、自分が鳥の姿だったことに気づきます。
「何だ、このカラス、おいらの名前を知ってるなんて怪しいな。捕まえてやる」

 こうして空中で追いかけっこが始まります。
「わあ、こりゃまずい。早いとこ、ベンガかビーガに助けてもらわなきゃ」
 ジャックはそこいら中を飛び回りベンガとビーガの姿を探しますが、何しろ広い都のことです、なかなか出会うことができません。
「こうなったら自分の力で何とかしないと……ひゃあー!」

 ジャックは一軒の空き家に飛び込むと、奥に置いてある酒樽の陰に身を潜めます。
 間もなくネーテケが入ってきます。
「へっへっへ、もう逃げらんねえよ。焼き鳥にでもしてやっから」
 酒樽の陰のジャックは目をつぶり一心に祈ります。
「ああ、ラーラワティ様、おいらに、おいらに力を与えてください」
 ついにネーテケは酒樽の前に立ちます。
「さあ、鳥ちゃん、出ておいで。出てこなきゃ、こっちから行くぞ」

 次の瞬間、酒樽の陰から現れたのは妖精の姿に戻ったジャックです。目の前に立ちはだかるジャックを見たネーテケは思わず飛び上がります。
「あー、お前はジャック・パイパー!……何でこんなところに」
 ジャックは問答無用でネーテケの横っ面を思い切りはたきます。
「あいたー!」
 倒れこむネーテケに馬乗りになって、ジャックは何度も何度もネーテケをぽかぽか殴ります。
「参った、参った。降参するよ。ジャック、もう許してくれよ」
「だめだ、お前のいたずらのせいで何人の人が迷惑をこうむったと思ってるんだ。こんなところにいないで、早く『妖精の国』に帰れ」
「そりゃあ無理だよ……おいらもう『妖精の国』には戻れねえよ。『火焔花』を植えて国をめちゃくちゃにしちまったんだ」
「それはおいらたちが元に戻しておいた。ルバ様も怒っちゃいない。こちとら、お前を助け出してきてくれってルバ様に頼まれてきたんだ」
「……ジャック、そりゃ本当かい。本当に怒っちゃいねえのかい?」
「ああ、本当だ。うそなんかつかねえよ。もうラーゴとつるむのは止めろ」
「……うん、わかったよ。今から帰る」

 馬乗りになったジャックが離れるとネーテケはしおらしく立ち上がります。
「あ、そうだ、これ、ジャックからルバ様に返しといてくれよ」
 ネーテケの手には『プルカのハープ』が握られています。
「……わかったよ、おいらからルバ様に渡しておく……ところでお前、このハープは弾けたのか?」
「……おいらには無理だったよ。子供が眠っただけだった」
「……プルカはすげえ妖精なんだな」
「じゃあね、ジャック」
「……待てよ、ネーテケ。まだ聞きてえことがあんだよ」
 ジャックはうなだれているネーテケとしばらくひそひそ話をし、やがてネーテケは去っていきます
「これでネーテケは片付いた……たまにはこの体もいいもんだな。しばらくこのままでいるか」
 ジャックはネーテケから聞いた『船着場』の場所をシャンティに教えるため、意気揚々と都の大通りに戻っていきます。

 

 都の大通りで魔物を探していたベンガとビーガはかすかな気配に気づきます。「父さん、通りの向こうから何かが来ますよ」
「うむ、魔物かもしれんな。気をつけろ」
 通りの向こうから走ってきたのはネーテケが指示を出した二十体の像ですが、どこか動きがぎこちないようです。
「あれが魔物に違いない。ビーガ、行くぞ」
 ベンガとビーガはものすごい勢いで像に体当たりをします。

 ぐわしゃーん

 像はもろくも崩れ落ちます。
「何だこれは、ただの張りぼてだ」
 あっという間にベンガたちは二十体の像を破壊していきました。
「こんな弱々しい魔物を使うとは、ラーゴも腕が鈍ったか」

 

 ラーゴは宮中で気配を察知し、体をびくりと震わせます。
「ん、封じ込めた力の一部が大気に流れておる。さてはネーテケがしくじった……いや、一時にこんなに多く漏れ出るものではない……とすると破壊された……奴らが来たのか。ではわし自ら出迎えてやろう。百体の像よ、地中より出でて破壊者を倒せ!」

 

 大通りにいるベンガとビーガはまたしてもただならぬ気配を察します。
「ビーガ、また来るぞ。今度はさっきよりも手強そうだ、気を抜くなよ」
 ベンガたちが注意深く構えていると、足元の地面が突然に盛り上がり何体かの像が地上から飛び出してきます。かろうじて踏みとどまったビーガは一体の像に前足を伸ばしますが、像の動きは思ったより早く攻撃はかわされてしまいます。足をすくわれたベンガは倒れこみその上に二体、三体の像が踊りかかります。
「父さん!」
 ビーガはベンガを助けに向かおうとしますが数体の像が行く手を阻みます。ビーガは像の胸倉に飛びかかると見せかけて足元に体当たりをすると、がらがらと音を立てて像は崩れ落ちます。
「父さん、こいつら足元が弱点みたいです」
 数体の像に押さえ込まれたベンガはありったけの力を出すと像を跳ね飛ばします。
「よし、ビーガ、それさえわかれば大したことはない」
 そう言いながら起き上がった像の足元に強烈なタックルをかまします。こうして多少はてこずりましたが百体の像を全て倒します。

 ベンガとビーガが肩で息をしていると、またしても遠くで大きな足音がします。目をこらすと通りの四方からそれぞれ五十体以上の像が走ってくるのが見えます。
「一体、何体の像がいるんだ、これではきりがないですよ」
 ビーガが言います。
「こうしていても疲れるだけだ。思い切って敵の懐に飛び込むぞ」
 ベンガとビーガはこうこうと都を照らす月の光の中を宮城に向かい走り出します。

 

 タピーたちはまったく移動していないのではないか、と錯覚してしまう暗がりの中を進みます。どのくらいの間歩いたでしょうか、ようやく針の穴のような小さな光が見えてきます。
「あ、光だよ」
「タピーさん、あの先の石を動かせば宮中の庭に出ます。そこからは私が案内しますわ」
 二人で力を合わせて大きな石を動かし穴から這い出すと、そこは月光に照らされたこの世のものとは思えない景色の広い庭園です。
「わっ!」
 大声を出しかけたタピーの口をワンマー婦人はあわてて手で押さえ、辺りを見回した後タピーの手を引いて小走りで宮中に向かいます。
 タピーたちは誰にも見とがめられることなく立派に飾り立てられた部屋の前まで来ます。
「ここがテオ様のお部屋です。入りましょう」

 

 部屋の寝台に横たわっているのは、まるでろう人形のように青ざめた顔の一人の少年です。
「ああ、テオ様、お労しや、このようにやつれて」
 嘆く婦人を制してタピーがテオの前に立ちます。
「ぼくがテオを助けるよ……テオの夢の中に入って正気に戻すんだ」

 タピーは精神を集中させ始めます。間もなくテオの口から湧き出す霧にタピーの体は包まれます。
 ワンマー婦人は、はらはらしてテオとその口から出ている霧を見ています。やがて霧は晴れていきそこにはタピーが元通り立っています。
「叔母さん、テオを見てごらんよ」
 婦人が横たわるテオを覗き込むと、そこには涙を流し嗚咽するテオの姿がありました。
「テオ様、テオ様、ご無事でしたか?」
 婦人がそう言うとテオはゆっくりと目を開けます。
「お前は、ワンマー……余は何をしていたのだろうか。赤い仮面の男に不思議な術をかけられたが、たった今、獏が現れて黒い闇のようなものを払ってくれた……それ以外は何も思いだせん……ん、お主は?」
 テオは泣いている婦人の傍らで微笑むタピーに気づいて尋ねます。
「ぼくはタピー、テオはずっと夢を、悪い夢を見てたんだよ」
 タピーは言います。
「おお、お主、余の夢に現れた獏であろう。余にはわかる。お主が余を夢から覚ましてくれたのだな?」
「さすがだね、ぼくの本当の姿がわかるなんて」
 タピーは嬉しそうです。
「あ、そんなことより、早くここから逃げなきゃ」
「余は皇帝なるぞ。皇帝が宮城から逃げ出すことなどできるわけがないであろう」
「ちぇ、しょうがないなあ。それじゃあ絶対ここを動いちゃあだめだよ」
 見た目は大して変わらないくせに、タピーはテオに対して兄のように振舞います。
「あのね、今このお城は大変なことになってるんだ。もしかすると、これからすごい戦いになるかもしれない。だからテオは叔母さんとここにいてよ」

 タピーは部屋を出て行こうとして戻ってきます。
「いっけね、大事なこと聞き忘れちゃった。このお城にたくさんの子供たちを置いておけるような場所ってある?」
「何のことだ、そのたくさんの子供たちとは?余には訳がわからんぞ」
「たくさんとはおよそ五百人の子供たちでございます」
 婦人が答えます。
「何、五百人も、……うーむ、そうなると『港』しかないな」
「えっ、港があるの?それどこさ、急いで行かなくちゃ」
「城内が初めてのお方には無理です。タピーさん、私もご一緒いたします」
「ワンマー、お前でも無理だ。場所を知っているのは余だけである。タピーとやら、余も行くぞ。道々聞きたいこともあるからな」

 

 ラーゴは宮中の大広間で荒い息をついています。
「……ふふふ、さすがはトラだ。わしの像をすべて破壊するとはな。……まあよい、奴らを倒した後にまた時間をかけて作ればよいだけのこと。それにしても、ネーテケも帰ってこないとは、大方奴らに倒されでもしたか。あの役立たずめ」
 ラーゴは大広間をゆっくりと歩き回ります。
「いよいよわしが手を下すか。わしの体に癒えぬ傷をつけたあのトラはいずれ消さねばならん邪魔者だ。傷が痛む上にだいぶ力を使ったが、『神の祝福』を受けていないトラに負けることなど万が一にもあるまい……では開門といくか」

 

 宮城のすぐそばで延々と湧き出す像を倒し続けていたベンガとビーガの目の前で、突然城門が音もなく開きます。
「父さん、これは?」
「ああ、ラーゴが呼んでいる。いよいよ決着をつける時が来たぞ!」

 

 タピー、テオ、ワンマー婦人は宮中の『港』に向かいます。テオを先頭に人気のない長い廊下を歩きます。テオが廊下を赤々と照らす燭台の一つに手を触れると、反対側の壁に大きな穴が開き下りの階段が現れます。
「ここを降りていくと『港』に着く。さて、ワンマー、タピー、聞きたいことがある。なぜたくさんの子供たちが宮中におるのだ?」
 適当な言葉を探しているワンマー婦人よりも先にタピーが答えます。
「赤い仮面をつけたラーゴがテオをだましたんだ。それでテオはずっと眠りについた。その間にラーゴが都の子供たちをさらってきたんだ」
「それは誠であろうな。……確かにラーゴという名は聞き覚えがあるような。……にしても何の目的でそんなにたくさんの子供たちを?」
「知らないよ、そんなの。ラーゴに聞いてみないとわかんないよ」
「都の民は余の仕業と思っているであろうな。余は歴史に名を残す暗愚な皇帝となってしまったな」
 テオは淋しげに肩を落とします。
「めんどくさいなあ」
 タピーは階段を降りていくテオの背中に言います。
「これからいい王様になればいいじゃないか。ぜんぜん遅くなんかないよ」
「誠にそう思うか?」
 振り向いたテオの顔には希望が浮かんでいます。
「余は良い皇帝になれるであろうか?」
「だいじょぶだよ。でもまずは子供たちを助け出さないとね」

 タピーたちは階段を降りきって、がらんとした広場に出ました。広場のすぐそばを水路が流れています。
「ここが『港』だ」
 テオが言います。
「五百人の子供たちが捕らわれているとなると、おそらくこの先の倉庫に違いない」 
 倉庫に向かって歩きながらタピーが驚きの声を上げます。
「へえ、びっくりしたあ。地下に水が流れてるなんて」
 テオはこともなげに言います。
「代々の皇帝の中には迷路のような地下道を作ったり、このような大水路を作ったり、様々な方がいらっしゃったのだ」
 力を合わせて倉庫の重い扉を開けると、予想通りそこには五百人近くの子供たちが捕らわれていました。像が壊されたせいか、子供たちの魂は元の体に戻っているようです。

 あ然として立ち尽くすテオの耳元でタピーが囁きます。
「さあ、テオ、いい皇帝だってところ見せなきゃ」
「皆の者、余はテオ。この国の皇帝である。この度は余の力不足で皆に恐ろしい思いをさせてしまった……すまない、許してくれ」
「天子様だ、天子様が助けに来てくださった」
 一人の少年が他の子供たちに自慢するかのように大声で話し始めます。
「ほら、ぼくの言った通り、天子様じゃなくて他の悪い奴がぼくたちをさらったんだよ。だから天子様が助けに来てくださったんだ」
 それを聞いた他の子供たちも今にもテオに駆け寄ってきそうな表情をします。
「……みんな、恐かったろう。だがもう大丈夫だ。これからみんなお家に帰ろう」
 テオは半分涙声になっています。それを見たワンマー婦人も袖で涙を拭っています。

 

 タピーたちが子供を倉庫から外に出してあげていると遠くから声が聞こえてきます。『港』に続く水路を一艘の船がやってきます。船に乗っているのはシャンティと一人の青年です。
「よお、タピー、やったな」
 青年は言います。
「後はおいらたちに任せろよ。『船着場』まで送っていくからよ、まあ、これだけの人数じゃあ何回往復すりゃいいかわかんねえけどな」
「……きみ、誰?……ジャック、ジャックなの?どうしたの、その格好」
「ラーラワティ様にお願いしたらこうなっちまった。ま、たまにはいいだろ」
「うん、そうだね。じゃあテオ、叔母さん、子供たちに船に乗ってもらおうよ」
「……えっ、そこにいる子がもしかしたら皇帝テオ様なの?」
 日が沈むとすぐにぼろを脱ぎ捨てテンチーの美しい服に着替えたシャンティが言います。
「顔が隠れているとタピーと背格好や雰囲気がそっくりね」
「さあて、じゃあここはシャンティとジャックにお願いして……ぼくらは戻ってラーゴをやっつけなきゃ……実はぼくいいこと思いついたんだけど、テオ、叔母さん、ちょっと耳貸して」

 

 ベンガとビーガは開いた城門から宮中に入ります。途中で何人かラーゴの手下が襲ってきますが問題にしません。
 宮中の奥の大広間に入ると急に空気が変わります。ベンガが以前に経験したあの体にまとわりつくようないやな空気です。
「……ラーゴ、そこにいるな。招きに応じて来てやったぞ」
「招きだと、愚かな。お前らはトラの口に飛び込んできたネズミよ。……ははは、トラはお前らだったか」
 赤い仮面をかぶったラーゴが玉座からゆらりと立ち上がります。
「……ふざけるな、ここが三年の旅の終点だ。ビーガ、お前は外に出て手下が来たら片付けろ」
 言うや否やベンガはラーゴに飛びかかります。不意をつかれたラーゴはそのままベンガと組み合い床に倒れ込みます。床を転がりながらベンガとラーゴはくんずほぐれつの格闘を開始します。

 ベンガとラーゴがもみ合っている大広間に誰かがが奥の方から入ってきます。これをちらっと見たラーゴは無理やりベンガを引き離すとそちらに襲いかかります。逃げ遅れてラーゴに捕まったのは金の龍の縫い取りの白い服を着た少年皇帝テオでした。テオはあまりの恐怖に顔が上げられないようです。
「ふっはっは、どうだ、ベンガ。こっちには人質ができたぞ。しかも世界一のテンチーの皇帝だ。手も足も出まい」

 ラーゴは荒い息をつき、人質を抱えたままベンガと距離を取り始めます。
 ベンガはテオの服の龍の縫い取りに気づきます。
「それはどうかな。ラーゴ、本当にそれが皇帝テオだと思っているのか?」
「何、何を言っておる?」
「へへへ」
 ラーゴの腕の中の少年が顔をのぞかせます。
「ぼくだよ、ラーゴ」
「き、貴様はバクの子供、とすると本物のテオは?」
「ぼくが正気に戻しておいたよ」
 タピーは得意げに言います。
 がく然とするラーゴでしたが、やがて静かに口を開きます。
「ふふふ、何を勘違いしておる。テオでなくともよい。このバクの子供には痛い目に合っておるからな、ある意味こいつの方が人質の価値はある」
 ラーゴはタピーを抱えたままじりじりと出口の方に後ずさりを始めます。
「それにお前は気がつかなかったか。わしが魔法を使っていないことを。実はな、五百体の像を動かすのに力を使い果たしたのだ。だからわしは力を溜めていた。今なら一発くらいはお前らの誰かを打ち抜く魔法は出せるぞ……ふふふ、標的は誰にするかな」

 

 左手でタピーを抱え右手をベンガたちの方に差し出したまま、ラーゴは大広間の出口のそばまで来ます。
「ベンガよ、まだまだお前の旅は終わらないようだな。わしに止めを刺せなかったこと、後悔するがよい」
 その時、外の廊下からラーゴの手下を倒したビーガが弾丸のように走ってきます。ビーガは思い切りラーゴのひざの後ろに体当たりをします。体当たりされたラーゴはもんどりうって倒れる時にタピーを空中に放り投げます。タピーは床に思い切りたたきつけられ、体当たりをしたビーガも勢いあまって広間の壁にぶつかり不自然な形で倒れます。

 よろよろと起き上がったのはラーゴです。
「……これ以上の長居は無用だ。これでもくらえ!」
 ラーゴの手からアドゥンの光の矢を黒くしたような閃光が発射されます。 
 黒い光の矢はちょうど大広間に入ってきたばかりのテオ目がけて飛んでいきます。しかしワンマー婦人がテオを突き飛ばすと、矢はためらうことなくワンマー婦人を打ち抜きます。

 ワンマー婦人は静かに倒れます。時が止まったかのように誰も動きません。矢を射たラーゴもその場に立ちすくんでいます。最初に呪縛を破ったのは背中をしたたか打って床でうめいていたタピーでした。
「叔母さん!」
 その言葉を合図にテオも我に返ります。
「ワンマー、ワンマー、大丈夫か。なぜ、このような危険な真似をした、ワンマー……」
 テオに抱き起こされた婦人はゆっくり目を開けます。
「……母が我が子を守るのは……当然のこと……」
「……おお、おお、何と。やはりそうであったか。もしや、余の母上ではないかと思っておったが、何故、余に打ち明けてはくれなかった」
 テオの腕の中でワンマー婦人の呼吸が弱くなっていきます。

 

 ――先帝には由緒正しき奥方様がいらっしゃいましたが、……お体が弱くお子ができませんでした。侍女の私が先帝との間にテオ様を身ごもったことを知った奥方様は私に言われたのです。生まれてくる子を私の子、太子として育てたいのです。私は奥方様の怒りに触れ宮城を追い出されると思っておりましたのに、奥方様は優しくしてくださいました。
 ――テオ様が三歳になられる前に奥方様は亡くなられましたがその時に私をお呼びになられた。私は幸せでした、ありがとう、後を頼みます。
私は先帝の妃になることもできたのでしょうが、ばかげた争いを起こしたくはありませんでした。

「テオ様のそばにいられるのであればそれで十分、乳母でよい、そう思いお仕えして参ったのです……」
「おお、余は心の中でいつでもあなたが本当の母上であったらよいのに、と思っておったのだ」
「……テオ様……私は幸せ者です……」
「テオでよい、テオでよいのです、母上」
「叔母さん」
 タピーが床に座り込んだ姿勢で言います。
「テオの夢の中に出てきたのは叔母さんだったんだよ」
「……色々とありがとうね、タピーさん」
 婦人はテオの腕に抱かれたまま、タピーの方をゆっくりと見て微笑みます。
「テオ様のお友達になってくださいね……」
「母上、母上、死んではなりませぬぞ。これからではないですか、これからこの国を一緒に作っていくのです」
「立派になって、テオ……」
 婦人は目を閉じたまま、かすかに口を開きます。一筋の涙が頬を流れ落ちます。
「強くなりなさい……あなたは一人ぼっちではありません。タピーさんもお仲間もいらっしゃいます……テオ……私の息子……」
 いつの間にか婦人の傍らにエマが音もなく立っています。エマは何も言わずに婦人の魂を体から呼び出すと、静かに消えていきます。

 

 大広間にテオの泣きじゃくる声が響き渡ります。ベンガが、どしんとひざから崩れ落ちます。五百体近くの像との戦いで怪我をしていたようです。
「……ラーゴ、お前……」
 ベンガは広間の出口で立ちすくむラーゴを指差します。
「何の罪もない、やっと我が子に巡り会えた母を手にかけたな……」

 それを聞いていたラーゴに妙なことが起こります。ひざが、がくがくと震え出し、ふらふらとしたまま歩きます。
「……おれじゃないぞ……母を殺したのは、おれじゃない。母が死んだのは……おれが母を殺すわけがない……」
 ぶつぶつとつぶやきながら広間を出て行きますが、ベンガにもビーガにもそれを追いかけるだけの力はもう残っていません。

 テンチーを覆っていた黒い霧は晴れました。けれどもラーゴはまたもや逃げてしまいました。タピーたちの旅は果たして終わりなのでしょうか?