第二十三話:聖母

 夜が明けました。子供たちを全員『船着場』まで送り届けたシャンティとジャックが大広間を覗いた時には大変な有様だったようです。玉座も調度品も破壊され、ベンガとビーガはひどいけがを負っており、タピーも歩けないような状態でした。何よりも哀れを誘ったのは、事切れたワンマー婦人を抱きながら泣きじゃくるテオの姿でした。
 とにかくシャンティとジャックはけが人たちを寝かしつけ、ワンマー婦人を安置することにしました。テオがどうしても自分の部屋にということで婦人のなきがらを運び込むと、テオはそのまま婦人に付き添って部屋から出てきません。
 こうして大広間にはシャンティとジャックだけが残ります。何も聞きませんでしたが、みんなの表情を見ていれば大体何が起こったのかは想像がつきます。二人は黙ったまま破壊された玉座や調度品を片付けます。

 

 午後遅くになってタピーたちは再び大広間に集まってきます。ベンガは足をひきずり、ビーガはあばらを痛めているようです。タピーもしきりに腰をさすっています。
「……よお、タピー」
 大体の片付けを終えたジャックが口を開きます。
「大変だったな。みんな大怪我してるじゃねえか」
「……ううん、ぼくらは平気さ。大変だったのはテオだよ……」
 タピーはそう言ってちらっと広間の奥のテオの部屋の方を見ます。
「それにしてもラーゴはどこ?」
 シャンティがベンガに尋ねます。
「……また逃げられた」
「やっぱりな」
 ジャックがシャンティと顔を見合わせます。

「おいらたちが『船着場』に子供たちを運んでいる時にな……ありゃあ、夜明け前だったかな、一人の子供が見当たらなくなっちまったんだ。ま、結局その子は甲板の奥の方で寝てたんだけどな、おいらたちは地上に出てその子を探したんだ。そん時に、はるか向こうの大通りを東の方に歩いてる奴が見えたんだ。遠いから誰かまではわかんなかったけど、ふらふら、よろよろ、きっとあれがラーゴだったんだな。でも、何であんなに酔っ払いみたいだったんだろうな?」
「……ラーゴの中の何かが壊れたのかもしれん」
 ベンガは冷静に言います。
「今すぐにでも奴を追いかけて捕まえたいが、こちらも手負いの身。こうして話をしているのも辛い状態だ」
「でも神々は何をしていたの?どうしてワンマー様が死ななきゃならないわけ?」
 シャンティが独り言を言います。

 

 まるでシャンティの問いかけに答えるかのようにヴィーナの音色が響き渡ります。
「その理由を話しましょう」
 ラーラワティが大広間に飾ってあるかろうじて破壊を免れた大きな花瓶から姿を現します。
「『平原の戦』では私たちが全面的に力を使ったにも関わらずあれだけ多くの犠牲者を出してしまいました。そこで今回はあなたたちに全てを委ねることにしたのです。予想通りあなたたちはラーゴと互角以上の戦いをした、……けれども再びラーゴには逃げられ犠牲者も出してしまいました」
「すべて私たちの力不足です……ラーゴは今どこにいるのでしょうか?東に向かったと聞いたのですが」
「今のラーゴはもう以前のラーゴではないようです。どこに向かうかは私たちでも予想がつきません。自暴自棄になっているとしたら以前よりも危険です」
 ラーラワティは少し眉を曇らせます。
「けれども、そういう事態になれば私たちが責任を取らねばなりません。元はといえば私たちが蒔いた種、これ以上あなたたちに世界の行く末を委ねるわけにはいかないでしょう」

 ラーラワティの謎めいた言葉にベンガは首をかしげます。タピーが怒ったような口調で言います。
「そんなことよりワンマー叔母さんはどうなるの?ぼく、エマ様に、連れてかないでって言おうと思ったんだよ。でも、エマ様、辛そうに見えて何も言えなかった」
「そうでしたね」
 ラーラワティはかすかに微笑みます。
「タピー、テオを呼んでらっしゃい」

 間もなく、タピーに手を引かれ、目を真っ赤に腫らしたセイが大広間にやってきます。セイは花瓶の上に姿を現している小さなラーラワティの姿に息を呑みます。
「……おお、これは水の女神様ではないか。何という」
「テンチー国皇帝テオ、よく聞きなさい」
 ラーラワティは静かに言います。
「あなたがなすべきは、一刻も早く混乱しきったこの国の民を安心させ国の繁栄と平和を取り戻すことです。悲しんでいる暇などありませんよ……約束しなさい、テオ」
「ちょっと」
 シャンティが反論します。
「いくらラーラワティ様でもひどすぎるわ。テオ様は今そんなご気分ではないはずです」
 ラーラワティはシャンティを無視してもう一度言います。
「テオ、約束できますか。この国の民を安心させると」

 テオは顔を上げてきっぱりと言います。
「約束いたします。女神様、余は大天街(テンチー)国の皇帝です。民を幸福にするは皇帝の務め。……余一人の悲しみに浸っている時間はありません」
「よくぞ言いました」
 ラーラワティはにこりと微笑みます。
「実はこのテンチー国を見守る神が誕生しました……王母様、出ていらっしゃい」
 ラーラワティがそう言うと、大広間の天井から一条の光が差し込みます。光が去った後には一人の見覚えのある女性が立っています。
「……母上、母上ではありませんか!」
 テオが叫びます。
「テオ」
 ラーラワティが静かに言います。
「この方はテンチー国を守護する女神、王母です」
「……テオ……」
 王母はテオにその手を差し伸べます。
「私はいつでもあなたのそばにいます。この国とこの国の民をちゃんと導きなさい」
 抱き合うテオと王母を見て満足そうな表情のタピーたちに微笑むと、ラーラワティは姿を消します。

 

 翌朝、久しぶりに宮城が開放され、多くの人々が詰め掛けます。城の一番高い場所にテオが立ち、あいさつが始まります。テオは先帝が亡くなって以降の国の混乱を素直に詫び今後の安寧を約束します。
 人々は歓声を上げ、「皇帝、万歳、テンチー、万歳」を幾度も叫びます。これを見ていたタピーたちもほっとした気持ちになります。
 日も暮れかかる頃、城の門も閉まり人々の大騒ぎは都の通りの方へと移動していったようです。
「さあて、けがが治ったらぼくらも出発しなくちゃね」
 タピーが言います。
「ねえ、ここから東って何があるのかなあ?」
 テオがこれに答えます。
「東はパオタン国、更に海を渡った先がホーライと呼ばれる島国です」
「ラーゴのことだ。隣のパオタンには逃げ込んではいないだろう」
 ベンガが推理します。
「となると、ホーライか」

「おいおい、ベンガよ」
 いつの間にかゴクラクチョウの姿に戻ったジャックが首を左右に振ります。
「ホーライは神々の島、さすがにラーゴもそんなところには乗りこまねえだろう」
「えっ、神々が集まるのはシュマナ山でしょ?」
「いやいや、この世界にはたくさんの神々がいらっしゃるんだ。シュマナ山におられるのはほんの一部の神様たちだけだ」
 ジャックが得意そうに話します。
「まあ、平たく言えば、世界中のあらゆるものに神様はおわすんだ。王母様だってそうだろう。そして、ホーライはそんな世界中の神様が年に一度集まる島、だから神々の島……なんだそうだ」
「なんだそうだ、って、ジャックもよく知らないんじゃないか」
「まあな、全部ラーラワティ様の受け売りだけどそれが悪いか?」
「もう、こんな時に止めなさいよ」
 シャンティは言います。
「皇帝の前よ」
「いいんですよ」
 テオは優しく微笑みます。
「うらやましいです。皆さん、本当に仲がよろしいんですね」
「テオ様、私たちにていねいな言葉遣いはお止めになってください」
 シャンティが困り顔で言います。
「皆さんはこの国の恩人。このように話したいのです……実は、折り入ってお願いがあるのですが」
「どうぞ、なんなりと」
 ベンガが言います。
「皆さん……その……友達というものになっていただけませんか?」
「えー、そんなのわけないよ」
 タピーは腰の痛いのも忘れてはしゃぎます。
「っていうか、もう友だちじゃないか」
「いえ、タピーさんに言っているのではなく他の皆さんに申し上げているのです」

 テオの言葉にタピーは口を開けたまま固まります。
「……ぼくは、ぼくは、友だちにはしたくないってこと?」
「違います、そういう意味ではありません」
 テオはあわてて言います。
「タピーさんには友達ではなく、兄になっていただきたいのです」
「……なんだ、そうか」
 タピーは一安心します。
「えーっ、お兄さんだって!」
「やはり無理ですか」
「ううん、そうじゃなくって……ビーガがぼくの弟なんだ、……ビーガのお父さんはベンガ……ビーガはシャンティを姉さんって呼ぶ……ってことは誰が一番上になるんだろ?」
「兄さん、そんなのどうだっていいじゃないですか?」
 ビーガが言います。
「……あ、ああ、そうだよね。そんなのどうだっていいよね」
 タピーはようやく落ち着きます。
「テオ、喜んで……そうすると、ワンマー叔母さんはぼくにとっても、母上、になるのかなあ?」
「それを聞けば、母上も喜ばれます」
 テオの顔には喜びの表情が一面に広がります。