闇が去った『神々の舞台』ではシャンティがラーラワティにすがりついて泣きじゃくります。
「ひどい。タピーに何もかも背負わせて、あげくの果てに消したんですか」
ラーラワティはシャンティの背中に優しく手を置きます。
「シャンティ、タピーならば大丈夫です。私たちは何もできなかったけれどあなたたちがタピーを守ったと信じています」
「でも、タピーは、タピーは帰ってこないじゃありませんか」
「ジャックとビーガを信じなさい」
「……そうだったわ。でもサエちゃんがちゃんとやってくれたかしら」
ヤサカの屋敷の大きな桜の木の下ではジャックとビーガとサエが佇んでいます。
「サエの祈り、間に合わなかったのかな。もう飲み込まれちまった後だったのか……ちきしょう、そんなのってありかよ」
ジャックは翼で顔を覆います。
「タピー兄さん。帰ってきてください」
ビーガも絶叫します。
サエにも状況が飲み込めたようです。
「……この闇はタピーさんが打ち払ってくれた。でもタピーさんは帰ってはこない……」
きれいな夕日に照らされた『神々の舞台』で神々もシャンティも下を向いたままの中、ずっと黙っていたベンガが口を開きます。
「ここから一番近い海はどこですか?」
「ベンガ、こんな時に海だなんてどうかしちゃったの?」
シャンティが泣きながら言います。
「いや、ただ何となくタピーが帰ってきたような気がしたので尋ねたまでだ」
シャンティは仕方なくベンガと一緒に近くの海辺に行きます。広い砂浜と海が沈む夕日で茜色に染まっています。
「あれを見ろ」
ベンガが指差す先には海を見ながら浜辺にちょこんと座っているタピーの背中がありました。
ベンガとシャンティは転ぶようにタピーの元へと走り寄ります。
「タピー、帰ってきたな」
ベンガとシャンティはタピーの横に座ります。
「ああ……ベンガ、シャンティ」
タピーは海を見たまま言います。
「……ぼく、失敗しちゃった」
「何言ってるのよ。あなたのおかげで世界は救われたのよ」
シャンティはまた泣いています。
「でも……ラーゴは救えなかった……ケートゥとの約束守れなかったよ……」
「タピー、果たしてそうだろうか」
ベンガも海を見たまま言います。
「最後にラーゴと何を話したかは知らないが、それによってラーゴは救われたのではないか?ラーゴはお前に感謝しながら消えていったのではないだろうか?」
「……よくわかんない……」
タピーは困ったような表情を浮かべながら、ラーゴと話した内容をベンガに伝えます。
「ぼく、ラーゴと一緒にボーンラマ様のところまで行ったんだ。で、二人で飛び込んだはずなんだけどぼくだけ戻ってきちゃった。ラーゴが魔力でぼくをここに戻したのかなあ」
「タピー、ケートゥに会う機会があったら、お前がラーゴとした話を聞かせてやるといい。ケートゥはきっとわかってくれるはずだ。さあ、みんなが待っている、戻ろう」
タピーが無事に戻ってきたのを見て神々は一安心し、口々にタピーへの感謝の言葉を述べます。
「タピー、本当に世界を照らす光となったな。感謝する」
ディアンカーラです。
「色々苦労したけどとうとうやったね。ありがとう」
グリンラが続きます。
「最初からやるなとは思ってたけどやりとげたね。ありがとう」
イドゥンティアも口を開きます。
「タピー、あなたが旅を始めてから年に一度の神々の集まりも三回目、長い旅でしたね。私はあなたやあなたの仲間のことを誇りに思いますよ。ありがとう」
ラーラワティが言います。
「おーい」
ジャックの声です。ビーガがサエを乗せ、こちらにやってくるのが見えます。
「よお、タピー」
ジャックは気さくに声をかけます。
「……その、何だ、これでおいらもポーリーヌのところに戻れるってもんだ、散々迷惑かけやがって……これでお前と離れられると思うと……せいせい……するぜ」
言葉の最後の方は涙声になってしまい、よく聞き取れません。
「兄さん、よくぞご無事で」
ビーガも涙声です。
ビーガから降りたサエがおずおずと近づいてきます。
「タピーさん、あたし、指輪にお祈りしたんです。タピーさんにもう一度お会いしたい、って。今、こうしてまたお会いできました……夢みたいです。色々なことがまるで夢みたいです」
「ねえ、ベンガ」
シャンティがベンガに小声でささやきます。
「タピーはラーゴの魔力で戻ってきたって言ってたけど、やっぱりサエちゃんが指輪に祈ったからじゃない。あたしはそう信じたいなあ」
「さあ、ラーゴはタピーを闇から戻そうとしたのだろうが、果たしてそれだけの魔力が残っていたか、それは誰にもわからん。ただラーゴはタピーを消してはいけないと思った、それは事実だ。あの非情な男が最後に人の心を取り戻したのだな」
夜になって灯りがともされ『神々の舞台』は華やかな雰囲気に変わります。これから神々の宴が始まります。タピーたちは異例の招待客として宴に参加します。
宴もたけなわの時、イドゥンティアが立ち上がります。
「皆様、本日は世界を救ったタピーとその仲間を招いております。実は、ここにいるディアンカーラやグリンラと話し合ったのですが、タピーと旅の仲間を神々の一員に加えてはどうだろうか、ということになりました」
宴に参加している神々は大歓声です。
「な、なんと」
ベンガもシャンティも息を呑みます。
「ねえ、ねえ、イドゥンティアは何を言ってるの。今だって友だちじゃない」
タピーだけはよく意味がわからないようです。
「タピー」
ベンガはゆっくりとタピーに説明します。
「イドゥンティア様が言われているのは、私たちも、神々のお仲間に加わる、ということだ」
「えーっ、無理無理」
タピーは激しく首を横に振ります。
「だってぼくは人間に見えるだけのバクだよ。ベンガだって人間に見えるトラじゃない?ビーガなんか思いっ切りトラだよ」
「そんなうわべの姿にとらわれてちゃいけない、ってきみたちはよく知ってるでしょ。バクだってトラだって人魚だって妖精だって、神になれるんだよ」
グリンラが長い髪をかき上げながら言います。
なかなか首を縦に振らないタピーを見かねて神々の中から一人の神が進み出でます。
「私は今回初めて神々の集いに参加させていただいた王母でございます」
かつてのワンマー婦人、今はテンチーを守る女神、王母です。
「すでにテンチーの人々の間では、タピーさんたちは国を救った英雄として慕われております。今ここで神とならなくても、これから世界の様々な場所を旅し、その土地土地で慕われ、愛されるのであれば、人々にとって神も同然。その方がタピーさんたちも気が楽なのではないでしょうか?」
「ワンマー叔母さん、ううん王母さま。ありがとう」
タピーは嬉しそうに言います。
「やっぱりぼくは……ベンガたちはどうかわかんないけど……神さまってガラじゃないよ。今のまんまの人に見える変なバクで十分だよ」
宴が終わって数日後、タピーたちが大陸に戻る日になりました。タピーは『神々の舞台』から屋敷に戻る間、ずっとサエと手をつないで歩いていました。二人はすっかり仲良くなったようです。
二人は庭の桜の木の下に座って話をしています。
「ねえ、タピーさん、この木、サクラって言うんですけど、あと何ヶ月かするとものすごくきれいな花が咲くんですよ」
「えっ、木に花が咲くの?見たいなあ」
「冬が過ぎて春が来れば真っ先に咲きますからすぐですよ。だからそれまでここにいてくれればいいのに」
「……サエ、ぼく、今日帰らなくちゃなんだ」
「そうですよね。三年半も旅を続けられてたんだから早く帰りたいですよね」
「帰る家なんてないけどね」
「……タピーさんは旅で立ち寄る場所が家みたいなものでしょ。だからこの屋敷もタピーさんの帰る家だし、どこにだって帰る場所はありますよ」
サエは無理に笑って見せます。
「……うん……」
タピーはもじもじしています。
「でもここを離れるのはいやだなあ」
「まあ、そんなこと言ってもベンガさんたちとは別れられないでしょう……あたしなら大丈夫。会いたくなったらこの指輪にお願いすれば、タピーさん、あっという間に来てくれるんでしょ」
「そうだよね、指輪があるから会いたい時はいつだって会えるよね……」
「タピーさん、これからの旅のご無事を願っておまじないをしてあげたいんですけど。いいですか、目を閉じてください」
目を閉じているタピーのほほにサエはそっと口づけをします。
「あまり無理はしないでくださいね」
「えっ、何があったの?何かほっぺたに当たったよ」
目を開けたタピーはきょとんとしています。
「……内緒のおまじない」
サエはすまして言いますが涙がこぼれてしまい、あわててそれを隠します。
タピーはサエと別れて歩き出します。
「よお、タピー。サエちゃんのこと放っといていいのかよ」
空からジャックが飛んできて尋ねます。
「今はまだ一緒に旅することはできない、ってサエは言うし、でも『引き寄せの指輪』があるから、会いたくなればいつだって会えるしね」
「ところでよ。これからどこに戻るつもりなんだ?」
「ジャックは忘れっぽいなあ。色々約束してた人たちや心配してくれた人たちに会わなきゃじゃないか。まずはテンチーでテオに会うでしょ。次は『オンオンの台地』でジャオンノ、そして『砂漠の魔王』のお墓参りもしなくちゃ。『妖精の国』のルバ王にも会って、シュマナ山でみんなにあいさつしてから、ポーリーヌのところに行こう」
「おいおい、そんなんじゃあ、また何年もかかっちまうぞ」
「あ、そうか。急がないといけないね。でもその後はケートゥに会いに行くんだ。これだけは、はずせないよ。そして平原でラムシェナキのお墓参りをしてから、『ランカの都』の兄弟王に会って、サーカスの親方にも会いに行く」
「まだ続くのかよ」
「もうちょっとだよ。そして『海人の国』に着いてシンハ王に旅の話をするんだ。最後に……」
「最後に……どうすんだ?」
「チュンホアのたまごすうぷを飲むに決まってるじゃない」
(完)
「ふぅ、何という旅であろうな」
シンハ王は一つ大きなため息をつくと、玉座に身を沈めます。
「で、ホーライから戻ってきたというわけか」
王は、玉座の前に特別に用意された席に座って何時間も話を続けている不思議なバクの子供を改めて見ます。五年ほど前に初めて会った時はただの子供だったのに、今、目の前にいるタピーはどこか違って見えます。例えようのない暖かな光に体が包まれている、そんな感じがしてならないのです。
「うん、でも帰りに会わなきゃならない人や行かなきゃいけない場所があったから、こんなに遅くなっちゃったんだ」
タピーは笑いながら言います。
「最初はテンチーのテオに会いに行ったんだ。テオは立派な王さまになってたよ……えっ、何でわかるかって?そんなの都の人の顔見ればすぐにわかるよ……それからオンオンのジャオンノのところでまたお酒飲んで酔っ払っちゃったんだよ」
どうもタピーの話は大事なこともそうでないこともないまぜのようです。
「そしてね、砂漠の魔王の、ぼくの父さんなんだけど、お墓参りをしたんだ。その後は妖精王のルバのところに遊びに行ったよ」
「おお、ルバか、なつかしいな。私は若い頃ルバと冒険をしておったことがあるのだ、どうだ、その話を聞きたくはないか?」
「うん、聞きたいけど、今はぼくが話してるから、また今度ね」
「そうかそうか。ところで、砂漠の魔王は亡くなられたと聞いたのだが、なぜ魔王がお前の父なのだ?」
「父さんがね、死ぬ前の日にぼくのことを子供にしたいって言ったんだ……それでぼくは子供になった……それだけだよ」
「……うむ、で、それからどうした?」
「シュマナ山にもう一回登ってから、『妖精の湖』に行ったんだ。ねえ、聞いてよ、ジャックの大好きなポーリーヌが妖精に生まれ変わってジャックのことを待ってたんだよ……だからジャックとはそこでお別れ。ジャックったらさあ、うぇんうぇん泣いてさあ、見てらんなかったよ……」
「……ジャックは『妖精の湖』におるのか……タピー、少し休憩しようではないか?」
「それからね、ケートゥのところに行った。ケートゥは修行してたけど、ラーゴがどうなったのかわかってたみたい。もう変なお面をかぶってなかったし、とっても優しい目でぼくの話を聞いてくれたんだ。最後にありがとうって言ってくれたから、本当にうれしかったよ」
「そうか、それから?」
「平原の国があったところに行ったよ。みんな一生懸命に新しい国を作ろうとしていた。ラメキー王子の墓参りをした後に……シャンティがここに残るって言い出したんだ。戦で親を失くした子供たちのために学校を作るんだって」
「うむ、シャンティから手紙が来て、そのように書いてあった。元気にやっているのだろうか」
「ランカの都で兄王と弟王に会って、島の東側でサーカスの親方に会った。で、今はこうして王さまに会ってるんだよ」
「おお、やっとそこまで来たか。ベンガとビーガはどうした?」
「ジャングルの動物たちを守る仕事をするんだって、ゴホーに行ったよ……みんな、がんばるよねえ」
「タピー、お前はこの後どうするつもりだ?」
「とりあえずチュンホアのところに行くけど、そのあとは決めてないなあ」
「あわてる必要はない。やがてやるべきことが見つかるだろう。何しろお前はとてつもないことをやってのけたのだからな。休息も必要だ」
「そうだね、王さま、約束は守ったよ。船に乗せてくれたお礼だからね。またね」
去っていく不思議なバクの子供を見ながら、シンハ王は思いました。
「まだタピーの助けを必要としている人はこの世界にたくさんいる。タピーはいつか新たな旅に出て行くのだろうな」