第二十一話:大地と樹上の老人

 シュマナ山からどれくらい歩いたでしょうか、山をいくつも越え、広大な砂漠を越え、タピーたちはやっと平らな地面にたどり着きます。そこは見渡す限りの平原です。
「うおおおぃ、ついに来たなあ。『オンオンの大地』、ジャオンノ様が出迎えてくださるはずだけど、おっ、あれかな」
 ジャックは興奮してまくし立てます。
「タピー、酷な言い方かもしれんが」
 ベンガがタピーに言います。
「いつまでもしょげていてはいけないぞ。魔王もお前にはいつでも元気でいてほしいと思ってらっしゃるはずだ」
「……うん、わかってるよ、でも」
 タピーは言います。
「みんながわかってた『お芝居』の中でぼくはうそをついてたことになるんでしょ?」
「タピー、ついて良い嘘も時にはある」
 ベンガが言います。
「あの時のお前はまさにその状況だった」
「こう考えなさいよ」
 シャンティも言います。
「あなたがああ言ったおかげでみんなが幸せになれた、王様も安心して旅立てた、そんな嘘なら大歓迎じゃない?」
「うーん」
 まだすっきりしない様子のタピーを見かねてジャックが空から怒鳴ります。
「こいつは嘘なんかついちゃいないって。本当に王になるつもりだったんだ。その時は旅をどうするかなんてそこまで頭は回っちゃいなかったって、なあ、タピー、そうだろ」
「ひどい言い方するね、ジャック」
 タピーは空を見上げます。
「でもその通りかも。あの時はそう言わなきゃ、ううん、そうしなきゃって本当に思ってたんだ。旅のことなんて忘れてたよ」
「そこがお前らしいところだ」
 ジャックは顔をほころばせます。
「しかし、王たちの前で行った挨拶、あれは立派だったぞ」
 ベンガはタピーがいつの間にか大人になってきているのを感じています。
「おいらに言わせりゃまだまだだけどな」
 ジャックがまた憎まれ口をたたきます。
「大体よぉ、自分のことを、ぼく、って言う王なんて聞いたことねえや」
「さっきからひどいね、ジャックは。空からばっかり言ってるのはひきょうだよ、ちょっと降りてきなよ」
「はいはい、そこまでよ」
 シャンティはタピーがようやくいつものタピーに戻ったのに安心して空にいるジャックにそっと親指を立てます。

 

 再び笑い声が戻った旅の一行のところに数頭の馬が駆け寄ってきます。
「ようこそ、『オンオンの大地』へ。お待ちしておりました。どうぞ我らにお乗りください。ジャオンノ様のテントまでお連れいたします」

 馬はタピーたちを乗せるとものすごい速さで平原を駆け抜けてゆきます。
「わあ、シャノラと同じだ。速いんだね」
 タピーが自分を乗せている馬に尋ねます。
「シャノラをご存知でしたか?」
 馬は答えます。
「あいつには誰もかないませんよ。あいつが光の速さだとしたら、私たちはせいぜい風の速さですから」
「ぼくはね、一回目は『海人の国』からゴホーまで、二回目はゴホーから『海人の国』、そこからダイエントの『商人の港』まで連れてってもらったんだ」
「ほお、あの気高いシャノラに二回も乗るとは、さすがは『救済の御子』ですな」
「何それ、誰のこと?」
「いえ、ジャオンノ様が砂漠から帰って来られてからというもの、毎日あなたのお話ばかりされるのです。ついに『救済の御子』が現れた、これでテンチーの惨状も救ってくださるに違いないと」
「何だかよくわかんないけど、テンチーはそんなに大変なの?」
「最近はテンチーからやって来る者もめっきり減ってしまい、噂話すら滅多にないのですがひどい状況のようですよ」

 やがて馬たちは大きな黄色いテントの前で止まります。どうやらジャオンノの元に着いたようです。ジャオンノ自らテントの外に出て迎えてくれます。
「よく来られた。私だけ先に砂漠から失礼して申し訳なかったですな」
「いえ」
 馬から降りたベンガが言います。
「自分の足で歩かないと願いは叶わない、という神々との間の約束がありまして。もっとも今はこの駿馬のおかげでだいぶ距離を稼がせてもらいましたが」
「はっはっは」
 ジャオンノは快活に笑います。
「たまにはいいでしょう。南のジャングルからここまでの距離に比べればゴミのような距離ですよ」
 ジャオンノはテントにタピーたちを招き入れ主の座に腰掛けます。

 

「改めてようこそ『オンオンの大地』へ。我々はあなた方を歓迎しますぞ」
 テントの中には細かい模様の絨毯が敷いてありその上にはすでに食事や飲み物が用意してあります。
「では再会を祝して乾杯といきますかな。ベンガさん、シャンティさん、ジャックさんは酒でよろしかったかな。……なるほど、シャンティさんだけ飲まれると。では他のみなさんには特製のバター茶を用意しましょう」
 乾杯の用意が整うと改めてジャオンノが口を開きます。
「それでは再会と皆さんの今後の旅のご無事を祝って、乾杯!」
「わあ、このお酒美味しいですね」
 シャンティはすでに一杯目を飲み干したようです。
「すてき。今夜は飲むわよお」
「はっはっは」
 ジャオンノはまたしても快活に笑います。
「そうしましょう。何もない土地ですが馬と美味しい酒だけはふんだんにある」

 やがてジャオンノが呼び入れた不思議な楽器を持った人たちの演奏も始まり宴はたいそう盛り上がります。すっかり酔っ払っているシャンティにタピーは近づいて小声で囁きます。
「ねえ、シャンティ。そんなにお酒っておいしいの?……おいしいんだったらぼくも飲んでみたいなあ。なめるだけでもいいんだけど」
「あら、やだ、あんた飲んでなかったの」
 シャンティはわけがわからなくなっているようでタピーに盃を進めます。
「さあ、ぐいっと飲んで。なめるだけなんて承知しないわよ」

 生まれて初めての酒、タピーはシャンティに言われるまま一気にぐいっと盃を空けます。
「……わっ、何これ、ここが熱いよ。焼けてるみたいだよ!」
 タピーは大声を上げ胸のあたりをかきむしります。
 シャンティはそれを見て笑います。
「あははは、タピーちゃん、すてき。そおれ、もっと飲むぞお!」

 テントの外で馬たちと話し込んでいたベンガとビーガが大騒ぎを聞きつけてテントの中を覗き込みます。そこで二人が見たのは楽器の演奏に合わせて踊るタピーとジャオンノ、それを大笑いしながら見ているシャンティ、目がすわって何事かぶつぶつとつぶやいているジャックでした。
「父さん、酒ってあんなに人を変えてしまうものでしょうか?」
 ビーガが心配そうに尋ねます。
「放っておけ、あれもまた人生の楽しみの一つなのだ」
 ベンガは笑いながらテントの戸を閉めます。

 

 それから数時間後、ベンガとビーガはすっかり静かになったテントの中を再び覗き込みます。そこではすっかり酔いつぶれた面々が大いびきで寝こけていました。
「父さん、きっと酒って楽しいものなんでしょうね」
 ビーガが再び尋ねます。
「あんなに無防備では大自然の中では生きてはゆけないが人間の世界はそれだけ平和だということだ」
 ベンガはあきれたように言います。

 

 翌朝、タピーたちは突然の轟音に跳ね起きます。あわててテントの外に出てみるとそこではジャオンノが馬たちに朝の走行訓練を行っていました。ベンガとビーガも起きてその様子を見ています。
「やあ、起きてきたな」
 ジャオンノは昨夜あれだけ酔っ払っていたのに全く平気のようです。

 はるか彼方から何千頭もの馬が一糸乱れず駆けてきてジャオンノの合図一つで急旋回し、あるいはぴたりと止まる様は壮観です。
「私はこの『オンオンの大地』を『神馬の里』として世界一の馬の産地にしたいんですよ。シャノラのように皆の役に立つ馬をたくさん育てたいんです。戦で無駄に死ぬためだけの馬を育てているわけではないんですよ」
「確かに戦で死んだ馬を弔うという話はあまり聞きませんね」
 ベンガが感慨深げに言います。
「別に人の道具として使われるので構わないんですよ。ただその使われ方に納得がいかないと」
 ジャオンノは神妙な表情です。
「さて、そろそろ朝食にしましょうか」

 

 朝の爽快な空気の中での朝食にバター茶と小さな丸いぷるんとしたものが絨毯の上に用意されます。
「この丸いものは何?」
 タピーは食事の用意をしてくれた人に尋ねます。 
「これはボーズですよ。具を小麦粉の皮で包んで蒸したものです」
 タピーはみんなが座るとすぐにボーズを自分の皿に取りかぶりつきます。
「あ、熱ちち」
 タピーは熱いボーズで舌をやけどしてしまいます。
「はっはっは。そんなにあわてて食べるからですよ。まあ、今経験しておけばテンチーで同じようなものを食べる時には大丈夫でしょう」
 ジャオンノは急に真面目な顔つきになります。
「テンチーと言えば、皆さんはいよいよテンチーに入られようとしている。テンチーはここから険しい峠を越えたところから始まる世界で一番栄えた国です。だが、今そのテンチーは大変な状況に陥っているらしい。峠を越えて『オンオンの大地』に来ることも、東のパオタン国に行くことも自由に行えなくなっているらしいのでほとんど情報がありませんが、どうやら皇帝の身に何かが起こったらしいのです」
「皇帝の身に。……おそらくラーゴの仕業でしょう」
 ベンガが言います。
「奴は以前にも国を滅ぼしています」
「何と。では急ぎテンチーに向かっていただいてもらった方がよさそうですね」
「ええ、そのつもりです。何の恩返しもできませんがすぐに出発いたします」

 

 朝食後にタピーたちはあわただしく出発の準備をします。タピーはシャンティに小声で尋ねます。
「ねえ、シャンティ、ぼく、頭ががんがんするんだ。病気かな?」
 シャンティはくすりと笑います。
「タピー、それは二日酔いって言うの。歩いて汗をかけば治っちゃうわよ」
「なあんだ、そうなの。でもゆうべは楽しかったね。またお酒飲もうね」
「何て答えればいいのかわかんないけど、……そうね」
「さあ、準備はできたか」
 ベンガが大きな声を出します。
「ではジャオンノ様、テンチーでラーゴと決着をつけたならまたここに戻って参ります」
「気をつけて行かれよ」
 ジャオンノは何かを思い出したようです。
「そうだ、大事なことを伝え忘れるところであった。先日、私の元を不思議な老人が訪ねて来て、旅人が来たならわしのところに寄るように、とだけ言って消えてしまったのです。もしその老人を見かけたなら話を聞くとよいでしょう。鶴のように細い人でしたぞ」

 

 『オンオンの大地』に別れを告げると目の前には険しい峠です。高さはこれまでの山々よりは低いのですがまるで錐のように尖ったそそり立つ岩の壁が、歩いて越えることの困難さを予感させます。
「おいら、そのじいさんがいるか、先に見てきてやるよ」
 ジャックは空に飛び立ちます。
「おい、ジャック、大丈夫か。ふらついているぞ」
 ベンガが声をかけます。
「きっと、二日酔い、だよ」
 タピーはすました顔で答えます。

 およそ十分後、ジャックはへとへとになって戻ってきます。
「あー、だめだめ。この峠道に沿って探したんだけど人が住むような場所じゃねえなあ」
「歩いていけばそのうち何かあるんじゃないの?」
 シャンティはぶっきらぼうに言います。
「ずんずん行くわよ」
 タピーたちはとりあえず謎の老人のことは忘れ、目の前の険しい峠を越えることに集中します。ビーガの案内で獣道を慎重に歩き、道が無くなれば崖をよじ登り、ようやく峠の中腹の少し勾配が緩やかな場所に出ます。
「やっと一息つけるな。ここで休憩しよう」
 ベンガはそう言ってジャオンノが持たせてくれたボーズとバターの入っていないお茶を皆に配ります。

 

 峠の中腹で休憩しながらそのへんを歩き回るタピーは、一本の大きな曲がりくねった松の古木を見つけます。
「この木すごいねえ。今まで見たことないよ」
 ベンガたちも近づいてきます。
「これはおそらく松の木だ。一体樹齢何年だろうな」
 そう言って松の幹をとんとんと触ると、木が不自然に揺れます。
「ん、……そんなに強く触れてはいないはずだが、……気をつけろ、何か上にいるぞ」

 みんな上を見上げますが大きな松の古木の上の方はなかなか見えません。ジャックがこわごわ飛び上がり何かを見つけます。
「何だ、……ありゃあ、鳥の巣だぞ」
 タピーたちもようやくそれに気づきます。松の木の上の方の横枝に木の小枝で組んだ巣がかけてあり、どうやらその巣の中に何かがいるようです。タピーたちが見ていると、枝で組んだ巣から老人の顔がひょこっとのぞきます。タピーたちを見つけると顔に続いて腕が出て、体、足と巣から出てきますが、そんなに大きくはない鳥の巣にどうやって全身を入れていたのでしょう、老人は巣の上で一つ大きく伸びをします。
「やっと来たようだのぉ。今からそちらに行く」
 老人は地面を歩くのと同じように二本足ですたすたと高い松の木から降りてきます。

 地面に降り立ったぼろぼろの法衣を着た老人は、ジャオンノの言った通り鶴のように骨ばっています。
「わしは……そうじゃのぉ、『木の上の道士』とでも呼んどくれ」
「あの」
 普段は冷静なベンガも気が動転しているようです。
「何かご用でしょうか?」

「うむ、お主らは大天街(テンチー)国に行くわな。都に着いたならまずは最初に訪ねてほしい場所がある。これがその場所じゃ」
 老人はベンガに黄ばんだ紙切れを手渡します。
「何の目的で……いや、その前にテンチーはどうなっているんですか?」
「間もなく地獄になる。人の命はその紙切れのように軽く扱われてしまうぞ」
「やはり皇帝の身に何かが起こったからですか?」
 シャンティがこわごわ尋ねます。
「愛を知らぬ愚かな悲しき影が跳梁跋扈しておる……後は自分の目で確かめるのだ。早くせい。妖精の小僧は少し前にここを抜けていったぞい」
それだけ言うと老人はすたすたと松の木の上の巣に戻っていきます。

「おいおい、何だ、今のは」
 ジャックは今一度木の上の巣を覗き込みに行こうとしますが、巣から一羽の真っ白な鶴が飛び立って行きます。
「どうなってんだい、まるで手品だ」
 鶴が飛び立った後の空っぽの巣を見てジャックがあきれたように言います。
「愛を知らぬ愚かな悲しき影、一体どういう意味だろう」
 ベンガもあっけにとられています。
「ともあれ道士のおっしゃる通り先を急ごう」

 『オンオンの大地』からテンチーへ抜ける峠を越えようとするタピー。果たしてテンチーでは何が待っているのでしょうか。