第一話:タピーの旅立ち

 気の遠くなるくらい昔のことか、あるいは目も眩むくらい遥か未来のことか、とにかく、現在(いま)よりも少しだけ神様が人や獣と身近に接している頃のお話。
 神様は神の言葉、人の言葉、獣の言葉を理解し、獣は人の言葉、獣の言葉を理解し、人は人の言葉だけしか理解しない、世界はそのようにして成り立っている。
  
 南の島のジャングルにバクの暮らす村があった。
 御存知の方もいるかもしれないが、バクは生まれた時は体中に縞模様があるが、成長するにつれ、頭が黒でおしりが白いあの不思議な色合いになっていく。
 この村にある一匹のバクが生まれた。父親は彼が生まれる前に崖から足を踏み外して落ちて亡くなった。母親も彼を生むと間もなく流行り病で死んでしまった。
 気の毒に思った村の長老が彼を引き取り、村の皆も世話をしてあげて、彼はすくすくと成長した。
 やがて体の縞模様が消え、あの奇妙な色合いに変わっていく頃、他の子供は頭が黒でおしりが白くなったのに、彼だけがどうしたものか、頭が白でおしりが黒くなってしまった。
 それを見た村の大人のバクたちは彼を『不幸の子』と呼び遠ざけ、子供たちも気味悪がり彼を仲間はずれにするようになった。

 これからお話するのは、そんなバクの長い旅の物語。
 どうかお時間尽きるまでお付き合いください。

 

 タピーはバク。
 ジャングルで生まれ、ジャングルで育ちました。
 タピーはまだ子供。
 でもお父さんの顔もお母さんの顔も知りません。
 タピーはいつも一人ぼっち。
 一緒に遊ぶ友達もいません。
 ある日のこと、タピーが一生懸命走っています。
 どこに行こうとしているのでしょう。

 

 今日も他のバクたちに仲間はずれにされたタピー。やってきたのはジャングルのはずれの泉です。
 タピーは叫びます。
「泉の女神さま。ここに来れば女神さまに会えるって、タリーバおじいが言ってたんだ。ねえ、出てきてぼくの話を聞いて」

 泉にはたくさんのきれいなハスの花が咲いています。その水面に小さな輪っかができて、大きくなっていき、またその中に小さな輪っかができて、いくつもいくつもハスの丸い葉と同じような輪っかができていきます。
 泉の真ん中のひときわ大きなハスの花のあたりからヴィーナの音色が聞こえ、水しぶきが上がって、きらきら光りました。
「私を呼ぶのは誰ですか?」

 ハスの花の上に座っている美しい女の人。二本の腕でヴィーナを弾き、もう二本の腕に花と本を抱えています。かたわらでは色鮮やかな孔雀が羽根を広げます。
「私を呼んだのはあなたですね」
「女神さま?」
「ええ、ラーラワティよ。よろしくね」
 タピーはどぎまぎしてしまいます。
「ぼ、ぼくはタピー」
「そう、で、タピーの話とは何ですか」
「ぼくには友達がいないんだ。みんながぼくを仲間はずれにするんだ。なぜだかわかる?」
 ラーラワティは眼を閉じてじっと話を聞いています。
「他のバクは、あたまが黒でおしりが白いのに、ぼくはあたまが白でおしりが黒いんだよ。それでみんながぼくを仲間はずれにするんだ」
 ラーラワティは目を開けます。
「ではみんなと同じ色になりたいのですね。」
「そうです、女神さま。ぼくをみんなと同じ色にしてください」
「タピー、よく聞きなさい」

 ヴィーナを弾きながら話し始めるラーラワティ。

 ぽろん、ぽろろん、ぽろん。

 音楽に合わせてかたわらの孔雀が羽根を広げて踊ります。
「あなたがみんなと違う色なのは、私よりももっと偉い神様が決めたこと。あなたがみんなと違う色なのは、あなたにはやらなければならないことがあるから」

 ぽろん、ぽろろん、ぽろろろん。

「私には、あなたの願いを叶えることはできないのです。けれども、あなたの願いを叶えるための手伝いならしてあげられます」
「それはどういうこと?」
「あなたの願いを叶えてくれる私よりももっと偉い神様は、ここからずっと、ずっと北の山に住んでいます」
 ラーラワティは美しい声で歌い出します。

 ~ ここからずっと北の山
 はるか高く、はるか遠い
 そこに住んでいる偉い神が
 あなたの願いを叶えてくれる

 ここからずっと北の山
 とても寒く、とても辛い
 自分で歩いていかないと
 あなたの願いは叶わない ~

「でもジャングルの外はこわいところだって、タリーバおじいが言ってたよ」
 ラーラワティは手に持った本を開きます。
「あなたが今の姿のままジャングルの外に出れば、すぐに人間に捕まってしまいます」
 開いたページから光が溢れ出します。
「私の力であなたを人間と同じ姿に変えてあげましょう。これがお手伝いです」
 タピーは本から溢れ出す光がまぶしくてまぶしくて目を開けていられません。
 だんだん、ヴィーナの音色が遠くなっていきます。

 

 
 どのくらいの時が経ったのか、やっと目を開けるタピー。
「うーん、ぼくは夢を見てたのかな」
「夢ではありませんよ。あなたの姿をよくご覧なさい」
 ラーラワティがハスの花の上に座ったままで言います。
「何も変わっていないみたいだけど」
「試しに二本足で立って、歩き回ってごらんなさい」
 タピーはこわごわ歩いてみます。
「わあ、本当だ。ぼく二本足で歩いている」
「タピー、あなたの黒い下半身はまるでズボンを履いた男の子のようですよ」
「でも、これじゃあすぐに、人間にはバクだってばれちゃうんじゃないかな」
 ラーラワティはゆっくりと首を横に振ります。
「タピー、自分を信じるのです。信じることができるならば、あなたの姿は人間と同じ。普通の人間には、あなたの本当の姿はわからないでしょう」
 ラーラワティはにっこりと微笑ます。
「美しい心を持つ者だけがあなたの本当の姿に気がつくのです。その者たちを探しながら旅を続けなさい」
 タピーはわけがわからないけれども、でも何だか力が沸いてくるのを感じました。
「女神さま、ラーラワティさま、ぼくやります。ずっと、ずっと北の山まで歩いていきます」
 ラーラワティはうなずきました。
「あなたにもう一ついいものを渡しましょう」
 ラーラワティは空を飛ぶ一羽の鳥に声をかけます。
「あの極楽鳥、ジャックは私の僕です。あなたに預けましょう。旅の途中で私の助けが必要になった時はジャックに頼みなさい」
 極楽鳥のジャックはタピーの肩に留まります。
「ふん、一緒に行ってやるから、ありがたく思え」
 ジャックはちょっと口が悪いようです。
「さあ、ジャック。あなたはリュックに入って。タピー、リュックを背負いなさい」
 ラーラワティは手に持った花を振りました。
「私にできるのはここまでです。後はあなた自身の力で進みなさい」
 タピーは嬉しくて走り出そうとしながら、はっと気づいてもう一つだけ質問します。
「ラーラワティさま。もっと偉い神様が住む北の山はどのくらい遠いの?」
 背中のリュックからジャックが首を出して答えます。
「おまえみたいなジャングルのバクには想像もつかないくらい遠いってことさ。生半可な気持ちじゃ、たどり着けやしないぜ」

 

 ラーラワティが手に持った花からそよそよと吹く風。
「タピー、お別れです。あなたに会えてよかったですよ。ジャック、タピーが困った時はすぐに私に知らせなさい」
「ラーラワティ様、心配いらないって。おいらがついてりゃ安心ですよ」
 タピーの背中のリュックから首だけ出したジャックは得意気です。
 ラーラワティの姿がだんだんぼやけていきます。
「では、また会いましょう。タピー、信じることですよ」

 

 泉は何もなかったかのように静かに水をたたえています。
「さて、ぼくはどっちに行ったものだか」
 背中のジャックがびっくりした声を出します。
「おい、おまえさん、もしかしたらジャングルの外に出たことがないのか」
「うん、そうなんだ」
タピーは照れくさそうに頭をかきます。

 

ジャングルの出口まで歩いてきたタピーとジャック。タピーは何だか嬉しくなってきます。
「この先が外の世界なんだね。一体何がぼくを待っているんだろう」
太陽はさんさんとタピーを照らします。