2 ジウランのエピローグ

3 日比谷

 東京駅に戻り、内堀通りを歩いた。爽やかな初夏の夕方、行き交うサラリーマンもOLも、観劇帰りの婦人たちも、皆笑顔を浮かべていた。
 公園の一角にある図書館は既に閉館していて、昨日が土曜日だったから今日は閉館時間が早い事に気付き、少しがっかりした。

 仕方ない、又明日。そう考え、園内をぶらぶらと歩いた。
 池を越え、客で賑わうレストランを通り過ぎ、噴水広場に着いた。
 広場のベンチは恋人たちでほぼ埋まっていたが、その中にたった一人で読書をする女性の姿を発見し、息を呑んだ。

 何食わぬ顔を装い、ちょうど席を立ったカップルが座っていた隣のベンチに腰掛け、様子を窺った。
 白いシャツにジーンズ姿の女性は読書に夢中で顔を上げなかった。時折、長い黒髪を掻き上げながら、一心不乱に本を読んでいた。

 ぼくは逡巡した。
 声をかけて、会った事がないと言われたら……
 外国人の顔をしているのにイタリア人のように振る舞えない自分が情けなかった。
 でもここで話しかけなければ何も始まらない。知らないと言われたらここからスタートさせればいいだけ、イタリア人になるんだ、そう決心し、女性の前に立った。

 
 こちらが口を開く前に女性が本を閉じ、顔を上げた。
「遅い」
「えっ?」
「遅い」
「あの……」
「何?」
「待ち合わせ……してたっけ?」
「――ずっと前に。あの花の咲き乱れるテーブル、ううん、もっと前。五つの月が出る夜空の下。ううん、もっと前の忘れな草よ」

 
 ぼくは美夜の隣に腰かけると、美夜がゆっくりと話し出した。
「あの時、《虚栄の星》の城で、あたしは酷い怪我を負ったせいで、世界が変わった時にどうするか、最後の確認ができなかった。あなたもそれが不安でなかなか会いに来れなかったって事にしといてあげる」
「『しといてあげる』じゃなくて本当の事だよ」
「まあ、いいわ。で、おじい様があたしをシップに乗せて航行中に世界が変わったらしいの」
「うん、多分、マリスとぼくが城を出た時だ」
「不思議な事にあたしの怪我は治って、ううん、最初から怪我なんてしてなかった。だってもう別の世界に変わった訳だものね」
「ぼくらもそうだったよ。いつの間にか負傷が癒えてた。他の皆も同じじゃないかな」

「目を覚ましたあたしに向かっておじい様が最初に言った言葉、わかる?」
「いや、わからないよ」
「こうよ。『美夜さん。記憶は、記憶はどうなった。ジウランを覚えてるか』」
「じいちゃん……」
「あたしは元気よく答えたわ。『はい、全ての記憶があります』」

「――ちょっと待って。じいちゃん、ぼくが帰った時にその事、何も言わなかった」
「あたしが頼んだの。あたしの記憶がそのままなのを知ったら、ジウランの事だから真っ先に会いに来る。大事な戦いの前に集中力を乱すのは良くないから内緒にしておいて下さいって」
「本当に信用ないんだなあ」
「おかげで戦いに集中できたでしょ?」
「まあね、でも何日か無駄にした」

「――あのね、ジウラン。あたし、二つの世界を経験して思ったの。時間ってとてもあやふやなものなんじゃないかって。その証拠に今はまだ6月末、あっちの世界ではようやく出会った頃よ」
「そうだね。何でこのタイミングに戻ったんだろう」

 
「推測でしかないけど、多分、あたしの記憶がそのままなのも、6月に戻ったのも、創造主があなたにくれたご褒美じゃないの?」
「おかげで中原さんのあの屋敷やシゲさんの安否を確認できた」
「シゲさん、元気だったでしょ?」
「うん」
「他には?」
「ナカナは大学の先輩と付き合ってた」
「……ちょっと淋しいんじゃない?」
「そんな事ないけど少し複雑だった」
「ふーん。心残りはない、か」
「創造主は、リンはとっても優しい人だった」

「――リンで思い出した。蘇った文月の人たちには会ったの?」
「うん、ヴィジョン越しの人たちもいたけどね。皆、『ありがとう』って」
「セキは?」
「……まだ会ってない」
「だったら今から行きましょうよ。門前仲町」

 

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