目次
3 敗北
「よぉし」
デズモンドがマリスの肩を叩きながら言った。
「片付いたな。先に進もうぜ」
「残りは藪小路だけかい?」
「大体そんなところだな」
「――アイシャとデプイは先に《虚栄の星》に戻っていてくれないか。この戦いが終われば、又、色々と忙しくなる」
「わかったわ。気を付けてね」
アイシャとデプイは手を振りながら陽気に去っていった。
「あ、アイシャ。一つお願いがあるんだ」
マリスは去ろうとするアイシャを呼び止め、何事かを話した。アイシャは一つ頷いてから、矢を空中目がけて放った。
「ありがとう」
「――ところであいつはどこに行った。黒眼鏡の監督は?」
デズモンドが言い、ジウランが答えた。
「あれ、途中まで一緒に戦いの様子を見てたんだけど」
「ねえ、デズモンド。彼は誰なんだい。知り合いのようだったけど」
「あいつか。あれも又、この世にはびこる亡霊だ。わしは戦時中に知り合ったが、それよりもずっと前から存在しているんだろうな」
「監督っていうのが本名?」
「いや、違う。ただ向こうは映像に力を吹き込むから監督、わしは歴史を紐解き、言葉に力を吹き込むから教授、と互いに呼び合ってただけだ」
「ふーん、不思議な関係だね」
「長い間生きてりゃ、色々ある。まあ、今日でそういった柵(しがらみ)が幾つか無くなるけどな――さあ、元の通り、三人だ。このまんま進もうぜ」
「じいちゃん、ケイジは?」
「さあ、そのへんにいるんじゃねえか。気配を消されちまうと何もわからねえよ」
三人は遊歩道の九つの教会の方には回らず、正面にどんと構える大講堂を目指した。
「おお、やっぱりこっちで合ってたみてえだ」
デズモンドが嬉しそうに言った。講堂の前の石段の上には藪小路の用心棒、遠刈が待っていた。
「よぉ、又、会ったな。わしら、この奥に行きたいんだ」
「好きにしろ。用があるのはただ一人だ」
遠刈は地味なジャケットを脱ぎ捨てながら答えた。
「へへん、嬉しいな。わしを待っててくれたか」
「貴様に負けるようでは用心棒の価値はない。雇い主も承知の上だ」
「って事らしいや。マリス、ジウラン。お前らは先に行って藪小路をぶっ倒してこい」
改めてデズモンドと遠刈が向かい合った。遠刈はネクタイをはずし、シャツの袖をまくり上げた。
「ここまで飼い主に忠実な犬で過ごしてきたのに、一番大切な時に我を出すとは面白い奴だな。お前」
「……あの方は結局、誰も信じていない。おれだけでなく、矢倉も捨て駒だ」
「そいつは淋しいな」
「同情などくそくらえだ。何故なら今のおれはお前を倒す事に集中している」
「今更、ロートルのわしなんぞ倒しても名は上がらんぞ」
「貴様が有名だろうが無名だろうが関係ない。ただ強い奴と戦い、勝つ、それだけだ」
「わかったよ。じゃあ思う存分、殴り合おうじゃねえか」
講堂前の石段の上で二人は距離を詰めていった。
初めにデズモンドが遠刈の懐に飛び込み、右の拳を振るった。遠刈は攻撃を避けると、左の拳を返し、今度はデズモンドが退いて避けた。
遠刈はすぐさま、前に進み、後退したデズモンドにパンチを放った。デズモンドは頭を低くしてパンチを避け、そこから相手の顎目がけてパンチを突き上げた。遠刈が上半身を逸らせてパンチを避け、一歩退いた。
互いに攻撃を当てられないまま、しばらく攻防が続いたが、突然、示し合わせたように距離を取り、構えをほどいた。
「時間の無駄だな」
遠刈が言うとデズモンドが答えた。
「わしらくらいになると防御に専念すれば、一切攻撃を受けなくなるのは当然だ。だがそれじゃあ何もならん。なっ」
「互いの手の内もわかった。ここからは逃げずに踏み込むか」
「ああ、殴り合いで決着だ」
デズモンドの右の拳と遠刈の右の拳が同時に放たれた。パンチは互いの頬にめり込み、二人とも膝を落としそうになるのを、かろうじて堪えた。
「へへっ」
「……」
パンチの応酬が続いた。皮膚を切り裂き、血が飛び散る中、大男二人が無言で殴り合った。
デズモンドの一撃をまともにこめかみに食らった遠刈が後方によろけた。デズモンドが追撃の渾身の右フックを振るうと、パンチはバランスを崩した遠刈の頭上をかすめた。勢いの止まらぬデズモンドが不用意に晒した脇腹目がけて遠刈の出したパンチがめり込み、「めきっ」と嫌な音がした。
「……肋骨、二、三本、いかれたな」
「不可抗力だ」
「気にすんな。ボディを打たせたわしがいけない」
「まだやれるか?」
「最後までやるのが筋だろ」
再び二人の殴り合いが始まったがデズモンドの動きは目に見えて悪くなっていた。スピードがなくなり、バランスを崩す事が多くなった。
遠刈の一方的なラッシュが始まり、デズモンドは体を屈めて必死にガードを続けていたが、とうとう腰を落とした。
デズモンドは座り込んだままで防御を解いた。
「残念だったな。貴様の全盛期に手合せしたかったよ」と遠刈が言った。
「全盛期か……その頃だったらあんたを冒険のクルーに誘ってた」
「楽しそうだが、やはり貴様の仲間にはならん」
「だろうなあ」
「デズモンド・ピアナ。せめて楽に死なせてやろう」
遠刈は野球のピッチャーのように左足を上げ、右の拳を体の後方に持っていった。
デズモンドは最期の時を覚悟した。目の前の男の振りかぶった拳が飛んでくれば自分の命は終わる、せめて目を開けてその瞬間を待つ事にした。
遠刈は上げた足をなかなか振り下ろさなかった。そのままの姿勢でいたが、やがて静かに倒れた。
「……余計な真似しやがって」
座り込んだまま立てないデズモンドが言うと、ケイジが姿を現した。
「お前はまだ死んではいけない、そう思ったから助けたまでだ」
「……だから余計だって」
「私には過去の記憶がないが、時折、記憶の断片が舞い降りる。かつて私が死地に赴こうとした時にそれを必死になって止めようとした愚か者がいた。そのバカと同じ事をしたが余計だったか?」
「……ケイジ、てめえ。記憶はすっかり戻っていやがんな」
「その体ではもう戦えまい。後は若い者たちに任せてゆっくりと休め」